別冊宝島「ゲイのおもちゃ箱」より
1992年12月発売
[Wednesday News]について-4
ゲイ・リブってなんですか?
ゲイ・リブというと、ゲイが集まってデモンストレーションをすることだと思いこみ、そういうものは日本に必要ないという人がいます。しかし、ゲイリブはそんな狭い意味のものではありません。
“ゲイであることは、人間にとってとても自然なことだ”という考えを、ゲイ自身が受け入れ、自分が生きたいように生きられるようにすることこそがゲイ・リブの基本です。ですから、今、あるゲイが、否定し続けていた自分のあるがままの姿を、なんとか前向きにとらえようと努力していたら、それこそ、その人はゲイ・リブのまっただなかにいるというワケです。そして、そういう個々のレペルから出発して、意識を変えるために相互に助けあったり、それをはばむ社会の誤解をとり除くために協力したりすることまで含めてゲイ・リブというのです。ゲイがデモをやる必要があるかないかということと、日本にゲイ・リブが必要かどうかということは全く別の問題です。
今こそ、日本の状況に合った、日本のゲイ・リブを考えるべき時なのです。
ウーマン・リブとゲイ・リブの関係は?
ゲイ・リプの方向性とフェミニズムのもつている方向性は全く同じなので、非常に強い連帯感を感じます。男とはこうしたもの、女とはこうしたものという、その人個人の能力とは無関係に、性に役割を決めつけている今の体制こそが、ゲイが悩まなければならないほとんどの問題の原因なのです。ゲイリブも、ウーマンリブも、究極的にはヒューマンリブといったところに帰結するので、女の問題は男の問題であるのと同じように、ゲイの問題は、ゲイだけの問題でなく、ストレートにとって大問題なわけです。
「ゲイであることは、人間にとって自然なことだ」と、ここでも「自然」だということでお許しをいただこうとしてました。ストレートがもし自然なのだとしたら、ゲイも自然なのだし、ゲイが不自然だというなら、ストレートも不自然なのであって、性的欲望に関しては所詮ゲイもストレートも同じ穴のムジナなんです。最近は、そのへんのことが少しずつ明らかにされてきているので、これからが楽しみです。
さて、リブというのは、人間が自分自身のあるがままの姿を受け入れ、それを前向きに捉え、その人個人の能力と希望に従って、自分の人生を自分で選択する力を獲得していくプロセスのことです。これは、どんな人間にとっても大切です。だからゲイ・リブに限らず、いろいろなリブが自分の解放だけでなく、自分のなかにある他者に対する差別意識と向き合い、その呪縛からの解放も目指す限りにおいて、それはヒューマン・リブに帰結するのだと思います。でも、人のことまで考えるのって本当に難しい。それどころか、ヒューマン・リブの向こうには、生命のリブとか、地球リブ、宇宙リブとかってのが連なっていそうなんですよね。道は遙かに遠い。でも、リブやるんならこのくらいの視点持ってやりましょう! オッホッホッホー。
いま一番アピールしたいことは?
それぞれの質間に答えるという形で、今までゲイに関していろいろ書いてきましたが、本当に言いたいのはたった一つ、同性に性的に魅かれるのは自然なことだということだけなのです。それさえすべての人に理解されれば、ゲイゆえに抱える問題のほとんどが解決されると断言でききす。
しかし、現実の社会には、ゲイは異常だ、退廃だ、反白然だという悪意に満ちた誤解があふれています。この窒息しそうな状況を打ち破るには、ゲイが自分たちの殻に閉じこもっていてもはじまらないのです。まず行動することが必要です。それは、同性の人とセックスをすることかもしれないし、誰かに打ち明けることかもしれないし、またはゲイ・リブのグループに参加することかもしれない。それは人によって違うでしょうが、とにかく前向きの形で何かにぶつかってみるべきなのです。
ひとたび動いてみれば、頭の中でただグルグルと堂々めぐりをしていたときには見えなかった、さまざまな問題や意味が見えてくるはずです。その見えかけてきたものから得られる意識が、次にはもっと強い自信を伴った行動をひき起こすのです。そして、行動と問題意識が相乗効果をもたらし、ついにはその人を、あるがままの姿を受け入れ、自分を主張できる人間に変えていくでしょう。まずは動くことです。
今、一人でも多くのゲイが、自分なりのやり方で小さな行動を起こして欲しいと思います。この文章がそのきっかけになれたとしたら、これほど嬉しいことはありません。
中学三年の時だったか、たまたま家の近くの本屋の洋書コーナーで『HOMOSEXUAL EXPLOSION』というペーパーバックを見つけました。そのころは自分が「ホモ」だって気づいていましたから、このタイトルに飛びついて買ってしまいました。
その本はアメリカの同性愛に関する本でした。巻末にはアメリカ各地にあるHOMOPHILE(当時はまだゲイ・リブの団体はなくて、ホモ愛好団体みたいなネーミングだった)の住所が載っていました。男の写真が載ってる本でもくれないかなぁのスケベ心であちこちに手紙を送ってみたところ、いくつかの団体から返事代わりに機関紙が送られてきました。それが、僕とゲイ・リブとの初めての出会いでした。当時の僕は、自分が変態なんだということで悩み抜いていたわけではないけど、孤立した感じで心細い思いをしていました。そんな時に外国語で書かれたものとはいえ、同性愛者でもプライド持って生きようなんていってくれるものと出会えたことは、僕にどれだけ力を与えてくれたことでしょう。
僕はとても若い時期に、このように自分自身を受け入れることを助けてくれるものに出会えたことを本当に感謝しています。ゲイだからといって、皆がゲイとして同じように生きなければならないとは思わないけれど、若い時期に、もう一つの生き方も可能だということを知る機会は持ってほしいと思います。
現在は膨大な量の情報が流れていて、地球の裏側のどこそこで何を売ってるということまでわかるというのに、若いゲイが自分を受け入れて、ゲイとして生きていくのを応援してくれる情報と出会うのはとても難しいのです。今も、その状況は13年前とそれほど変わっていません。機会があると、こうやっていつも同じことを書くのは、偶然出会ったペーパーバックに救ってもらった恩返しのつもりなんです。
僕がこんなことを書く必要のなくなる日が一日も早く来てくれることを心から祈ります。
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