第2 温暖化問題についての国際的取組と日本の対応

 

1 気候変動枠組条約締結にいたる経緯と日本の対応

1) IPCCの設置と第1次報告書

第1でみたように、1988年トロントにおいて開催された「変化しつつある大気圏に関する国際会議」を受けて、世界気象機構(WHO)とUNEPの指導のもとに、気候変動に関する政府間パネル(IPCC)が設置され、IPCCは、1990年10月の第2回世界気象会議において、その第1次報告を公表し、第1で具体的にみたように、「地球気候の変動は、自然の原因だけにするものとは考えられず、人間活動を原因とする気候変動のパターンが気候科学的記録のなかに既に出現している」とした上で、温暖化による平均気温の上昇、海面上界についての危機的状況が報告された。

2) 気候変動枠組条約の締結

上記第1次報告書を踏まえ、1990年12月第45回国連総会において「気候変動枠組条約政府間交渉会議」が設置された。

この会議が中心となって、条約策定作業は進められ、1991年3月から92年5月までの5回の会議を経て、1992年5月9日に「気候変動枠組条約」が締結され、同年6月のリオデジャネイロにおける地球サミットの際に調印式が行われ、155ヵ国がこれに調印した。そして、条約規定に従って、50ヵ国が批准した日から90日を経た1994年3月21日に同条約は、発効した。

3) 気候変動の枠組条約における基本原則と先進国の約束 

本条約の究極の目的は、気候系に危険な人為的影響を与えることを防止する水準において、大気中の温室効果ガスの濃度の安定化を図ることにある。しかしながら、今日のような状況は、主として先進国といわれる工業国の経済活動によってもたらされたものであることにかんがみ、この条約の目的達成については、先進国と途上国との間に責任の差異が設けられた。それが、「共通ではあるが、差異のある責任」原則である。

その結果、先進国(付属書I国)は、1990年代末までに、温室効果ガスの排出量を1990年レベルまで戻すことを目指し、そのための施策、措置を講じ、将来排出量・吸収量の予測について、締約国会議に、定期的に報告すると定められた。また付属書I国と付属書II国(OECD加盟国)については、自国における達成のみではなく、途上国に対する資金援助をする旨の規定も置かれた。一方、途上国については、なんら新たな義務を課さないことが原則とされた。

 

2 COP3にいたる経緯

1)第1回締約国会議とベルリンマンデート 

しかしながら、上記の規定は、いずれも条文上は義務規定になっておらずあくまでも努力目標にとどまり、実効性には多大な疑問があった。

1995年3月の第1回締約国会議で採択された、ベルリンマンデートはこの実効性を確保すべく、議定書その他の法的文書を持って付属書I国の約束(commitment)を強化して、2000年以降の期間についての適切な施策を確保しようとしたものである。

ベルリンマンデートによって、付属書I国は、条約第4条2項に定める政策や措置を詳細にして、温室効果ガスの人為的排出量の削減及び吸収源による除去について、特定の時間的枠、例えば2005年、2010年、2020年といった年度における、定量的な抑制及び削減の目標値(QELROS)を定めた議定書を採択する方向が定まった。そして、このマンデートによって、議定書を第3回締約国会議において採択できるよう作業部会(アドホックグループ、AGBM)が設置された。

2) 第2回締約国会議と閣僚宣言

1996年7月の第2回締約国会議では、IPCCの第2次評価報告書を、現段階で最も包括的で権威あるものとして、また新たな法的文書を検討する科学的基盤であることを確認とともに、次の事項を含む閣僚宣言が行われた。 

 ア 先進締約国は、温室効果ガスの排出抑制対策を率先して進める条約上の義務がある。

 イ 先進締約国は2000年までに温室効果ガス排出量を1990年レベルに戻すとの目標達成のために、更なる努力をする必要がある。

 ウ 新たな議定書その他の法的文書に向けた交渉を加速する。

 エ その議定書等には、次のことが含まれていること

  ・ 先進締約国の義務については、必要であれば各部門に関する対策や経済的手段等を含んだ政策措置

  ・ 特定された期限のもとでの定量的な抑制および削減の目標値

  ・ 約束の定期的なレビューと新たな強化のための取り組み

  ・ 対策のための技術や実践等の開発、普及、移転を促進する世界的な努力のスピードアップ

 

3 COP3における議定書の争点

 最大の争点は、2000+X年に1990年レベルの何%を削減するかである。 

小規模島しょ国連合(AOSIS)は既に第1回締約国会議の6ヵ月前(1994年9月)に2005年時点で20%を削減する案を提出したが、肝心の先進国は、それから2年以上たった1996年12月の第5回AGBMで日本とEUが、その後1997年1月にアメリカとオーストラリアが、それぞれ、議定書案を提出した。その概要は次のとおりである。

 ア アメリカ

先進国(付属書A国)に、一定の期間に温室効果ガスを排出することができる「排出バジェット」を割り当てる。このバジェットの量は、90年における炭素換算排出量にもとづき算出する。締約国は、将来使用するための排出量を貯蔵するととらえ、将来の期間から排出量(制限を設ける)を借りる(2割の利息付きで)ことができ、また他国と排出量の取り引きができる。  

