Piano Lessonにおける注意事項

これから、レッスンを受けるみなさんへの助言をまとめてみました。


複数の先生に指導を受けるメリット&デメリット

 高校や大学にて、どうしても、今まで指導受けていた先生とは別の先生に指導を受けなければならないことがよくありますね。そういう場合、どうしますか?

ご紹介あるいは、つながりにて、指導を受けることになったコネ型

学校で、ランダムに振り分けられ、先生が決まった偶然型。

自分からつきたい意志表明した自己開発型の3通りが考えられます。

コネ型場合

 そういう場合は、以前の先生が今度の先生に見ていただくマナーや方法を伝授下さるでしょう。先生へご挨拶することからはじまり、先生に失礼のないように、細かい指導がなされるはずです。礼儀をつくすなら、先生宅に伺い正式に見ていただく主旨を話し、これからの何年間、よろしくお願い致しますとの、挨拶を行います。こういう場合、丁寧な先生ならば、生徒さんと親御さんにくっついて、ご指導をあおぐお願いをするでしょう。

こうやって、お願いされた先生は、自分に責任をもち、自分が生徒のために役に立ちたいと心をあらたに、責任感と使命感をもって、レッスンしていくでしょう。こういう場合は、先生同士のコミュニケーションもスムーズにあるので、情報交換ができてるという利点があります。生徒もその関係を考え、両方の先生の関係を壊さないようにと、いろんな意味で気遣いするようになります。

先生も生徒のために、たとえば、コンサート等での出演やその生徒の将来まで考えるようになります。(生徒はこのことは以外に知らないことがあります。)また、他の外国の先生とのマスタークラス等の講座&公開レッスン等、積極的に参加し、生徒の力が大いに成長する可能性が大きいです。コンクールへの参加も同じ事が言えるでしょう。

ただ、生徒が先生にたいしての不満があっても、なかなかこういう関係を思えば、自分のわがままは言えない状況に陥ることもあします。

紹介型の場合、以前の先生との関係が濃い場合は、困ることがあります。こういう場合、先生によっては、学校の指導者の言うとおりにはさせずに、以前の先生が生徒をコントロールしてしまうケースがたまに起きます。生徒の選曲やその他の指示までやってしまいます。この場合、学校の先生がかなり柔軟性がある先生だったら、個人レッスンをしようがしまいが関係ありません。この生徒の裏にはある指導者がいるわけだから、あまり、深く入り込まないように(悪く言えば適当に時間をこなせばよい)商売型レッスンを始めます。こういう場合、生徒さんがしたたかでないと、絶対、関係は崩れます。

あくまで、幼少の頃からレッスンした先生が責任をもってその子を一人前にしてくださるなら別ですが、裏で手を回すような方法は賛成しません。もし、何らかで補助的に指導するなら、《必ず学校の担当の先生の言うことを聴きなさい。先生達の言うことが違っても、学校の先生がA って言ったら、Aでやりなさい》つまり、担当の先生を第一に考えさせる方法をとります。あくまで、こちらは補助なんだという立場を通すべきです。やはり、学校でその先生との出会いがあったわけですか、その先生の良い点を学びなさいという指導をするべきではないかと、思います。

ところが、以外にそういう‘ふところ’の大きい先生は少ないのが現状です。小生のところに来た、小学校の4年生。たまたま、ある紹介で来たのですが、2回でやめて行きました。前の先生が陰で、選曲にしても、何にしても指示を出していたようです。こういう先生はまったく困ります。頼んだのならまかせてほしいなぁ。

生徒さんは、学校の指導者と個人レッスンの指導者が、もし異なるタイプの2人であった場合、かなりのセンスと、複数の指導についていく柔軟性とテクニック、音楽的許容量の大きさがあることが条件です。そうでない場合は複数の先生のレッスンはまずうまく行かないでしょう。

 ただ、卒業して複数の先生の指示を仰ぐことも、時にはあるでしょう。こういう場合、ヨーロッパでも同じことがいえますが、先生のイメージした音楽に同調しない演奏家はやはり、うまく行きません。ということは、先生の指導していただく音楽に対して、素直に聴く心と耳そして頭をもっていることが条件です。先生が音楽をつくるという意味ではありません。先生のイメージを理解しようとする柔軟性があるかどうかということです。

複数の先生に見ていただく場合−良い点

声楽の方々が発声の先生と音楽をつくる先生と2人いるように、ピアニストにも複数いてもかまわないでしょう。しかし、後で書きますが、真の意味でその子の精神的な指揮官は一人ということを忘れてはいけません。

 たとえば、コンクールで必死に勉強している子どもが、がらっと変わることがあります。まるで、魔法にかかったように。コンクール等、他の先生の見方ですごく成長する子。普段、先生がおっしゃってもなかなか直らないのに、指導のアプローチを変えただけで、すんなり修正できる子がいることです。こういう場合は、目から鱗。秘策を伝授していただいた指導に心より感謝したいことがあります。悩んでいた問題を一言で変化させてしまうんですから。

でもこういう場合も常日頃からの指導があったからこそ、またその子も努力して来たから、すぐ直せる、ということもあるのです。みていただいた先生だけに感謝するのではなく、普段の先生にも感謝すべきです。

 一番の利点は、いろんな角度から演奏を分析して追求できることでしょう。作曲家の観点から曲をとらえる、そんなレッスンをしていただいたなら、幸福ですね。曲の構造、和声分析、調性、作曲家がおっしゃることは、何よりためになります。小生も作曲理論の先生に必ず見ていただいています。曲を指だけでなく、頭で理解することは、演奏が上達する近道です。暗譜が確かになり、自信をもって演奏ができるようになります。

 理論の先生に、ベートーヴェンのソナタをもとに還元楽譜をつくらされたりします。和声進行が明確に追えるようになります。

 また、指揮者の観点からレッスンを受けることも良い方法ですね。

 以前、ベートーヴェン・ソナタのOP.109をウォルフガング・サヴァリッシュがレッスンしていたのを見たことがありました。これは、感動的でした。指揮者は音楽の全体構造を把握しているので、とくにベートーヴェンなんかはピアノソナタもオーケストラの響きに捉えていきます。

こんなレッスンを受講できたらなんて幸福でしょう。と小生は思います。

ほんとの指揮官は一人

 先日、浜松国際コンクールを受験し見事入賞したS君ですら、N先生が2週間、つきっきりだったようです。

そのくらいの絆がなければ、だめです。2人に同時に見てもらって、うまく行くはずがないでしょう。マラソンの高橋尚子だって、監督はあのひげの有名な人ぐらい。誰でも理解できるでしょう。もちろん、監督は一人ですが、コーチ(補助)は何人もいるのです。指揮官は一人に決まっています。自分の中で、指揮官を誰にするか、それが決めることが、うまく行くか行かないかの境目でしょう。

