お出かけの記録
平成24年11月18日(日)
富山県下新川郡朝日町の護国寺。北陸三十六不動二十三番札所。
お堂には色鮮やかな七観音菩薩が鎮座している。
ここの庭園はツツジが美しいらしい。
おもしろい置物もいくつかある。
裏手には滝がある。
平成24年11月3日(土)、文化の日
金沢大学病院近くの住宅地の中に寶圓寺がある。
北陸三十三観音第十三番札所。お堂の中には大きな仁王像が安置されている。
平成24年10月25日(木)、山口市
香山公園
瑠璃光寺の五重塔
瑠璃光寺
市役所博物館前公園
平成24年10月24日(水)、萩市
松陰神社鳥居
境内に松下村塾
本殿
伊藤博文記念館
明倫小学校
高杉晋作生家
白壁通り
豪商の庭
平成24年10月23日(火)、湯田温泉
町中に足湯施設が点在
駅前に大きなモニュメント
平成24年10月22日(月)、京都市、晴天
南禅寺参道入り口
重要文化財の三門
三門二階から京都市をのぞむ
疎水(琵琶湖から水を引いた水道橋)
本坊の庭園「方丈庭園」、「小方丈庭園」、「六道庭」など
金地院
金地院庭園
平成24年9月22日(土)、秋分の日、伊勢
午前8時、出発。東海北陸道で名古屋へ。今回は名神高速に入らず、一宮木曽川ICで一旦高速を降り、国道22号を南下して一宮ICで再び高速道路に入る。
四日市ICから四日市Jctの9キロが渋滞。渋滞を抜ける頃に掲示板に渋滞12キロの表示有り、後続の渋滞がさらに伸びていたことを知る。
午後2時少し前に伊勢到着。松尾観音、二見浦、外宮、猿田彦神社、内宮、金剛證寺の順に回る。食事は、二見浦の浜茶屋と外宮前のフランス料理屋ボンビバン。
午後八時半に夕食を終え、伊勢を出る。午前一時に帰宅。
松尾観音は、磨いた床から龍が浮かび上がったことで縁起が良いとされている。
二見浦の二見輿玉神社ではちょうど結婚式が執り行われていた。
御朱印をいただく。美しい御朱印帳を購入する。千円也。記帳代は随意。
外宮の正宮から別宮へ行くときに渡る石の橋は亀石と呼ばれる。
猿田彦神社の境内に船に蛇が乗っているような形の石があり、たから石と呼ばれている。
内宮の宇治橋を渡って直進すると子安神社と大上神社がある。安産祈願、出産御礼の参拝者が次々と訪れる。
内宮、正宮への石段。午後五時で薄暗くなってきた。
来年の遷宮に向けて荒祭宮では、隣に足場が築かれている。
伊勢志摩スカイラインを走り金剛證寺に行った。既に六時を回り、すっかり暗くなった。境内には入れるが、もちろん本堂は開いていない。
境内には他の寺院ならば狛犬の位置に牛と虎が鎮座している。
スカイラインは午後七時まで通行可。1,220円也。帰りは山から見下ろす伊勢の夜景がきれい。
市街地に戻り、外宮前、旧郵便局の建物を利用したフレンチレストラン(正確には隣の「ブラッスリー」)、ボン・ヴィヴァンで夕食。
コース料理2,980円から。コストパフォーマンスがいい。
平成24年9月17日(月)、敬老の日、南能登
能登一の宮、気多大社と北陸三十六不動霊場一番札所の長楽寺、北陸三十三観音霊場二十番札所の山田寺をを訪れる。
気多大社は縁結びに御利益があるということで、毎度、若い女性で賑わっている。もちろん、ご子息や馬子の良縁を願って、年配の方も多数訪れている。
こちらは本殿ではなく、隣の祈願受付所である。簡易なお祓いもできる。屋内ではカップルが何やら申し込みをしている。
御朱印帳700円。蛇腹式になっている。諸国一の宮用にしようと思う。
