第5 NGOの役割

1 環境問題におけるNGOの役割

  環境問題におけるNGOの役割は極めて大きい。

  日本における公害問題においても、NGOは大きな役割を果たした。原因企業や行政が、率先して、公害問題の解決に当たったり、被害者を救済するようなことはなかっため、被害者が公害に犯された体にむち打って裁判に立ち上がり、被害者の会や原告団を中心にしながら、苦難の末に裁判で因果関係や加害責任を立証した。その結果、初めて行政が規制を強化し、原因企業もこれに従って対策や被害者への賠償に応じるようになった。

  地球規模の環境問題においては、国家間の利害が絡むこともあって、こうした国益や利害を越えて、考え行動できる環境NGOが果たしてきた役割は高く評価される。

2 地球温暖化問題とNGOの活動

  地球温暖化問題が国際政治の舞台に登場したのは1988年である。この年の6月にはカナダのトロントで地球温暖化問題に関する国際会議が開催され、46カ国と国連から科学者、官僚、政治家、産業界、環境NGOなど300人以上が参加した。このトロント会議では、地球温暖化を防止するためには大気中の二酸化炭素濃度を安定化する必要があること、そのためには現在の全排出量の50%以上を削減する必要があることが確認され、とりあえずの目標として2005年までに1988年の排出量の20%を削減することが提案された。

  これはトロント目標といわれるもので、工業国が率先して目標達成のための行動を行う必要があるとされた。この会議で、このような具体的な目標を掲げることに反対する産業界の意見を、科学者と環境NGOが連携して抑えこんだとされている。このトロント会議が、地球温暖化問題で環境NGOが具体的なロビー活動をした初めといわれている。

  こうした活動を見てもわかるように、環境NGOは早くから地球温暖化問題に取り組み、温室効果ガスの削減に向けた活動を開始していた。

3 気候行動ネットワーク(CAN)の活動

  1989年には世界の地球温暖化問題に取り組む環境NGOのネットワークである「気候行動ネットワーク(Climate Action Network:CAN)」が結成された。その結成当初から、活発なロビー活動を展開し、政府間交渉会議(INC)、環境と開発に関する国連特別総会(UNCED)、締約国会議(COP)、ベルリンマンデート特別会合(AGBM)、気候変動に関する政府間パネル(IPCC)などの会議で活発な活動を行ってきた。

  1991年1月に地球温暖化防止条約の交渉が始まったが、約40の環境NGOがCANに参加して、二酸化炭素削減目標値を条約の本条に挿入するように働きかけた。

  現在、CANには200余りの世界の環境NGOが参加している。地域ネットワークを世界各地(西ヨーロッパ、中央東ヨーロッパ、アメリカ、ラテンアメリカ、南アジア、東南アジア、アフリカ、イギリスなど)で結成し、専従スタッフを置いて活発な活動を展開している。また、国際的な環境NGOであるグリーンピース、世界自然保護基金 (WWF) 、地球の友なども参加し活発な活動を行っている。しかし、東アジアにも日本にもCANのネットワークはなく、グリーンピース、WWFなどの日本支部、地球環境と大気汚染を考える全国市民会議(CASA)、市民エネルギー研究所などがCANのメンバーとして活動してきただけである。

  CANの具体的な活動としては、その責任編集の「eco」の発行、会議での発言、条約事務局や締結国会議やベルリンマンデート特別会合の議長との意見交換、各国政府との意見交換、個別の働きかけなどがある。特に、「eco」は、気候変動に関する重要な国際会議で隔日ないし毎日発行され、政府代表団を始めマスコミ、産業NGOに至るまで熱心な読者を獲得しており、強力なロビールーツとなっている。

  1996年7月にジュネーブで開催された第2回締約国会議(COP2)でも、第1週は隔日、第2週に入ると毎日「eco」が発行された。また、締約国会議議長やベルリンマンデート特別会合の議長との意見交換、条約事務局の事務局長との意見交換、アメリカ、EU、日本政府など各国政府との意見交換会などが行なわれた。さらに、各国政府に大臣宣言を出すよう文案を示して働きかけ、こうした活動は「ジュネーブ宣言」として結実した。