先生のほうにも柔軟性があればよいのでが、ない場合は、たぶん、うまく行かないでしょうね。生徒は先生の心も動かすだけの努力と誠意と情熱をもつ必要があります。先生だって人間です。一生懸命な心にはうたれるのです。

偶然型レッスンの場合

 たまたま、学校の先生が偶然決定した生徒さんは、まったく、見たことも聞いたこともない先生に指導を受けるわけですから、これは実に不安感が伴うことでしょう。先生もどんな性格の子なのか、どんな力を持っているのか、(1回聴けば多くは洞察できますが)深いところの把握は困難です。まして、ピアノ以外の得意なものや人間的な魅力を理解しろって言ったって、それは、不可能です。

 こういう場合の問題点の多くは、生徒と先生との関係がうまくいかなくなることです。時間をかけて、そうですね、学校でしたら1年に22回23回のレッスンをやる中で、その子の性格にも慣れ、生徒も先生に慣れ、いよいよ、自分も主張できるようになるのは、3年になってからというのが、大学の場合、多いですね。どうしても、慣れずに、担当を変えたいと申し出る子もいます。

生徒の皆さんが心がけること

まずコミュニケーション

 その先生に一番早く慣れるコツは、まず、コミュニケーションをうまくはかれるかどうかです。先生に質問ができるようになれば、しめたもの。受験生でようやく、『ここが、わからないので教えてください』という言葉が出てくれば、先生としては、何をその子にアドバイスしたら良いのか、指導方針が明確になります。しかし、この『ここが、わからないので教えてください』が、なかなか言えないのが現状です。つまり、生徒さんは何を質問して良いのかがわからない、ということが多々あるようです。自分は何がわからないのかを明確にすることはとても重要なことです。

 昨年、ドイツ、マンハイムにてカールスルーエ音大、マンハイム音大のマスタークラスのレッスンを聴講しましたが、この時、どんどん先生に質問し、また、先生の質問にも明確に自分がどう考えているのか主張した姿がありました。『私はこう思うけど先生はどう考える?』まで言います。そういう姿を見ると、まだまだ、日本の学生は、自主性がないなあ、と、痛感したものです。自分から質問するような、自己主張と明るさと頭脳明晰さが備われば、日本の将来も希望が見えると思いますが、どうでしょうか?

質問事項

 試験や発表会、コンクール等、どういう服装が良いのか、細かく先生に伺うことも大切です。

また、今レッスンを受けている先生から他の先生に紹介していただく場合もいろいろとうかがっておくことはあるでしょう。

たとえば、受験生はピアノの術科のみならず、第2志望を受ける場合は、声楽や楽典等の科目があります。

 よく、ピアノの先生の紹介で声楽の先生に歌(音大ではコールユーブンゲン、新曲等、コンコーネ)をレッスンしていただく場合があります。この様なとき、レッスンにうかがう前に留意点を聞いておくことは実に大切です。初めてのレッスンに、まさかジーパンで行かないで下さいよ。いたんです・・、過去に。ジーパンは最近ではおしゃれセレブがパーティでも身につけていますが、クラシックの世界ではやはり作業着とみなされても仕方の無いこと。まして、はじめてのお宅に訪問する時には、音楽家でなくてもジーパンは避けたいもの。TPOです。

 こういう服装でくる人は音楽のフレーズも、Gパン的フレーズになります。もともと、音楽は昔、ムシケという音楽の女神に捧げるものでした。それから、時代が過ぎ、王様のものになり、18世紀に入って、市民のものになった。ハイドンやベートーヴェンの時代のものは、折り目正しい規律を表現したものです。この規律が正しいテンポであったり、リズムであったり、フレーズであったりするわけです。その人、自身にも、人間的規律をもった人にならなければいけません。試験というのは、面接みたいなものです。ピアノ演奏に言葉はありませんが、充分、音楽の言葉は発しているのです。

うまくコミュニケーションができない人は

うまく話ができない人はまずは、模擬練習をしてみよう。人との話の方法

理想は

 先生を好きになることです。先生の人柄、テクニック、音楽性、雰囲気を好きになることが一番の近道です。

 次に、積極的に先生の門下にとけ込もうと努力することです。門下に知っている人が一人もいないとか、いつも単独で行動するほうが好きという人は別ですが、友人を早くもつことでしょう。レッスンを受けることより、まず、楽しみを見つけることからはじめましょう。門下の催しに参加し、帰りに友人とお茶をのむ。こういうのもいいですね。また、先生とふれあう時間をなるべく多くすることです。ふれあう時間というのは、先生に積極的にレッスンをお願いするのもよし、わからないことを聞くのもよし。

こんな例があります

 『はじめて、我が家にレッスンに来た大学2年生。はじめはコチコチになり、まったく話もできなかった。お茶を出しても、お菓子を出してものどを通らない様子。しかし、何回か通ううちに、次第に言うことを聞くようになり、自らどんどん話ができるようになった。試験の時の服装や声楽の先生のレッスンに伺う時の留意事項まで、聞くようになった。』

これは何回か通う中で、自分自身を表現できるようになった証拠です。もともと、性格の素直な明るい子だったので、話もできるようになったんでしょう。

 私事を言えば、自分が見ていただくレッスンにおいて、先生が例えば、模範に弾いて下さって、良い演奏をしたのなら、『きれいでした』と感想を述べるようにしています。先生だって、ほめられれば、嬉しいものです。しかし、上からものを見たような言い方は避けるべきでしょう。尊敬している心を伝えることが、良いStudentsになる秘訣です。

先生が心がけること

 まだ期間が浅い生徒さんをレッスンする場合、なるべくその子の人柄をみるために、話をしてあげることがまず、大切でしょう。ただ、その時にはじめから雄弁な人は少ないでしょうから、自然にその人なりをよく観察して、一歩ひいた距離をもつことが重要です。

小生は慣れさせるために、まず門下の催しを行います。新入生歓迎会や食事会等を企画し、おいしいお店にでかける、とか、、、、、

その時に、先生の考えや先生自身のことを話すのもいいでしょう。リラックスする空間をつくってあげることが重要です。できたら笑顔の空間が一番良い。だからこういう時に遊びが必要ですね。好きな食べ物は?趣味はなんなのか?好きな芸能人とか、役者とか?その子の好きなものを聞くようにしています。

また、新入生を迎えるにあたって、門下全員、時には保護者にも、あらかじめ、新しい生徒が入門するむねを伝え、気持ちよく受け入れられるよう、雰囲気づくりを整えます。

難しい生徒

 あまり全体行動が好きではない人、協調性のない人、無口な人、こちらの話に対して反応がない人、こういう人達が一番困りますね。こういう人の場合は、じっくり時間をかけて解きほぐすより他、方法はありません。こういう人は、いつ、どこでも、誰に対しても同じなわけで、レッスンだから、無口になるということではないのです。