近隣の一の宮としては、高岡伏木の気多神社、高岡市内の射水神社、南砺市の高瀬神社、立山町の雄山神社そして白山市の白山比神社がある。
初めのページに御朱印を入れてもらい300円。併せて千円也。
県道2号線を七尾方面に向かい、鹿西地区の町中、鹿西中前交差点を左折。細道の坂を登ると突きあたりに長楽寺がある。更に左へ進んだところに駐車スペース有り。境内に駐めてもよい。石動山のお寺から運んできた柱が立っている。ここは、北陸三十六不動霊場一番札所であるとともに北陸三十三観音霊場二十一番札所でもある。
左に不動堂、右に社務所がある。裏手は山となっていて、百段ほどの階段を上ったところに奥の院がある。
社務所で声をかけたがどなたも出てこられず、床机の上に観音様とお不動様の御朱印が置いてあったので、料金を入れて、いただいて帰ることにした。
奥の畳の間の机には御朱印帳の表紙カバー(たぶん、不動巡り用のものだと思う)らしきものがあったのだが、さすがに近づけず。
県道二号を更に七尾方面へ。良川駅付近の交差点を左折。突き当たりを左へ。このあたりに山田寺があるはずだがわからず、通りかかったおばあさんに尋ねてみる。
すると、「あそこだよ。」と後を指さす。振り返れば、百メートルほどの所に石柱と階段がある。逆方向からは山田寺の文字が彫ってなかったのだ。
階段前のわずかなスペースに車を駐めて登る。途中に社務所があり、先に御朱印をいただく。
境内には、白寿観音の像が建っている。ということはこのお寺は、白寿観音巡りの札所でもあるのか。チェックするとどうも観音巡りと同じ二十番であるらしい。
しかし、倶利伽羅不動の白寿観音とそっくりなのは、鋳型が同じだからなのだろうか。もう一つの驚きは、隣に白比古神社があり、参道が境内でクロスしているのだ。
それとどこか細道をたぐれば、境内まで車で来れるのだ。午後五時を回り、本日の参詣はここまで。
平成24年9月16日(日)、福井
金曜の夜に届いた巡礼用品を使ってみたくて、北陸三十三観音霊場巡りを企図する。御朱印をつづるカバーはやはり一番札所だろうということで、福井県の西の端にある中山寺を目指す。
北陸自動車道は武生と敦賀の間が山岳地帯となり、カーブ、アップダウンそしてトンネルと結構気を遣う。敦賀から小浜までは国道27号。幅広でほぼ真っ直ぐ、道なりに進めばよい。
流れもスムーズだが、距離があるので時間はかかる。小浜から中山寺のある高浜までは自動車道で2区間。山道から国道27号へ出て、しばらく行くと、正面に正三角形の形のよい山が見えてくる。これが青葉山で、真ん中麓に大きな屋根が見えるのが中山寺だ。
中山寺は山門をくぐって階段を50段ほど登ったところに本堂がある。下の山門脇と上の観音堂脇との二カ所に駐車場がある。
観音堂の左横に本坊があり、社務所もある。
社務所にて御朱印をいただく。B5の和紙を二つ折りにして、片方に朱印と墨書きが施されており、もう片方に詠歌と寺の紹介が記されている。300円払って、日付を入れてもらう。
御朱印帳のカバーは600円。
北陸三十三観音霊場のガイドブックは550円。若狭観音巡りの納経帳は、各寺の紹介付きで、1,500円。白寿観音巡りの納経カバーはここには無く、瀧谷寺にあるとのこと。白寿観音巡り用にと御朱印をもう一枚いただく。
賽銭を入れ、お札を納め、お経をあげる。マッチもライターも見あたらず、持ってくるのも忘れていたので、蝋燭と線香をあげることができなかった。
境内を出て、二番札所、馬子寺を目指す。
