「ヴァニラ」について


I am a Vanilla.

「翻訳の世界」1998年4月号掲載

 

 日本でも、ひと頃のゲイブームのおかげか、ゲイが一つの生き方としても知られるようにはなってきたようだ。昔(僕の青春時代。っていうことは三十年くらい前)に比べれば、いろんなことに多様性が認められるようになって、全体としては良い方向に動いているとは思う。

 だけどセックスに関して、特にゲイのセックスに関しては、僕には大きな不満がある。
 確かに、バックされるのが好きだとか、縛られるのが好きだと口にするのを恥ずかしいと思う人はかなり少なくなってきた。僕のまわりでは、誰かがフィストファック(肛門こぶし入れ)が好きだと言ったとしても別に大騒ぎも起こらなくなった。それほど解放されたわけだ。

 もちろん、それは良いことなのだが、性的なものに対して抑圧が強かった昔に比べて、今がセックスに関して豊かな広がりを持つ社会になったかと言うと、そうは思えない。結果的には、狭いエリアのまま、単に欲望刺激方向へとシフトしただけという感じがするのだ。

 僕にとって、今のような興奮すればするほど「良いセックス」みたいな傾向は、逆に、セックスしたいという気持ちを萎えさせてしまうのだ。そう、僕はヴァニラ(おとなしいセックスが好み)なのだ。それもかなり極端で、ヴァニラ・ヴァニラとでも言った方がいいタイプだ。

 僕がセックスに求めるのは興奮ではなく、触れ合いを中心にしたリラックス方向の気分だ。今までもそれなりにセックスはしてきたけど、それはセックスが終わった後の相手との一体感とか親密さこそが欲しかったからで、それが欲しさに欲望系の部分は潜水泳法で息を止めてくぐり抜けてきたというのが正直な気持ちだ。

 最近、アメリカの毛深野郎系のゲイ雑誌の中にある通信欄を見ていて面白いことに気がついた。ヤリヤリ系のセックス相手を求めている文章に混じって、「キスが一番」とか「抱き合って寝ていたい」と求めているものも多くなってきているのだ。ちょっと前なら「女々しい」とバカにされそうな文面が、こんな野郎系の通信欄に堂々と並んでいるのを見て、とても嬉しくなった。そう、こう来なくっちゃ!

 行き着くとこまで行き着いたアメリカだからこそ、欲望系に偏りすぎた状況から抜け出したいという動きも出てきてるんでしょう。多分、日本も明後日頃にはこういう動きがやってくるはずだ。でないと、ヴァニラ系はセックスレスへと待避していくしかない。

 レザー着て百人の筋肉男と乱交したいのも、五十を過ぎたオヤジ同士でいつまでも裸でキスをしていたいのも、その気がない人間から見れば変態でしかない。でも、どんな変態行為でも、それを望む人同士がそれをできる文化があるというのが、本当に豊かな社会ってもの。 

 早く、僕みたいなヴァニラ同士が心ゆくまでやりまくれる状況が来ないかしら。僕の夢は、自覚を持った誇り高いヴァニラ・ゲイがたくさん増え、「行きずりのヴァニラ・セックス」ができるようになることなのです。うーん、言語矛盾してるかなぁ…。ハハハ。



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