 また、精神的にむずかしい生徒さんの場合は、逆に門下全体に影響を及ぼすことがあります。

そういう場合は一人のために門下の雰囲気が悪くなったらたいへんです。充分注意し、乱れがないようにしなければなりません。

いずれにしても重要なことは門下の人間関係をよくすることです。案外、学生のほうが先に気づき、前向きです。先生が考えているより、はるかに先に進むこともあります。先に進むというのは、新人さんが自然にとけ込む雰囲気をつくる、という意味です。

自己開発型レッスンの場合

 これは生徒が先生を選ぶ場合です。たとえば、先生の公開レッスンや演奏会に言って、ぜひこの先生に見ていただきたい、という自己申告を行った生徒さんのことです。先生は生徒に選ばれたわけです。どうしても、この先生に見ていただきたいという意志は、先生から見れば、教師冥利につきます。ただ、先生も人間です。選ぶ権利はあるとおっしゃるかもしれません。生徒がいくら、そうエールを送っても、必ずしも先生と相思相愛というわけにはいきません。が、自分から切り開く力のある人は実に頼もしい。しかし、なんらかの目的や、もくろみ?があって先生に見ていただくことがある時、実にけしからんことが起きます。

 それは、コンクールに優勝したいから審査員の先生にみていただく、とか、ある大学に受かりたいから、その大学の先生に見ていただくといった場合です。合格しようとする高校や大学の教員にレッスンをあおぐことは、クラシックの場合よくあることです。傾向と対策がはっきりわかりますからね。

 さぁそこで。合格したら、もう先生は用はないのでさようなら。これはさびしいですね。でも以外に多いんですよ。

こういう場合、小生は自分のつとめている大学を選んでくれたことに感謝し、私とは縁がなかった、と思うようにしていますが。


生徒に求めるもの&先生に求めるもの』

新しい先生にはじめてレッスンを受ける時の悩み
 もし、あなたが、今まで師事してきた先生とまったく性格の異なる先生に出会ったら、どう対処しますか?どうしても、その先生に迎合できない場合、どうしますか?
 この問題をかかえている生徒さんは意外に多いのではないでしょうか。
 下記のような経験がありませんか?

 今の指導者と過去指導を受けた先生との相違点は
1. 前の先生は発表会をやって(くれたorくれない)
2. 生徒思いの良い先生(であるorではない)
3. 選曲も先生が決めて(くれたorくれない)
4. 自分の身体機能にあわせた指導をして(くれたorくれない)
5. 音楽以外のことをよく話して(くれたorくれない)
6. 週に何回でも家で見て(くれたorくれない)
7. 練習しなくても、渾身丁寧に決められた時間をレッスンして(くれたorくれない)
8. 高校時代のあるいは中学校の合唱コンクールの伴奏も見て(くれたorくれない)
9.読譜だけではなく、テクニック、(弾き方)を教えて(くれたorくれない)
10.自分の弾き方を認めて(くれたorくれない)
11.きれいな響きを教えて(くれたorくれない)


今の生徒が先生に求めるもの?
1、 自分の欠点を指摘してほしい
2、 テクニックについて学びたい
  指が動くトレーニング方法は?きれいな音色を出す方法は?ショパンエチュードがうまくなりたい、そのこつは?
3、 自分の演奏家としての技術の向上
  音楽的な諸問題 テンポ、リズム、歌い方、フレージング 調性 暗譜の方法
4、 良いピアニストになるためには何が必要なのか?
5、 良い指導者になるためには何が必要なのか?
6、 グレード試験に合格する方法は?
7、 伴奏付けができるようになるためには?
8、 音大に合格するために?
10、コンサートを成功するためには?
11、担当者を変更したい
以上のようなことが考えられますね。

生徒が先生を選ぶ時代に突入
一昔(今から10年前、1990年代まで)はピアノの先生がどんなに独裁的であったとしても、生徒さんは、こういう先生だから、こういうつきあいをすれば良いという風に冷静に割り切って、人間関係を持って来たと思う。現在は、まったく、異なる。それは、ピアノの人口が減って来たこと。先生が有り余って、少子化に伴い生徒が激変して来たこと。これにつきる。こういう時代だからこそ、生徒の考えも変化して来た。ある意味では生徒のわがままでしかないこともある。
 ある大学においての実話である。
生徒A「私は○曜日しか、大学へ行きません。だから、○曜日に出勤する先生を希望します」もし、その生徒の希望する曜日に先生がたまたま出勤していない場合があるなら、そんな時はその生徒、こう言った。「だったら、私の希望する曜日に先生を雇ってください」
すでにピアノの先生が、生徒の機嫌を考え、生徒が望むような、レッスンをしなければならない時代となった。

生徒に求めるもの(教師の立場から)

先生から見た良い生徒とは
1 自分の考え、意見をしっかり持っている生徒 指示待ち症候群ではない生徒・・・・言われなくても自分の道を切り開いていける生徒
2 素直に先生の考えを受け入れる心の姿勢がある生徒
3 自分とはまったくキャラクターが異なる生徒
4 すばらしい発想をしてくれる生徒
5 知識をふくらまそうとする生徒
6 1知って10知ろうとする生徒
7 先生に反論を言える生徒(ただし、先生と生徒とのコミュニケーションが確立しているのが条件である)
8 言われたことをすぐやる実践力のある生徒
9 先生以上に耳の良い生徒
10 先生以上にものを知っている生徒 音楽の知識のみならず、多くの知識を持っている生徒
11、多くの言語を話すことができる生徒 フランス語 ドイツ語 イタリア語 スペイン語 韓国語 中国語 
12、多くの友人がいる生徒 音楽ではない他の分野の友人がいる生徒
13、決められた時間に正確な生徒
14 先生の得意な分野、得意な曲を理解している生徒
15 先生があなたにあわせてくれることを期待するのでなく、自分が先生に迎合する柔軟性のある生徒
16 すこしくらい厳しくしても、泣き言を言わない、神経の太さを持つ自分のためにきびしく言ってくださっているということを忘れない生徒
17 演奏解釈が異なっても柔軟に対応できる生徒 以前の先生との指導の比較をして文句を言わない生徒
18 先生の音楽はあくまでサンプル 自分で自分自身の音楽を想像できる生徒 しかし、先生の音楽をとことん身体で表現してみることは必要
20 人の演奏 先生の演奏 クラスメイトの演奏 先輩の演奏をよく聴く生徒
21 きちんと挨拶ができるマナーを持っている生徒
22 話が個人的にも多くの人の前でも恥ずかしがらずに、語ることのできる生徒

23 身体も心も健康な生徒 

24 レッスンを1回も欠席しない生徒

25 食事をご馳走して、ちゃんとお礼の言える生徒 感謝の心を持っている生徒、《おいしかったからまた、おごって!》と言える生徒

26 アンサンブルができる生徒(コンチェルト、リートの伴奏、合唱の伴奏、ヴァイオリン等器楽の伴奏)

 以上のような内容の逆を考えて見てください。人から学ぶ時に必要なことかもしれません。こういうことを先生は考えているんだったら、生徒はもっとしたたかになって、先生の先を行くようにしてみましょう。先生を越えることが、先生にとって最も喜ぶべきことなのです。

あなたはどんな悩みを持っていますか?