国道27号に出て小浜方向へ走る。途中、海辺にイタリアンレストランがあり、パスタとピザを食べる。海に面してカウンター席があり、眺めがよい。お奨めのカルボナーラも大変おいしい。店の名は、「ラ・イルマーレ」。
再び、国道27号を東進。道の駅に差し掛かり引き返す。馬子寺の案内看板があり、若狭和田駅の交差点で左折とある。駅の中山寺側には標識はなかったような。
山道を2キロほど進むと大きな石に馬子寺と彫ってある。
階段を上ると社務所があり、更にその脇の細道を登っていくと観音堂がある。観音堂の右には熊野神社がある。
本尊は馬頭観音。社務所には人の気配が無く、木箱の引き出しに御朱印が入れてある。中山寺または天徳寺で日付を入れてもらって料金を払って下さいと張り紙がしてある。もうすぐ午後五時というところで、次にいつ来るかもわからないので、300円引き出しに入れて御朱印をいただく。
平成24年8月16日(木)、香川
八栗寺のお迎え大使展望台から。
屋島とその向こうに広がる高松市。
五剣山。参道脇に二軒の旅館。
歓喜天さん。
本堂横の十一面観音菩薩。
88番札所、大窪寺を訪れる。車で小一時間。
手前の駐車場に留めたので、仁王門より入る。
ガラス室に納められている。立派。
大師堂。
山門下の茶店。結願のお寺だけあって、人出も多く賑やか。
山門。
本堂。後に大きな崖の山がそびえる。本尊は薬師如来。ご真言は、「おん ころころ せんだり まとうぎ そわか」。
石碑。
納経の証明書。御朱印を押した後、筆でさらさらと書いて下さる。達筆。
八栗山の麓にあるうどんの山田屋。
休日はいつも混んでいる。スカイツリーにも出店している。
平成24年8月15日(水)、京都
祇園、建仁寺近く。六道珍皇寺
現世とあの世の接点。
本堂
閻魔大王と小野篁が祀られている。
平成24年7月28日(日)、石川県、宝達山
羽咋市から国道を南下し、宝達山山頂入り口の案内を左折。道なりに山道を登る。
山頂まであと少しの所に大きな駐車場がある。高岡側に降りていく道とは別に山頂へ向かう車一台幅の細道がある。
車で更に上ると山頂に社が見えて、手前に車数台分のたまり場がある。「東京スカイツリーの高さ」と書いた杭が打ち付けてあったりする。
階段を10段ほど登ると山頂。爽やかな風が吹き抜ける。
山頂の社
山頂付近には電波塔が並ぶ。
山頂行き止まり。
山頂から高岡砺波方面。
先ほどの大きな駐車場の向かいには、「山の竜宮城」と書かれた看板のレストハウスがある。
テラスからは石川県側の日本海と渚(千里浜)が見渡せる。今日は、水蒸気で霞んでいたが、
秋には紅葉と海で美しいことだろう。
平成24年6月26日(火)、東京、晴れ
東京駅丸の内側出入り口。レトロ風でおしゃれ。後の高層ビルも違和感なし。
下層部分がまだ工事中。左の円筒形の建造物は何だろう。撤去されるのか。
浅草の定番スポット。平日でも沢山の人出。
仲見世通りを抜け宝蔵門。
門をくぐり境内へ。浴衣を着たアメリカ人連れ。可愛い。
振り返れば、スカイツリー。
手水舎。天井には「墨絵の龍」(東 韻光 画)、八角形錆御影石造りの手水鉢の上に龍神像・沙竭羅(さから)龍王像(高村光雲作)
本堂へ。
内陣中央、本尊聖観世音菩薩を奉安する御宮殿(ごくうでん)。
浅草神社
二天門。左に増長天、右に持国天。
弁天堂。写真にはないが、左にある鐘楼は「時の鐘」
17時半、地下鉄半蔵門線で押上駅下車。イーストタワーを4階まで上り、ショッピング街を抜けてスカイアリーナ(外)に出る。
入場券は予約時に使ったクレジットカードを提示して受け取る。大人一人、2,500円也。当日券は2,000円だが、7月12日以降。
