岸本の治療日記

2002/2/25(月)

吉祥寺、分家スタジオにて、次のアルバムの為のレコーディング。2曲録音した所で、休憩。その際に、ちょっとしたはずみに左手を突く。ボキッと言う嫌な音がするが、別に痛くは無い。しかし、中指の先第一関節からが、変な形に曲がっている。非常に嫌な予感がする。力を入れても動かない。その旨を菅原に告げると、笑っていた。(結局、この人は、今回のケガで、何が起こっても笑っていた。)
とにかく、もう1曲は録って置かないと困るので、無理やり演奏する。
とりあえず、余計な事は考えずに、家に帰ってシップして寝る。

2002/2/26(火)

予想どうり、1日たっても動く気配無し。仕方ないので、観念して明日病院に行く事を決意。

2002/2/27(水)

朝から病院へ。これまた予想どうりに、筋が切れていると言う。手術するか、2〜3ヶ月固定するか、どっちかだと言う。固定していても、確実に繋がるとは言えないとの事。
「じゃあ手術して下さい。」と言うと、「じゃあ明日入院して、明後日手術ね。」と言う事になり、慌ただしい日々が始まった。
電話やら、伝言やら、掲示板やらで関係者、無関係者各位に連絡。この時点で3月のライヴは断念。生まれて初めてのキャンセル。ライヴ関係の後始末は、菅原に任して寝る。

2002/2/28(木)

シャワーを浴びてから、いそいそと病院へ。
血液検査、尿検査、レントゲン、心電図と、手術前の検査を済ませる。手術に麻酔を使うので(当たり前だが)、家族の同席での説明が必要だと言うので、はるばる実家より、日帰りで弟召喚。東京滞在3時間で弟は帰郷。ごくろうさま。

2002/3/1(金)

朝イチから抗生剤の点滴2本。昼から手術なので、朝メシ後から禁飲食。タバコもダメ。昼食が来るが、食べられない。
PM1:30、オペ室よりお呼びが掛かる。
PM1:50、オペ開始。麻酔に手間取るも、指を開いたら切れた筋か、思いの他キレイに残っていて、比較的ラクに繋がると言う。
オペ室に有線が流れる。つまらない歌謡曲。
PM2:55、固定用のピンを、ドリルで指に刺す。直接は見えないが、X線カメラのモニターが、オレの指にピンが入っていくのを写し出している。貴重な体験。麻酔がキレイに効いていて、全く痛みは無い。まるで他人事の様。
PM3:15、オペ終了。
全くを持って元気。腹が減った。麻酔が切れるのは夜中だから、痛むのはその後だろう。まだ麻酔が効いて、荷物と化した左腕を抱え、まだ禁止されているタバコを吸いに、コソコソとロビーへ。
夜、やっぱり麻酔が切れて痛い。(当たり前だが)痛み止めが出ているのだが、出来れば飲みたくない。2日ほどのガマンだ。
結局、一睡も出来ず朝になる。
バトルコサックのライヴ、2連チャンですっぽかしちゃったなぁ。

2002/3/2(土)

退院するつもりだったが、どうせなら月曜まで居ろと、医者が言うのでそうする。メシが自動的に出てくるのは有り難い。
抗生剤2本点滴。痛みでまだ眠れない。

2002/3/3(日)

抗生剤2本点滴。やっと少し眠れる様になる。

2002/3/4(月)

術後、初めてのガーゼ交換。抗生剤2本点滴。
午後の点滴の後、退院。

2002/3/6(水)
2002/3/8(金)

ガーゼ交換、及び消毒の為病院へ。この後も、大体2日に一回は通院。

2002/3/9(土)

通院の後、砂上の楼閣の芝居の稽古のため、和泉多摩川へ。

2002/3/13(水)

通院後、新宿シアターPOOへ、芝居の音響器材の下見に行く。その後、術後初めてのビール。抗生物質を飲んでいるので、ビールが不味い。変な酔い方。電車で寝てしまう。一緒に乗った望月氏をほったらかし一人だけちゃんと新百合ヶ丘で乗り換える。(望月氏は終点まで行ったらしい)
って言うか、何で君はセイジョウで乗り換えてないんだ?