生徒の心の柔軟性があれば、はじめに、書いたような多くの問題はすぐ解決できます。生徒さんが先生のこういう点が好きとか、先生の良い点を即座に把握できる脳ができていれば、大丈夫です。どんなきびしい先生だって一つくらいは良いところがあるはずです。先生の良いところを、学ぶ目を養ってほしいです。不満の一つや二つくらいあるでしょうが、先生のこんなところが素敵だと、思えるような心があれば、大丈夫。

反対に先生だって、同じことが言えますね。一番の役割は生徒の素敵な点を、引き出してあげることでしょう。
しかし、残念ながら生徒さんのほうの柔軟性が絶対、近年、変化しているのは確かです。

大学の教員へ忠告

謙虚さを忘れない

ある大学独裁的な先生、警告ですよ。たとえば大学の先生を現役でやっている時は先生、学生に先生って言われますが、退職したら、ただの人です。生徒は先生を相手にしてくれませんよ。心でふれあう事を怠った先生は、生徒さんが寄り添って行かなくなるでしょう。謙虚さが必要です。生徒がいるから、ごはんを食べていることを忘れないことです。演奏家として、生きている人は別ですが。

ピアノの先生の問題点

どうしても、個人レッスンを行っているため、組織の中で、その子をどういう風な役割を与えたら良いのか?うまく行かないことがあります。せっかく、人間的に良いものを持っていても、ただピアノの技術がないだけで、音楽的にも人間的にも決めつけてしまうこと。これは、大きな誤りですね。

また、全体で何か一つのものを創造しようした時、協調性のない先生は人の意見を聞こうとせずに、自分よがりに、行動をとることがあります。これは、ふだん、自分が先生、先生って言われて、一番、頂点に立っているという錯覚が招いた罠ですね。

人をほめるのは大勢の人の前、叱るのは個人的にという話をよく聞きますね。私にとっても胸が痛い話ですが。生徒を叱る時はそれなりの覚悟で叱りましょう。

 学校という組織、社会という組織に入って、われわれは、仕事をしているわけです。先生の人間的な欠点が生徒に反映することほど、おそろしことはないですね。全体をまとめることの難しさは、はかりしれません。どうやったら、自分が人々のためになるのか、誠意を持たない人は実になげかわしいことです。

だから、先生一人でその子を育てようなんていう傲慢な考えは捨てるべきです。たとえば、音大生だったら、食堂のおばさんが、重要な話をしてくれるかもしれません。図書館の職員の方々が、実に研究のリサーチの手ほどきをしてくださいます。術科の先生だけでなく、他の学科の先生が人生を語ってくださるかもしれません。もちろん、学長はじめ、多くの先生がたの、知識や思想がその一人の学生の大きな手引きになることは高いのです。自分が育てたなどという、世界は自分中心に回っているような、自己中心的な考えは捨てるべきでしょう。そんな先生にはならぬように心がけて行きましょう。

まとめ

自分にとって最高の先生とは?

私はこう思います。これはいつの世も同じことの繰り返しです。世の中に、生徒思いの先生がいればいない先生もいます。あまり、考えない学生もいればすごく考える学生もいます。
いつの世も、いろんなタイプの人間がいます。ただ、心の余裕がある人は必ず、心でものを見ている学生もいれば先生もいます。
最終的にはいかに柔軟な感性を持っているか?こんな時代だからこそ、ほんとの豊かさを求めることが重要だということが言えるのではないでしょうか?

あなたにとって最高の先生はあなたの心の中にいる先生です。



レッスンの受け方

Piano Lessonにおける注意事項

これから、レッスンを受けるみなさんへ助言をまとめてみました。

すでにピアノのレッスンを受けている人、あるいは、これから、始めようという人、すでに、何十年もやっている人、再確認しましょう。

レッスンというものがどういう価値があり、ピアノを学ぶ意義はどんなところにあるのか?何かヒントになるかもしれません。

服装

 どうでもいいか?よくありません。一昔はGパンはダメ、って注意していましたが、今は言いません。ただ、試験の時は絶対、はくな。

ミュール、ブーツもダメ。ブーツでペダルは踏めません。pedalは数ミリのコントロールで踏みます。1/2。1/3,1/4,繊細なペダルは右足の親指で数ミり踏みます。特にショパンの作品をひく時ほど、ペダルの使用の細かさに、ブーツで耐えられるわけがありません。ナンセンスです。

 はじめて、先生のお宅に伺う時は、Gパンはさけた方が良いですね。弾きにくい服装、だぶだぶのセーターとか?肌丸出しのカッコウとか?

服装のセンスは必要ないか?大ありです。センスのない人はピー子に叱られますよ。

玄関へ
 必ず、靴は揃えてお脱ぎ下さい。部屋へ入る時はコート類は脱いでから、入りましょう。レッスン室に入る際、軽くノックをするのは当然でしょう。

練習方法 

 もう、何回かレッスンを受けている人は先生が来ない場合は、どんどん練習していてください。ピアノは飾り物ではありません。自分からどんどん弾いて下さい。飾り物にしているお宅もありますから、そういうお方には注意下さいね。指紋が付くとか言って叱られるかもしれませんよ。

はじめてレッスンを受ける生徒さんは、ちょっと、弾けないかな?でも、弾いていて、先生が来たら「弾かせていただきましたと言えばよい、子どもはちょっと、無理でしょうね」
 練習の方法は、両手で通すだけで、意味のない、何も考えのない練習はしないほうがいいです。

 1.左手 2.ゆっくり 3.部分練習

一番、賢い練習はスケールとアルペジオを弾くことでしょうね。これは、プロの技。いきなり、曲を弾くようでは、まだまだ青い青い。わかっていない。その曲の調性 近親調のスケールを指ならしするようにすべきでしょう。できたら、そのピアノがどんな響きで、残響か、音色で、自分の家のピアノとの相違点、ペダルはどうか?タッチは?アフタータッチは?音のピッチは?(先生のピアノだって、たぶん、その先生や生徒さんががんがん弾けば当然、狂うでしょう。音のピッチのこともわからない人もいますね。緊張しまくっていて自分の出している音を聴いていない人も多いです。