エレベーターで展望デッキフロア350へ。都心方面に東京タワー。
新宿方面。高層ビル群の右手前に東京ドーム。実は、写真を見て気づく。
東京湾。ゲートブリッジが見える。
1,000円払って最高地点を目指す。エレベーターでフロア445へ。
螺旋状の展望回廊を上ってソラカラポイントへ。
フロア450到着。
写真中央に薄く台形のシルエット。富士山と思われる。右上に太陽。
富士山を撮影するには、お昼頃までがよい。秋、冬にはきっとよく見えるだろう。
エレベーターで降りるとフロア345。ショップとレストランがある。
階段でフロア340へ。ガラス床。カフェ。
19時、ちょうど日没にさしかかる。
4階、スカイアリーナに戻る。
19時15分、ライトアップ始まる。
点灯、完了。歓声が沸き上がる。いつの間にか沢山のカップル。
今度来たときは、水族館とプラネタリウムを見ていこう。
平成24年6月24日(日)
羽咋市の気多大社に行ってきました。縁結びの神様ということで、若いカップルがコンスタントに訪れます。
平成24年5月12日(土)
日帰りで伊勢参り。
神宮へ行く前に、二見浦でお清めをするのがならわし。
二見興玉神社手水舎。御祭神である猿田彦大神のお使いが蛙だった。
境内の置物は、無事かえる、貸した物がかえる、若がえる等の縁起により御利益をうけた方々の献納であるとか。
夫婦岩。6月の夏至の前後1週間は岩の中央から日の出が昇り、天気が良ければその背に富士山を仰ぐことが出来るとのこと。
二見興玉神社。御神徳、猿田彦大神は、天孫瓊瓊杵尊(てんそんににぎのみこと)が天照大神より三種の神器を授かり天降られるとき、天(あめ)の八衢(やちまた)にお迎えして途中の邪悪を祓いながら道案内を申し上げた。
風強く、波高し。
八大龍王神社の手水舎
八大龍王大神
八大龍王社の狛犬。赤の塗り込みが鮮やか。
お参りは外宮、内宮の順で。
伊勢神宮外宮の手水舎。底から水がわき出ている。
手水舎前から。はいって来た道。
正宮への入り口。木漏れ日の中を正宮へと進む。
外宮、正宮。1,000円で外宮と内宮の塀の内側で参拝できる。はいるときは正装で。
衝立の向こう側では撮影禁止。
パワーストーン
多賀宮へ向かう石段
多賀宮
石段を下りて突きあたり。土宮
引き返して、風宮。石段に向かって左側。
車で内宮前無料駐車場へ移動、約10分。。伊勢神宮内宮。鳥居をくぐり、五十鈴川を渡る。
五十鈴川、下流方向。
内宮の手水舎。左半分
五十鈴川。正宮への道すがら、川縁まで降りることができる。
正宮への石段
神宮式年遷宮について
平成二十五年の遷宮に向けて準備中
荒祭宮
風日祈宮
風日祈宮へは五十鈴川の支流を渡っていく。
子安神社
猿田彦神社にもお参りしたが、電池切れのため、写真撮れず。
平成24年5月1日(火)
八栗山
高松市の東、八栗山。麓、ケーブルカー乗り場の右に表参道の小道がある。
登り切ったところにお迎え大使の展望台。屋島、高松市街地、瀬戸内海をのぞむ。
表参道から山門へ。
四国遍路、「第八十五番霊場 五剣山 八栗寺」
寺の伝えによれば、「空海(弘法大師、大師遍昭金剛)がここで虚空蔵求聞持法を収めた際、五本の剣が天から降り蔵王権現が現れて、この地が霊地であることを告げた。空海は降ってきた剣を埋め、天長6年(829年)に再訪し開基した。」という。
山門の仁王像と思いきや多聞天と持国天。だから、仁王門ではなく、二天門。