2002/3/6(土)

通院、抜糸する。キレイなもんだ、と言われるが、別にうれしか無い。
午後から楼閣の芝居の稽古。酒盛り付き。

2002/3/17(日)〜21(木)

楼閣の芝居が大詰めに入り、連チャンモード突入。17日、山口氏、劇中に描く、絵の最終打ち合わせ。午前中に通院、午後から稽古。

2002/3/22(金)〜24(日)

芝居が本番モード突入。ナンダカンダ色々あって、最終日の朝、望月氏を車で迎えに行くと、未だベロベロに酔っている。車に乗り込む時に、思いっきり尻で左手を踏まれる。このクソ酔っ払いがぁ。これが夕方まで痛むことになる。

2002/3/26(火)

いつもの通院。しかし!
「岸本さん、どっかで強くぶつけたでしょう?もう止まってるけど、出血した痕があるよ。気を付けないとだめだよ。」
この時、私は望月芳哲(クソ酔っ払い)に慰謝料を請求することを、固く心に誓ったのであった。

2002/4/6(土)

術後5週目。ギターが弾けないストレスで、おかしくなりそうというか、もう、かなりおかしくなっている時、やっと念願の抜釘。抜いて4〜5日でピン穴は塞がるらしい。しかし、筋肉が固まっていて全く動かない。
こんなんで4月24日のライヴは大丈夫なのか?人生最大のピンチかも。

2002/4/7(日)

楼閣、芝居の稽古後、望月氏と渡邉氏で、抜釘祝いをしてくれる。望月氏よりプレゼント。CD、ヴェルヴェットアンダーグラウンドのバナナ。有り難く頂いておきます。

2002/4/9(火)

術後初めてギターを持つ。痛みは走るが、スケールランとかは何とかなる。しかし、ローコード、特にDとかがキツイ。弾いているうちにホンの少しずつ動くようになる。とりあえず3時間ほど弾く。
無理に動かしているので、腫れて炎症を起こして、指が熱い。でも確実に動く様にはなっている。ライヴまで後2週間。

2002/4/10(水)

通院。穴が塞がったので、濡らしても良いと言われる。やっと包帯もガーゼもテープも無しになる。マッサージ用に消炎クリームが出る。

まだ少し続きます
2002/04/11

2002/4/15(月)

ケガをしてから初めてのリハーサル。レパートリーを一通り流す。
次回の仮組みセットリストを、流してやってみる。粗いが何とかなる。
菅原は、もっと動かないと思っていたらしく、色んなネタを考えていたらしいが、とりあえず必要無いね、と言う事になる。
(後で聞いたら、とんでもない事を思っていたらしい)
3時間のリハの2時間を越えたあたりから指が限界を迎える。あんまり無理をしてもなんなんで、後はタラタラと流す。

2002/4/24(水)

運命の復帰ライヴの日
午前中に病院へ。どうやら骨が変形して真直ぐにならないらしい。あんまり無理してギター弾いたらいかんよ、と医者が言う。骨が変形するのと、ギター弾くのとどっちが大事だと思ってんだぁ!と言うと又長くなるので、はいはい、と言っておく。今日ライヴってのも内緒(笑)
もう一回見せに来て、と言われるが多分もう行かない。俺だってそんなに暇なわけじゃないんだよ、センセ。
午後20000volt入り。リハ時に、冷房が思ったより指に悪影響を及ぼす事が判明。本番前ポケットに左手入れっぱなしで暖めておく。
さて、本番。
果たして結果は・・・

観に来てくれた人、ありがとう。観に来れなかった人も。メールくれた人も、打ち上げにだけ来た人も、なんだよぉ、ハサミになってねぇじゃんかよー、と言った人も、左手で握手を求めてきた人も、指が6本に成ったんだって?と言った人も、心配してくれたひとも、心配しているフリをしてくれた人も、心配してない人も、全ての私に関わりの有る人々に・・・・

御心配と御迷惑を御掛け致しました。何とかギターを弾き続ける事が出来そうです。有難う、有難う。

これで、治療日記はオシマイ。その後の経過や、変形した指が見たいと言う、キトクな方は、ライヴ会場等で言っていただければ、いくらでも御見せ致します。

最後に。
こんな物を読んでくれた人、どうも有難う。感謝。

2002/05/31