私のところに来ている小学校1年生だって、「先生のピアノの鍵盤は段がついている」って、すでに、アフタータッチのことを把握しようと気づきはじめています。エスケープメントのことぐらい知らない人は、グランドピアノは弾かないでほしい。セバスチャン・エラールの発明したWアクションのことですよ。小学校1年生が把握して大学生が理解していないのは、絶対おかしい。音に対して興味がなさすぎです。こういう人はごめんなさい。ろくな音は出せません。アフタータッチをちゃんと、どのくらいなのか調整してレッスンを受けるべきです。多くの先生はこのことは、指導してくださるはずです。わからなければ、調律師さんに聴いてください。必ず、教えてくださいます。もし、こういう質問を演奏者がしなければ、調律師さんは、あなたを甘く見ますよ。この程度のことしか認識がない人は調律もいいかげんにします。(実際、自分もひどい目にありました)人間というものは人を見て判断し、仕事もするのです。ピアノを弾く人は絶対、アフタータッチの問題をどういう程度にしたいか、調律師さんに言って、注文をつけるべきです。優秀な調律師さんは必ず、あなたの希望に合わせてくれます。繰り返しますが、Wアクションのことを言わなければ、いけません。

ピアノには歴史的に見て、ウィーン式(跳ね上げアクションWiener Mechanik Prellzungenmechanik)

1802年までのベートーヴェンのピアノ創作はこのウィーン式を前提にしていた。パセティークOp.13やテンペストOp.31-2のソナタ等。

一方、開発されたものにイギリス式のアクション(Englische Mechanik,Stoァzungenmechanik)が開発された。1796年以降フランスのセバスチャン・エラールが改良開発したWアクション。ベートーヴェンがイギリス式を知ったのは1803年にエラールが贈ったピアノである。このピアノで作曲したのがあのワルトシュタイン・ソナタである。シュトライヒャのピアノは二弦張りなのに、エラールのピアノは3弦張り。ペダルはシュトライヒャーが膝てこなのに、エラールは4つの足ペダルであった。しかし、ベートーヴェンは初め、エラールのピアノに不満足であった。しかし、このピアノによって大きな刺激を受けて作曲するようになっていった。熱情ソナタもこのエラールのピアノなしに考えられないのである。三連符の音は連打ができないとまったく演奏困難になる。

暗譜の問題

 ピアニストの一生の課題でしょう。脳に関係があります。脳にどれだけの情報量を記憶するかでしょうね。勉強ができる頭ではありません。学科ができる頭と比例しているところもあるし、ないところもあります。頭がよくなければピアノは弾けません。人が聴いているという神経が働いただけで、緊張して間違う生徒さんがいます。(筆者も時にはそうなる)そうなるだろうということも予想してそういう情報を脳に入れるんです。だから、MATSUI やICHIROは満員の観衆のことも脳に入れているんだと思います。練習時にイメージしているんです。自分が打席にたつとき、何を考え、感じているのか。どういう心でどういう体勢で打つか、腕の具合、手首の位置、頭の位置、腰の位置等、脳で覚えているんだと思う。ただ、脳で覚えたことと、実際、自分の身体を客観的に分析する時の微妙なずれが、彼らの最大の敵なんだろうと筆者は思います。全部脳で感じているんだと思います。

ピアノも同じです。よく本番が弱い人はこれができないんです。本番時に心臓のどきどきを予想できる人が脳の働きが良い人です。

 次も違い。まず、音楽的な誤りを犯す人は左手に原因があることがほとんどですね。苦労することは明確です。左手のみ、もし、覚えることができなければ、譜面に書いて覚えてみること。自分の弾いている曲を譜面に書くこと。これが案外、近道かもしれません。調性の問題や和声の問題等が一番大きなヒントでしょう。

あと、旋律を大きな声で歌ってみること。一人で歌ってもだめ、人がいる中で歌える人であればなお良いです。歌うことができれば、頭で音を鳴らせられます。まるで指揮者のスコアーを読むのと何ら変わらないことです。

 旋律だかなんだかわからない弾き方をする人。ただ棒弾きで音を出す人。その曲の中のその音しか弾けないピアニストがいるから、ジャズのプレイヤーに馬鹿にされるんです。伴奏付けができないような人はまず、暗譜に問題あり。本番で、暗譜でとちります。ミスは誰でもあるわけで、ミスした時の修正の仕方が、伴奏付けできる人はまったく異なります。それでも間違えるのは、時の運です。いなおりも、対処の方法としては、雑な方法ですが、この思い切りも大切。ちょっとミスしただけで、うじうじする人いませんか?

表現の問題

 ピアノは指だけでなく、言葉でも、身体でも、表現できなければならない。指揮者に転向する大ピアニストがいますね。今度、N郷を振るアシュケナージやバレンボイム、チョンミュンフンなんて今は完全に指揮者になってしまった。ピアノだけでは物足りないんですね。自分でこうしたいという音楽作りをして、誰かが自分の音楽のように演奏してくれるんだから、これほど、楽しいことはありません。表現力を身につける方法は、歌を聴くこと。アンサンブルをすること。ですね。人の演奏を聴き、自分とは異なる、フレーズの空間を即興することが、表現力を身につける最良の方法です。その時、ただただ、一方的に合わせているような、主張性のないひとはこれもだめ。人の意見を聞き、自らも主張するところにアンサンブルの妙技があるわけです。

アンサンブルのすすめ(先生と生徒あるいは生徒同士でもかまわない)

高度な音楽処理能力が必要である。使用楽器は2台ピアノ、曲目はツェルニーのエチュード、バッハのシンフォニア等。

 生徒さんに右手を弾かせて先生が左手を弾く。あるいは、逆でも良い。テンポは先生がリードする。早くも、遅くも、生徒は先生のテンポに合わせる練習をする。たとえば、曲の中で、わざと、テンポを変化させてみる。作曲家への冒涜と言われるかもしれないが、音を聞く練習だ。先生だってミスするかもしれないことを、生徒に言って、相手の音を聞き、合わせる練習をする。生徒がそれについてくれば、生徒は聞く耳をもっていることになる。テンポを自由自在に動かして、生徒がちゃんとついてくるかどうか、先生が判断する。(テンポにおける感性)

つぎに、強弱を聴く耳を養う。先生の弾く音を聞きながら、瞬時に、判断できるかどうかを鍛える。(Dynamicにおける感性)

急にフォルテにしてみたり、ピアノにしてみたりする。瞬時に判断できるかどうか、訓練させる。

繰り返しの時はわざと、リピートしてみたり、無しでやったり、いつも、同じではないことを前もって言っておき、瞬時に判断し、曲をつなげるようにする。(瞬時の即興性)