八栗寺の名前の由来。五剣山の頂上からは、讃岐、阿波、備前など四方八国が見渡すことができたので、もともと八国寺という寺名だった。 延暦年中、空海は唐へ留学する前に再度この山に登り、仏教を学ぶ念願が叶うかどうかを試すために8個の焼き栗を植えた。無事帰国し、再び訪れると、芽の出るはずない焼き栗が芽吹いていたので、八国寺を八栗寺へ改名した。
境内から、五剣山。写真、右の山のさらに右に台形の山がある。1707年(宝永4年)の宝永地震で山頂部が崩れてしまったとのこと。それ以前は本当に五つの剣だった。
八栗寺は、長宗我部元親による八栗攻略の兵火により全焼した。しかし、江戸時代に無辺上人が本堂(三間四面)、さらに高松藩主松平頼重が現在の本堂を再興、弘法大師作の聖観自在菩薩を本尊として安置し、観自在院と称するようになった。
手水舎。大きな竜頭
境内の奥で表参道からの道と裏参道のからの道が直角に交わる。表参道からの突き当たりが本堂。お寺のご本尊は聖観世音、ご真言は、「おん あろりきゃ そわか」。
裏参道からの正面に立つ聖天堂は木喰以空上人が東福門院から賜った歓喜天が祀られている。商売繁盛や学業成就、縁結びにご利益があると言われ「八栗の聖天さん」として親しまれている。現世ご利益に霊験あらたかとあって初詣以外にも、毎月1日と16日の縁日には、律義で信心深い参拝客が大勢詰めかける。
歓喜双身天王とは
ガネーシャはヒンズー教の最高神である『シヴァ神』と『カーリー』の間にできた子。あるとき、悪業非道を働くガネーシャを仏が懲らしめたところ、ガネーシャは人民に呪いをかけて立ち去る。困った人民は、十一面観音菩薩に救いを求める。菩薩はガネーシャの女身に変身し、ガネーシャの前に現れる。ガネーシャは変身した十一面観音に求愛、合体を果たし、歓喜を得る。見返りに仏道への帰依と自民の保護を約束する。双身の男身は大日如来、女身は十一面観世音菩薩。
ご真言は、歓喜天が「おん きりく ぎゃく うん そわか」、十一面観世音菩薩が「おん まか きゃろりきゃ そわか」、大日如来が「あ び ら うん けん」、軍荼利明王が「おん あみりてい うん ぱった」。
お聖天様の好物は、甘いものとお酒。逆に、供えてはいけないものは、柑橘類(すっぱい転じて失敗)と梨(無し)。
本堂から左奥へ登り、中将坊への階段。中将坊とは天狗のことで大黒天の生まれ変わりとのこと。南無大黒天中将坊大権現。
ご真言は、「おん まか きゃらや そわか」
中将坊社殿
中将坊 さぬき三大天狗の一つ。夜に山から下りてきて、民衆のために良いことをして朝帰る天狗。中将坊堂脇に下駄を奉納し翌日下駄が汚れていれば中将坊が働いてくれた印だとか。
大師堂の上、藤の花。
多宝塔
多宝塔の向かい、桐の花
四国八十八カ所参りができる。
聖天堂の柱飾り。左が龍、右はガネーシャ。
歓喜天はインドにおいて「ガネーシャ」と呼ばれ、頭は象で身体が人間の男女二像の和合神で、ご開帳は50年に1度という秘仏。
人の歓を喜とする天尊であり、人々の災を除き、福徳財宝をさずけ、商売繁盛の守り本尊とされる由縁。
本坊庭園の牡丹。だいぶ散ってしまった。やはり、四国は温暖だ。
平成24年4月30日(月)
昨日午後五時の住吉大社閉門のためできなかった初辰さん参り。
まずは、種貸社から
種貸社、大海神社。資金調達・子宝。
祈祷料1,100円で「種銭」というお祓いをした硬貨を授かり、これを商売などの手元に加えて、一粒万倍の祈願をする。
もう一つは、800円で一粒の「稲種」をいただく。
次は、楠珺社(なんくんしゃ)。神社前の大きな楠。商売発達・家内安全
