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日本全国に「忠魂碑」「忠霊碑」「表忠碑」「招魂碑」などの名前で多くの碑が建っている。
古くは明治初年からあったというが、日露戦役以降のものが多い。
戦没者の顕彰・慰霊を目的としたものであるが、従軍記念あるいは戦勝記念などの碑もある。
その後、満州事変が起こり、上海事変、支那事変へと進むころ、また多くの忠魂碑が建設された。
そして敗戦。
占領軍は「連合国に対する日本の脅威を除去する」ため容赦ない日本破壊政策を展開。その一環の神道指令で、忠魂碑の類いは建立を禁じられたばかりか、既存の多くが撤去されてしまった。
昭和27年4月28日、対日講和条約が発効し、連合国の日本占領は終了、日本は主権を回復した。
GHQの廃止に伴い、神道指令をはじめとする指令・覚書もすべてが効力を失った。
そこで、戦友や遺族、自治体による碑再建の動きが全国的に広がった。撤去したと見せかけて地中などに隠していた例が多く、これらは復活した。
さらに再建のみならず、多くの忠魂碑が新たに建設された。
占領下で抑圧され、じっと耐え忍んできていた民族の感情が一気に爆発した形であった。
忠魂碑の傍らに砲や砲弾、機雷や魚雷などが記念品として備え付けられている場合がある。中には砲身や魚雷が忠魂碑そのものになっていたりもする。
敗戦・占領下にあって、これらを残すことは、碑よりも困難であったと思われる。
さて、以下はそういう砲弾である。おおむね忠魂碑などの建設の際、陸海軍から廃兵器として下付されたものである。記録から素性が判ったものもあるが、ほとんど何だか判らない。多くが海のものか陸のものかすら判らない。どなたか教示していただければ感謝感激である。
また、ご近所に現存しているものがあれば、ぜひお知らせください。
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