曲のはじめは、先生はアインザッツを必ず与えること。たとえば、アウフタクトの場合は、予備拍をとってから、生徒にサインをおくる。指揮者の役割を果たすようにする。前拍を必ず、見るようにさせる。生徒は先生を見るゆとりが、なければ、いけない。自分の弾くことで、いっぱいいっぱいになている生徒はアンサンブルはできない。先生を指揮者として、見させるように、先生は生徒をオーケストラのメンバーとしてコントロールする。(呼吸における感性)

最も最高なセンスは

 言葉を言わずに、その場の空気を読むことができる演奏家です。何も言わずと、何をすべきか、先の洞察力がある人は最高です。

 これができればプロです。アンサンブルの楽しみを知った人は芸術が何倍も喜びを感じ、感性を育てることができる。どんな弾き手にも不可能ではありません。先生がちゃんと、その空気を感じさせてあげれば必ず出来ます。あなたもプロになれます。声楽は言葉という明確なツールがある。これが、リズムやフレーズを作り出す。しかし、時にはその言葉も、限定されたものになることもある。ピアノの音は言葉はない。言葉がないリズムが作り出す空間である。そして演奏者の創造性のはたらきを、エネルギーに変えてくれる。自由な発想によって、いかなる音楽も自由自在になる。弾く人のイメージによっては、夢や希望や愛さえも与えてくれる。これがピアノが楽器の王様である所以である。

選曲の問題・・・これから卒業試験あるいはコンクールを受ける諸君へ (以前この日記にも掲載した文そのまま引用)

さて選曲についての話しです。卒業試験(4年向けの学生へ)基本的には最後の学年ですから、学生本人の好きな曲をさせます。が、もちろんそんな一筋縄ではいかないことが多いですね。私は卒業試験は実に重要ですから2年前くらいからその人にあった曲を考慮しています。基本的な技術と音楽的素養の足りない学生が勝手に曲を変更したりしますね。まったく、とんでもない曲を弾きたいって言ってくる子もいます。ショパン/エチュードもろくすっぽやっていないのに、やたら、その作曲家の晩年の曲を弾きたがる学生。こんな時に、あなたは無理だからやめなさい。と言います。いつも言っているように、自分の弾ける曲と弾きたい曲では異なります。指導者のことより他の人間のことを信じて、選択する人も中にはいますね。たとえば、前の先生がこれ弾きなさいって言った生徒さんもいました。その先生も最悪なことに、今、現在、指導している先生に従うのではなく、昔、自分が教えたという理由だけで意見したがる人がいるのです。そういうのを、治外法権と言います。自分の指導外にいながら、よけいな口出しをする先生。名前は出しませんが、かなり有名な先生でもそういう、非常識な先生もいて驚いたことがある。良い生徒を出している先生と、良い指導をする先生とは、異なるんですね。

また本人ではなく、親が選択したりすることもある。これは、自分がピアノの先生とか、わずかながら音楽に精通する人に多いです。ほんとに指導というものがわかっている方でしたら、考え方がまるで異なります。完全にこちらの指導に従わせる親御さんはりっぱだと思います

まずは、ついている先生に従いなさい、そんなしつけは、気持ちが良いものです。しかし、まあ、待て。どうせ、弾くのは先生じゃない。自分が弾くんだから、自分の責任のもとなわけで、外野から文句を言っても仕方ない。最後なんだから、一生、の想い出なんだから本人の言うとおりにさせることが多いです。成績を考えれば、とてもやらせてはいけない曲なんですが、いいよって言ってしまう。だって、明日、死んでしまうかもしれないのに、そんな権利は私にはないのですから。弾きたい曲を弾かせたほうがいいに決まっています。後で悪い点をとるだろうと思っていても。そしていざ、成績発表という時には学生は、当然のことながら自分の成績が気になるものです。曲を決める時に無理な曲を選択したんだという意識はもう存在しません。これが学生の自分勝手なところです。20年もピアノ教えてるとある程度は成績も読めるのです。(ショックでしょうが、、)

 さて選曲について重要なことは曲目選びはきわめて慎重に。指導者とよく相談する心を持つこと。アドバイスを聞く耳を持つことが大切です。「先生、私には弾けますか?もし、この曲を弾くためにはどんな勉強が必要なのか」と問うてみるのも、作戦の1つでしょう。指導者はこんな時、「この問題がクリアでしたら弾けるよ。」と保険にかけてやり、精神的に楽な方向へ導いていくのです。常に先生と二人三脚でしょうね。これができない学生は独りよがりになって、とんでもない方向へ一人で歩き出すのです。

 自分で強く決定するタイプ

 もし、何が何でも自分、という人。こういう人は要注意。これは優秀と言われている人に多い。自分の手に合っている曲を選択する幸運が自分自身に備わっているかどうかが大切な要素です。運と勘があるかな?いかに、自らのことを認識しているか?このタイプは曲の中で絶対、ここは自分は誰より表現がうまくできるだろう、というインスピレーションを持っていること。しかも、もし先生が考えて下さった曲に反対し自分のやりたい曲を弾くんだから相当の勇気がいりますよ。すごい覚悟と勇気と意欲で望まなければ「ほら、いわんことじゃない」と猛烈パンチを予想して下さい。しかし、これは意地でもやるぞ、という強い力が働き、効果的なこともあります。結果は50%くらいの確率で良くも悪くもなります。反発する力は時には必要です。こんな時、人間、すごいエネルギーを出すもの。小生自身、大学2年時に「ショパンのバラード第4番を弾きたい」って先生に言ったら「あんなむずかしい曲、弾けっこないに決まっている。本が書けるくらい、内容の濃い曲なんだ。卒業試験ではまだしも、今は無理だ」と言われたのです。そんな素敵な曲なのか、それなら、意地でもやってやる。必死になってやった経験があります。その後、何かのオーディションを受けたら合格してしまった。たまたま、必死になってやったことが良い方向に行ったわけですね。この時、先生にさからったんだから、どんな結果になろうとも後悔しない。と心に決めて勉強しましたね。いざ、自分が指導者になってみると、やはりこの時の先生の気持ちがよくわかります。

 手とメカニズムの合致

 音楽はすぐ伸びるが、技術はすぐには伸びない。手にあっているかどうかが大きな問題。どうしてもつかめないパッサージをどうわめいても、徹夜してもだめなものはだめ。弾けません。ラフマニノフのやたら和音の多いのを手の小さい人がやっても到底無理。ショパンのエチュードの作品10-1の中で、ある一部分を弾けない。どうやっても、弾けない。こんな人はテクニックに不安がある曲は弾かないほうが良いです。これは決定打として後で悔しい思いをすることにもなるかもしれません。しかし、ラフマニノフでも、多様なテクの曲があるわけです。「音の絵」は細かい手の小さい人でも大丈夫な曲があります。しかし指は相当動かなくてはなりませんよ。神経の機敏な人でなければだめです。そのあたりは、先生と学生の判断ですね。コミュニケイトですね。だから冷静な判断をしてくれるトレーナーあるいはコーチが必要なことは言うまでもありませんね。一番をとった彼女は最終的に私の指定した曲を弾いてトップをとりました。しかし、これが彼女にとって幸福だったかどうかは知りません。さあ、君たちはどう思いますか?先生の指定した曲を弾くか?それとも最終学年なんだから自分の弾きたい曲を弾くか?冷静に自分にあった曲を先生と話し合いながら、自分自身の方向に持って行くか?一番最適な方法は?あなたなら、どっち?