種貸社でいただいた稲種を稲穂に交換してもらう。
最後に大歳社。集金満足・心願成就
楠珺社でいただいた稲穂を御神米に交換してもらう。
石を持ち上げて運試し。まず、石を持ち上げてみる。願い事をする。
再度、石を持ち上げる。軽く感じたら成就、重く感じたら残念。
パワーストーン。五大力石。「五」、「大」、「力」の文字が書かれた小石を三つ一揃えにして小袋に入れ、お守りにします。
本日も住吉大社では、婚礼の儀。目出度し、目出度し。
平成24年4月29日(日)
京都府八幡市、松花堂庭園。松花堂弁当の語源を初めて知る。
慶長5年(1600)、昭乗17歳の時、石清水八幡宮瀧本坊実乗のもとで社僧となり、このとき名を昭乗と改めた。当時の石清水八幡宮は周囲に60程の寺社を構え、神宮寺として賑わっていたが、明治の廃仏毀釈令により、ほとんどの寺院が取り壊された。昭乗は後に瀧本坊住職となり、更に僧として最高位の阿闍梨まで上った。本阿弥光悦や狩野探幽、沢庵宗彭らと交友が深かった。住職隠棲後の住み家として住坊泉坊の一隅に方丈を建てて松花堂と称した。
茶室入り口。これより先、撮影禁止。
昭乗は、農家が種入れとして使っていた田の字の形に仕切った物入れ(箱)をヒントに器を作り、絵具箱や煙草盆として使用していた。これが代々受け継がれていき、昭和の初め、料亭「吉兆」の創始者である湯木貞一が八幡を訪れた際、昭乗遺愛(松花堂好み)の四つ切箱を見て、試行錯誤のうえ懐石料理を盛り付け、弁当として世に広めたのが「松花堂弁当」の始まりとされている。器は、縁を高くした四角の箱形で、かぶせ蓋があり、中は十字に仕切られており、それぞれにご飯や煮物、焼き物などを区別して盛り分けられるようになっている。この弁当箱は十字に仕切られていることから、食材同士の匂いや水分が混ざらず、見栄え(料理と器の取り合わせ)も良い。庭園・美術館敷地内に「吉兆」松花堂店が営業している。
石清水八幡宮の一の鳥居
石清水八幡宮が鎮座する京都府八幡市の男山は、木津川・宇治川・桂川の三川が合流し淀川となる地点を挟んで天王山と対峙する位置にあり、京・難波間の交通の要地である。また、南北朝時代の大小様々な戦い、羽柴秀吉と明智光秀の天王山の合戦などで知られる政治上の重要な拠点でもある。男山は都からみて裏鬼門(西南の方角)に位置し、鬼門(東北の方角)に位置する比叡山延暦寺とともに都の守護、国家鎮護の社として篤い崇敬を受けてきた。この経済上、政治上、そして信仰上の要の地に鎮座し、日本を平和と繁栄に導く神として多くの人々に崇敬されている。八幡大神を祀る神社は全国津々浦々に約4万社ある。
徒然草 第五十二段
仁和寺にある法師、年寄るまで石清水を拝まざりければ、心うく覚えて、ある時思ひ立ちて、たゞひとり、徒歩より詣でけり。極楽寺・高良などを拝みて、かばかりと心得て帰りにけり。さて、かたへの人にあひて、「年比思ひつること、果し侍りぬ。聞きしにも過ぎて尊くこそおはしけれ。そも、参りたる人ごとに山へ登りしは、何事かありけん、ゆかしかりしかど、神へ参るこそ本意なれと思ひて、山までは見ず」とぞ言ひける。少しのことにも、先達はあらまほしき事なり。
極楽寺・高良は石清水八幡宮付属の極楽寺と高良神社
高良神社境内のタブノキ
前の広場は駐車場として使われて、ひっそりとしているが、往時はもっと広く絢爛に賑わっていたものと思われる。
石清水八幡。二の鳥居
ここから三の鳥居まで、坂道と石段を約40分ぐらいだろう。小生は、ケーブルカーで登って、この表参道を降りてきたのだが。
