「ヴァニラ」について


ヴァニラ・クラブへのお誘い

「バディ」1996年8月号に掲載

 

 僕はバニラだ。

 これは、別に、アイスクリームの注文をしているワケじゃない。セックスの好みのことを言っているのだ。アメリカでは、平凡で、退屈なセックスや、そういうセックスを好む人のことをバニラって言ったりする。使われ方にもよるが、軽いあざけりのニュアンスが込められている言葉でもある。

 というワケで、僕はバニラなのだ。「俺の絶頂体験集」に登場するくらいだから、さぞかし、夢のように素晴らしいセックスを経験してきたバニラだと思われるかも知れないが、残念ながら、僕は未だかつて、自分の好きなセックスを心行くまで、楽しんだ経験などないのだ。

 もともとバニラで、すごい数の性体験をしてないからかもしれないが、今までに、自分と同じようなバニラと出会った経験がないのだ。また、出会っていたのかも知れないけど、自分自身がバニラを恥ずかしいことと思っていたために、僕も実はバニラだったんだよ、なんて相手に言ってもらえる機会を逃していたのかも知れない。

 僕の好きなセックスは、まず気持ちのこもったキス、そして、抱きしめ合うこと。体中を優しく愛撫すること。そしてまた、キス。人によっては、それって単なる前技じゃないっていうようなことこそが、僕のセックスの一番大事なことなのだ。もちろん、イキたくなったら、イケば、いいんだけど、別にイカなくても構わない。

 そして、やっているときのモードこそが重要で、お互いに相手を愛おしんでいる感覚が感じられないと、すぐに白けてきてしまう。最近は特に、セックスが、より刺激的な方向にドンドン進んでしまっているので、僕は、相手が、こんな退屈なセックスではつまらないんじゃないかしら?と思ったとたんに、リラックスできなくなってしまうのだ。

 以前、親しい友人に、僕のセックスの好みを話したら、それって、「ガキ同士でやるマスのかきっこ」じゃん、とか言われてしまい、ますますバニラ願望を持つ自分に劣等意識を持つようになってしまった。

 僕はセックスに対して、頭の中にある、性的欲望を満足させる刺激を求めているのではなく、裸の皮膚の接触を通して、親密さとか、一体感を感じられるような官能を求めているのだ。僕から言わせれば、オラオラ・セックス(バニラの対極にあるセックスのありようを、僕はこう読んでいる)をやっている方こそ、相手をマスターベーションの、単なる刺激材料に使っているだけで、それこそ「マスのかきっこ」でしかない。

 断っておくけど、僕は性的ファンタジーを満足させることをつまらないことだと言っているんじゃない。僕自身も、ちょっと人には言えないような性的ファンタジーは山ほど持ってて、マスターベーションするときは、そういうファンタジーを充分楽しんでいるけど、それは、僕にとっては、あくまでも自分のファンタジーの世界の中だけで済ませられるものなのだ。だけど、一体感を感じるような官能は、いくら一人でイマジネーションを使っても、実感できない。人とセックスするときは、僕はそういうものが欲しい!

 これって、単なるバニラを越えた話になってるかもね。でも、こういう官能を欲しがっている人は他にもたくさんいるはずだと思うのに、どうして、出会えないのだろうか? ドンドン刺激を求めてセグメント化されたセックスの迷路の中で、僕のようなバニラたちは、小さな袋小路の隅で体を縮めて、一人で途方にくれているからなんじゃないかしら。

 最近、僕はバニラ・クラブが必要だなと思い始めています。もし、あなたがバニラで、クラブに興味があるのなら、編集部を通じて、僕に連絡をください。
 何ができるかは、まだ分からないけど、さしあたってバニラ・プライド・バッヂでも作りましょうか…。
 


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