CDは演奏に有効か?

正直言って、その演奏家の解釈は認識できますが、じゃあ、自分ではどう音楽をつくるか?そういう問いの答えにはなりませんね。ただ、どんなイメージの曲かは理解できます。少なくともCDを聴く場合は同じ曲でも3人の演奏を聴き比べましょう。一人ではその人のくせをまねしてしまう恐れあり、です。

CD は人工的な電気信号でつくった、「えせ」です。なんて言うと CD産業の人たちに大反発をくってしまいそうです。 CDそのものを否定しているわけではありません。芸術の創造性に役立たないということです。しかし、こういうことがありました。国際コンクールをドイツのケルンで聴いた時、出場者は「アンドラーシュ・シフ」そのものをまねしていたんです。すばらしかった。まるで、シフのバッハを聴いていたようだった。これは**++++--- もはや、模倣もここまで、まねれば模倣も芸術かと思ったほどです。

やはり生の演奏を聴くことが表現力をつける良い力になるのです。その場の空気を感じられる人が良い表現力を身に付く人になるのです

いま、小生がMacintoshのパソコンで録音し、少しリバーヴをかければすぐに、今のCD に近い音に仕上がります。CD を聴いてはその演奏家の表情はわからないでしょう

とことん、まねするんだったら、模倣してみてほしい。グレングールドのようにテンポを性格に弾くのは至難の業ですよ。

挨拶
 まずは、先生がいらしたら、「よろしくお願い致します。」先生に挨拶すること。重要なマナーです。これが、言えないんですわ。

外国人だったら

Nice meet to you ! ときたら、もちろん、英語で返す。ドイツ語、フランス語、イタリア語等、挨拶ぐらいは、各国で話すこと。

これも、以外にできない。特に外国人の場合は握手を求められたら、必ず、対応をしっかりすること。日本人の握手は、まったく気がない握手をするので、しっかり、強く握り返すこと。あなたに、あえて光栄だ、レッスンを受けることを楽しみにしていた、と、身体で表現すること。海外の先生はこういう身のこなしで、ある程度は、音楽的かどうか、判断します。日本人がまず、このマナーができない人が多いようです。先生とうまく、コミュニケイトすることも、重要ですから。気をつけましょう。

『たまたま会った時の挨拶』

偶然、学校で会った時はもちろん、挨拶をするのは、当然の事。先生といえども、人生の先輩です。当然、挨拶は当たり前。小生はそんな挨拶は挨拶と思っていません。こういうのが挨拶です。

たとえば、演奏会場にて、自分の先輩、あるいは先生にお会いした。自分と先輩あるいは先生の席はだいぶ遠い場所にいて、なかなか話もできない場合でも、休憩の時、自分からすすんで挨拶に伺うことが、礼儀というものです。実は先生は生徒をいち早く発見しており、こういう場合は先生から生徒にわざわざ進んで挨拶に行くことはないでしょう。生徒のほうから『先生』って言ったほうが、その生徒はかわいがられるというものです。よく、その辺をご理解下さい。

小生はたまたま会った時の挨拶は挨拶とは解釈しません。わざわざ、自分から挨拶に行く姿勢を見せたものが、挨拶という風に理解している。『ご無沙汰しています』このくらいの言葉は20歳であれば言えなければ社会人としてはずかしい。偶然の挨拶は当たり前だと、小生は思っている。偶然、顔を見て挨拶もろくにしないのは、人間関係に隙間があるか、よほど、ろくでもない感情をいだいている証拠です。

どうしても、話もしたくない場合もあろう。残念なことです。生徒もその先生を慕っていない。会うのはいやだ。こういうケースも可能性としては充分あります。挨拶される先生は気を付けたいですね。会っても会いたくない、なんていう感情を抱かせてしまうのは、ふだんのかわいがりかたが不足している証拠です。

先生の責任もあるし、生徒の心得ができていないケースもあります。

発表会場へ行ったらまず、その会場責任者に挨拶でしょう。お世話になります。教育実習の学校へ行ったら当然、担当教員に自ら挨拶するのはあたり前でしょう。校長先生にも教頭先生にもしなければなりません。先生から声をかけれれてするのではありません。自分からきちんと校長室に行って、『この度、お世話になります』というべきでしょう。

※コミュニケーション 

 練習していない時は、自分で弁護してもかまいません。最近はインフルエンザがはやっています。
「1週間風邪をひいていました」とか、「試験週間でした」とか。これは言い訳ではありません。弁護はすべきです。

レッスンルームに、自分だけでなく、先輩あるいは後輩諸君がいたらどうしますか?

自分から先輩や後輩にしゃべるような人間にならんと、ピアノで感動させられることはまず、無理でしょう。同じレッスン室にいて

まったく、話さない2人を見たことがあります。ぞっとしました。どちらも、話しかけられないんですね。自分から話しかけるのが苦手な人が多い。人見知りと言いますね。でも、人見知りで、話が出来ないようでは、はじめてのお客さんを前に演奏することは、到底無理でしょう。

1対1では話すことができるが大勢の人の前だと話しが苦手な人もいる。これも、協調性がない人ですね。わが門下は合宿を夏、やっております。合宿で裸のつきあいをするようでなければ、人間なんてつきあいは困難ですね。まあ、裸のつきあいまでは、しなくても、人がいようといまいと、きちんとスピーチできる演奏家になっていただきたいですね。

耳を使う

 レッスン室は2台ピアノがありますね。3台の先生宅もあることでしょう。どのピアノが先生のピアノなのか、おそらく奥のほうが先生のピアノでしょう。先生が弾く時は、自分の手を膝に、よく見て、よく聴くこと。学ぶはまねぶとも言う。真似から入ると言います。芸術は模倣から、まずは師匠の音色、姿勢を真似てみよう。もちろん、まねばかりでなく、最終的には先生の演奏はあくまで、サンプルです。自分の形をつくることが重要でしょう。
 