中腹の裏参道脇に岩清水の名の由来となった井戸がある。ホームページの紹介では、「石清水は、厳冬にも凍らず大旱にも涸れない霊泉として、男山五水の中でも特に尊ばれ、往古より皇室および将軍家の祈祷にあたっては、この霊水を山上の本宮に献供するのを例としていました。その際、神前に供された石清水を「御香水」といいます。」
三の鳥居をくぐり、本殿へ。
左下の公園には、エジソン記念館がある。白熱灯のフィラメントにこの山の竹が特に選ばれて使われたことによる。とのこと。
境内入り口
「南総門から社殿を見ると、社殿が少し西側を向いている。参拝の帰りに八幡大神にまともに背を向けないようにするため」とのこと。
手前、清盛が舞った舞台。
「平安時代始め、清和天皇の貞観元(859)年、南都大安寺の僧・行教律師は豊前国(現・大分県)宇佐宮にこもり日夜熱祷を捧げ、八幡大神様の「吾れ都近き男山の峯に移座して国家を鎮護せん」との御託宣を蒙り、同年男山の峯に御神霊を御奉安申し上げたのが当宮の起源です。そして朝廷は翌年同所に六宇の宝殿(ろくうのほうでん)を造営し4月3日に御遷座されました。」
「天慶2(939)年に起こった平将門・藤原純友の乱の折には、朝廷よりご請願があり八幡大神様の御神威をもって速やかに平定されて以来、国家鎮護の社として朝廷の崇敬は益々篤いものとなり、 天皇の行幸や上皇の御幸は、円融天皇(第64代)の御親拝以来実に240度にも及び、伊勢の神宮に次ぐ第二の宗廟とも称されました。」
「当宮の御祭神は御本殿中央に応神天皇様、西に比淘蜷_様、東に神功皇后様をお祀りしています。この御本殿に鎮まる三座の神々を総称して八幡三所大神(八幡大神)様と申し上げます。」
本殿装飾。立派なので写真に撮りましたが、やはり、蘊蓄があるようです。
「社殿の顔である楼門の正面には、蟇股部分に一対の向かい合う鳩の錺金具(かざりかなぐ)があり、よく見ると向かって右側の鳩は少し口を開けています。神使である鳩が社殿の正面にて狛犬と同様に阿吽の呼吸で御神前をお守りしています。また、その双鳩の少し上を見上げると、極彩色の壮麗な龍虎の欄間彫刻が施されています。南に朱雀、東に青龍、西に白虎、北に玄武という四方を守護する四神(神獣)の関係から考えると、当宮の龍虎の彫刻は東に虎、西に龍の彫刻が配置されており、これは、御祭神を祀る位置と順番に合わせて逆に配置されているとも、現在の社殿の修造した徳川家光公の生まれ年が辰年であり、家光公が尊崇した徳川家康公は虎年生まれであるため、自分の干支が尊敬する家康公の干支よりも上位(=東、下位=西)の位置に配することのないよう家光公が配慮したともいわれています。」石清水八幡社ホームページより
ケーブルカーから
本殿裏手に展望台とケーブルカー乗り場がある。宇治から京都市街地、比叡山、嵐山の眺望がよい。
一の鳥居前、名物老舗菓子店。
明和元年(1764年)、大津追分の地で走井の名水を用いて、井口市郎右衛門正勝が餡餅を作ったことに始まる。
形は三條小鍛治宗近が走井の名水で名剣を鍛えたとの故事にちなみ、刀の荒身を表している。と、お店のチラシに書いてあるが、
ちょうど、餃子を押しつぶしたような感じ。八幡さんに登って降りてきたら、この甘味はとてもおいしいだろう。
大阪、住吉大社の手水舎(ちょうずや)。何でウサギ?
御鎮座(創建)が神功皇后摂政十一年(211)辛卯年(かのとうのとし)の卯月の卯日である御縁により奉納されたことによるらしい。
婚礼後の行列。めでたし、めでたし。