急速に成長しつつある途上国については自発的に排出バジェットを設定することを奨励するため、先進国とは異なった内容の期間、量が割り当てられる付属書B国というカテゴリーを設ける。

実効性の確保については、遵守しない国に対して、締約国は、排出権取り引きや共同実施の権利の否認、投票その他の決定権の喪失などの制裁措置をとる。

 イ EU

全OECD加盟国及び経済移行期諸国(付属書X国)は,個別または共同でCO2、CH4 (メタン)、N2O(亜酸化窒素)の排出量を90年比で2010年までに15%削減する。但し、代替フロン等に関しては政策措置を議定書に盛り込み、排出削減目標は、2000年までに追加して盛り込む。

 ウ オーストラリア

QELROSについては、締約国が合意したガイドラインに従い各国間交渉により決定する。この決定に際しては、人口の成長見込み、一人当たりの実質GDP成長見込み、排出強度、輸出の排出強度、化石燃料の輸出排出強度という5つの指標に関して、各締約国の状況を十分に反映させ、緩和対策に伴う各国の人口1人あたりのGDPの変化が等しくなるようにする。

締約国会議は、QELROSをy年ごとに見直す。

 エ 日本の議定書案

  ・ (2000+X)年から5年間に年間1人あたり、yトンを削減

  ・ (2000+X)年から5年間に年平均1990年レベルのZ%を削減

の選択的提案をなしたものの、具体的数値は示されていない。

 

4 日本の取組とその問題点

1) 地球温暖化防止行動計画

日本では、1992年の気候変動枠組条約の成立に先立ち、1990年「地球環境保全に関する閣僚会議」において、「地球温暖化防止行動計画」を決定し、温暖化対策計画的総合的に推進するための政府の方針、今後取り組むべき対策、その他の基本的姿勢を示した。その中では、CO2 の西暦2000年における目標を、

 ア 1人あたり、CO2排出量について2000年以降おおむね1990年レベルで安定化を図る

 イ 太陽光、水素等の新エネルギー、二酸化炭素の固定化等の革新的技術開発等が、現在予測される以上に早期に大幅に進展することにより、CO2の排出総量が2000年以降おおむね1990年レベルで安定化するよう努める。

 とするのみであった。

2) 環境基本計画の進捗状況の点検結果(中環審)

1994年策定された環境基本計画の第4部、第5部の「計画の進捗状況の点検及び見直し」の規定にもとづき、中央環境審議会は、地球温暖化対策についての点検作業を実施し、1996年6月にその報告書を出した。

これによると、日本のCO2の排出量の推移は近年増加基調にあり、1994年度の値は1990年度に比べ1人あたり、排出量で5.8%、排出総量で7.2%増加した。また二酸化炭素排出総量の部門別内訳では、民生(家庭、業務)部門、運輸部門が顕著な増加傾向にあり、産業部門は1993年までは漸減傾向にあったものが、1994年度には増加に転じたのである。即ち、この間地球温暖化防止行動計画にもとづき、都市地域構造、交通、生産、エネルギー供給、ライフスタイル等の分野で実施された対策は、全く不十分で、このままでは2000年の目標すら達成出来ない状況にある。

こうした現状をふまえてみれば、第5回AGBMにおいて、日本が提言した議定書案に具体的な数値目標を明示できなかったのは当然のことであった。

3) 消極的な日本政府の対応

環境庁は、1990年12月に地球環境部に「地球温暖化対策技術評価検討会」を設置し、前記「地球温暖化防止行動計画」の目標達成に向けての、各部門における対策技術の現状及び普及促進課題を検討し、これを1992年5月に報告書としてまとめ、その後4年間をかけて、各部門ごとに概ね2000年までに導入可能なCO2 排出抑制技術の導入が可能かについて検討を行った。2000年までのものについては、1996年3月にその報告書「地球温暖化対策技術評価調査」を出したが、2010年までのものについては、1997年7月現在も公表されてはいない。

一方、通産省の産業構造審議会の地球環境部会は、1996年4月から97年3月まで11回にわたり気候変動問題に対する今後の取り組みのあり方について検討し、1997年3月にその報告書案をまとめた。この報告書では、COP3において、ホスト国としては、実行可能性の具体的裏付けのない削減目標や制度を提案するのではなく、環境保全上実効性があり、公平かつ実行可能な合意を目指すべきだとしている。

   このような産業界や通産省の意向が背景にある以上、環境庁の努力にもかかわらず、議定書案の中にQELROSの数値を具体的に公表することを政府決定とするのは、現時点では非常に困難な状況にある。

このことは、1997年6月に開催されたデンバーサミットにおいて、ドイツのコール首相が、EUが提案しているQELROS案を、サミット全体が受け入れるよう強く要求した際、橋本首相が、「重要なのは実現可能性と各国の均衡の取れた負担だ」としてこれに反対し、結局サミットの共同宣言では、途上国にも「経済成長に伴っ義務が重くなることを認識しつつ目に見えるような措置を取る」ことを求めたという事実にもあらわれている。