耳と頭と使うことが、上達する秘訣です。

挨拶レッスン

 レッスンが終了したら、「どうもありがとうございました。」

質問 

 わからないことはどんどん先生に質問をすること。
 質問のない生徒さんはやる気がないと見なしますよ。(冗談)
 自分から質問できる人になる。誰でも、はじめは、わからないことばかり。

 内田光子さんが2月号の音楽の友に書いていましたね。音楽は教えられないって。自分から知りたいと思う人しか教えたくないって。つまり、こういう音を出したいから、どういう打鍵をしたらいいのか?そういう質問をする人が少ないことが問題なんだ。先生が例えば、あなたはこういう音を欲しているのでしょう。だから、こういうタッチをしなさい。って、そんな教育してもどうしようもないですね。

 自分から、先生に聴くべきです。どうしたら、ホロヴィッツみたいな音が出せるのか?ミケランジェリのような多彩な音が出せるのか?音に対して、興味がなさ過ぎですね。もし、あったとしたら、なぜ、質問しないのか?したくても、先生が怖い、どういう風に言ったらよいかわからない。そんな人は、大きくは伸びません。

 一番、重要なことは、先生に指導されることではなく、聴くことです。先生の練習方法を聞くのも良いでしょう。先生の好きな音楽を聴くのも良いでしょう。先生には、勉強の方向付けをしていただくのが最良だと思います。あなたには、こういう勉強が不足しているから、バッハを弾きなさい、とか、シューマンを弾きなさいとか、人を教えてみなさいとか、こういう意見はよく聞くことが重要です。

 

お茶やケーキ

 が出たら喜んで頂戴する。いいじゃないですか?お茶を出してくださる先生は最高。やったあ。ラッキーと思い、喜んで頂戴し、「美味しく頂戴致しました」と言えばよい。

 トイレ、等も全然、失礼じゃ、ないんだよ。かってに、冷蔵庫から飲み物を出して飲むのはちょっと、きがひけるけど、これも、了解を得ていればいいんじゃないですか?だって、食事ができなかったことも、時間によってはあるかもしれないし、先生のお宅で食べてもいいと思う。

「先生、今日はお昼を食べてないので、ここで、食べさせていただいてもよろしいでしょうか?」おそらく、先生、お茶かコーヒーを出してくださるでしょう。こういう会話ができるかどうか、ピアノを演奏するカギでしょうね。先生に気を遣ってもらってしゃべるような生徒さんでは困る。自分からどんどん会話をすることが、先生から多くのものを吸収できるかどうか、でしょう。

初めてのレッスンの人

初めての人は口の中にものを入れることに抵抗がおありでしょうが、これも試練ですよ。

以外に柔軟性があるかどうか、(ご家庭のしつけができているかどうかが食べさせててわかる)

出されたものは、頂戴する。こういう、健康的な性格は演奏するのにたいへん、あとで、役立つものです。

報告

 「ほうれんそう」ですね。報告・連絡・相談はすみやかに行うこと。

 必ず試験やコンクール、発表会が終わったら、必ず、自分の反省と先生への感謝の連絡をすること。メールでもかまいませんが、電話が最適でしょう。どうしても、先生が忙しい場合はFAX やメールでもかまわない。先生によっては、電話の時間帯が決まっているので、あらかじめ、伺っておくことも重要でしょう。

 こういう話を聞いたことがあります。ある時、テレビ朝日の黒柳徹子さんの徹子の部屋に出演していたヴァイオリニストの前橋汀子さんの話。あるコンサートに徹子さんをご招待したそうだ。前橋さんはコンサートが終わって、2時間以内に、徹子さんにお礼の電話を入れたそうだ。徹子さん、いわく「あなた、コンサートで疲れているにもかかわらず、私なんかにお礼の電話を入れるなんて、驚いたわ」と。世の中に出て行くような人はこれほど、如才なくやらなければならないのか、それとも、そのくらい、来てくださった人を大切にしている証拠なのか。いずれにせよ、感動ですね。

依頼

 先生に推薦書等を書いていただく場合は、もちろん前もって、先生にアポをとって、お願いすること。

 ああ、長かったでしょう。読んでいただき心より感謝申し上げます。

『練習方法』

▽本番近づいた受験生の練習方法は?

再度確認。

1.左手のみ暗譜で弾けますか?

楽典の勉強ばかりで調性判断するのではいけない。指だけの練習はスケール、アルペジオでやれ。ハノンでも良い。フィンガートレーニングでも良い。ベースはたとえば、その箇所の調性の主音が多い。何調をやっているのか、考えていないものが多い。大学生でも、たとえば1楽章の第2主題のモチーフが曲の最後に重要な音になっていることに気づかない。第6番のソナタの再現部は第1主題の冒頭がニ長調で現れる。左手を弾きながら、和音をおさえ、調性をアタマに入れることは実に賢い方法。ただ、左手だけの指の練習になるな。

2.部分練習

メカニズムと音色づくりの基本だ。自分という身体と音楽と心の統一をここで、やる。全体の構成はいつも、考えておくこと。たとえば、曲のヤマ場はどこになるとか?フレーズの最後はどこになるのか?もちろん、フレーズ単位で練習すべきであろう。部分練習する時、声に出して歌ってみるのもよい。ピアニストの5本の指の性格はその音楽によってすべて異なると言っても過言ではない。ショパンが言っているように、左手は曲の重要な根本のテンポを決定するわけだから、絶対、崩してはならない。右手は、いつも自由な性格が必要である。歌うということは、テンポを崩して歌うのではない。その曲のスタイルを理解すること。たとえばベートーヴェンの時代の6/8拍子はむずかしい。多くの場合、郵便馬車のリズムにたとえられるが、いくらプレストでも早すぎは厳禁。わからない場合はSymphonyを聞くこと。第7番の2,3楽章を聞けば、6/8拍子感が把握できることがある。自分が世界の小澤征爾になった気分で、指揮をするのも、良い方法でしょう。いかなる音楽をつくるかが重要だ。女性だから不可能ということはない。

3.ゆっくり

ピアノの基本中の基本でしょう。いきなり曲を弾くのではなく、まずは、音階から、練習すること。その曲が調性がない場合は別だが、バッハのハ短調を弾くのであれば、その音階から練習することが重要だ。よく、自宅のレッスン室で練習しているのを、外から聞くことがある。「ちょっとあなた、練習していて」そんな時、その子の練習を聞いてある程度は判断できる。精神状態まで判断できる。入試本番の日にもちゃんと音階から練習していた生徒さんもいた。この時、思った。「この子は合格するな」って。もちろん合格した。

 以上、ピアニストの基本練習を確認下さい。

 曲を通すばかりになってませんか?

 通し練習は1日2回だけにして下さい。この時は地震が来ても停電になっても、死んでも通す心で