  CANの活動が地球温暖化問題の国際交渉に与えてきた影響は極めて大きなものがある。

4 日本のNGOの活動

  日本でも1989年に、地球環境問題について考える市民運動が集まっていくつかの集会を開き、また、1991年の全国消費者大会で、大阪消団連が地球温暖化などの地球規模の環境問題をテーマにした構成劇を上演したことが知られている。

  しかし、当時は地球温暖化問題に取り組んでいた日本のNGOは極めて少なかった。前述したCANのメンバーの他には、市民フォーラム2001くらいである。こうしたNGOは、政府間交渉会議や締約国会議、ベルリンマンデート特別会合などに代表を送るとともに、日本政府の「通報(案)」への意見書の提出、地球規模の環境問題に関する懇談会のヒアリング、共同申入などの活動をしてきた。

  その後、地球温暖化問題に取り組むNGOの数も次第に増えていった。COP1が開催された1995年の秋頃から、COP1でのドイツのNGOの「クリマフォーラム」の経験に学んで、日本で開催されるCOP3に向けて、NGOのネットワークをつくる相談が始まり、COP3のちょうど1年前にあたる1996年12月1日に「気候フォーラムー気候変動/地球温暖化を防止する市民会議ー」が結成された。この気候フォーラムは、市民の立場から削減議定書が採択されるよう活動することを目的にしている。具体的には、市民に地球温暖化問題とCOP3の重要性について知らせるニュースやパンフレットの発行、スライドやビデオの作成、学習会、シンポジウムや集会の開催などの事業を行っているほか、COP3期間中に地球温暖化によってもっとも影響をうける途上国のNGO60名を招待する事業や、内外から参加する環境NGOの活動の支援などの準備を進めている。気候フォーラムには、1997年6月20日現在、全国の145の環境NGOが参加している。

5 COP3とNGOの役割

  COP3に向けた議定書交渉の行方は、各国の国益、利害が錯綜し、予断を許さない状況にある。国益を越えて行動するNGOの役割が大きく期待されているところである。

  また、仮に、COP3で削減議定書が採択されたとしても、過去の歴史からすれば、この削減議定書を締約国に遵守させることはNGOの監視活動なしに不可能といってよい。政府、自治体、産業界等への監視活動こそが今後のNGOの大きな役割となる。

  さらに重要なことは、地球温暖化を防止するために、必要不可欠な、より厳しい削減目標と達成期限の策定に向けて、政府と国連機関に、場合によっては研究機関に、不断の働きかけが必要である。とりわけ、政府、自治体における実効性ある地球温暖化防止行動計画の策定に向け、市民の意見を反映させることが必要となる。こうした活動ができるのはNGOしかないことも、日本の公害経験の歴史が教えるところである。

6 NGOに対する行政のあるべき対応

  日本では、環境NGOに対する行政による位置づけは低く、ときには行政に批判的な意見を持つNGOが行政から疎んぜられることさえある。NGOを支える環境は、行政レベルでも社会全体のレベルでも、いまだに悪く、NGOは財政的にも極めて厳しい状況に置かれている。

  しかし、環境問題におけるNGOの果たす役割が大きいことを考えれば、環境問題の前進とNGOの発展のために、当面次のような措置が講じられなければならない。

  第1に、行政の地球温暖化防止行動計画等の策定過程にNGOが参画し、その意見が反映するようなシステムを作る必要がある。その前提として環境情報がすべて公開されなければならない。

  第2に、NGOの独自性を尊重しつつNGOの活動運営資金を援助する道を講ずる必要がある。

  第3に、実効性のある「市民活動促進法案」(NPO法案)を早期に成立させ、広くNGOに法人格取得及び税制上の優遇措置を講ずる必要がある。