その他の依頼原稿など


「セルロイド・クローゼット」のパンフレットのために

1997年2月

 

 雑誌をパラパラとめくっていると突然「ホモ」という言葉が目のはしに飛び込んでくる。「ん!」 急いで何ページか戻りながらチェックしてみると、小さな級数で組まれた本文の中に、確かに「ホモ」という文字がある。そんな記事は、たいてい、たいした内容ではないことがほとんどなのだが、それでも、そんな小さな級数の文字にさえ気づく自分のスキャニング能力の高さに感心したり…。

 たまには、スキャニング・ミスで、ある文章中の「ホテル」のホの字と、隣の行の「メモ用紙」のモの字を合成して「ホモ」と認識してしまったことに気づいたりすると、そこまで「ホモ」についての情報に飢えているんだと自分がかわいそうになったり…。
 僕は若い頃、こんな経験をよくしてきた。

 長い間、ゲイやレズビアンはあたかも社会に存在しないかのように扱われてきたが、そんな透明人間のような扱われ方をされていると、人はどんなものにも自分の姿が映っていないかと探しだしたくなるものだ。たとえそれが、いかに断片的で、ひどく歪んでいようとも、見つけだせたことで安心感さえ感じられるのだ。もちろん傷つきもするけれど。

 社会からは最低の人間として捉えられているとしても、少なくとも存在はしていると認識されている方が、存在そのものを無視されているよりはいい。アイデンティティを確立するためには、他人に認められることが必要なのだ。

  僕は、今のようにゲイやレズビアンに関する情報がたくさん流れてはいなかった状況の中で、自分がゲイであることに気づき、受け入れ、肯定してこなければならなかったので、「ホモ」とさえ書いてあれば、どんなものにも飛びつくほど情報に飢えていた。だからこそ、あんなスキャニング能力も身に付いてしまったのだろう。同じ状況を通ってきたゲイやレズビアンで、同じような経験をした人は多いと思う。

 人は映画に様々なものを求める。多くのゲイやレズビアンがそうだったように、僕も映画に自分の「仲間」の姿が映し出されることを求め続けてきた。そして、その「仲間」が殺人鬼や変質者として描かれていたとしても、その映画は、僕にとってどこか特別な作品として心に残っている。

 映画は情報量の多いメディアなので、制作者側が意図しなかったようなものさえ運んでしまう。変質者の役だったけど顔が好みだったとか、最後は悲惨だったけど途中のパーティはゲイテイストにあふれていて楽しかったとか、全体としては暗い気分にさせられるような内容だったとしても、部分部分で楽しめるところがいくらでも拾えてしまうのだ。

 そんなポジティブな部分だけをお土産として持ち帰り、次の映画ではもう少しマシなものに出会えることを期待するといった、ある意味では、つましい楽しみ方を繰り返してきた僕には、この「セルロイド・クローゼット」(以下「C.C.」と表記)はホントに嬉しい贈り物だった。

 みんな同じような思いをしてきたんだ…。それは男が好きな男なんて、僕の他にいるのかしらと孤立感を味わっていた時に、他にも同じ仲間がたくさんいるという事実を知って、どこか安心し、嬉しさを感じたのと似たような感覚だ。
 
「C.C.」で取り上げられている120本の作品のリストから見たものを数えてみたら36本あったが、それらの作品がスクリーンに現れる度に、それを見た頃の自分の状況や、その作品への思い入れなどが思い起こされて、タイム・トリップでもしている感覚に陥ってしまった。

 この映画を見たお陰でお互いにカミングアウトして、大切なゲイの友人を持つきっかけになった「女狐」。映画館にテープレコーダーを持ち込み、録音して、家で何度も何度も聞き直した「真夜中のパーティ」。マイケル・ヨークが「僕も彼と寝た」と言ったとたん、嬉しくて嬉しくてスクリーンに向かって拍手したくなった「キャバレー」。これじゃ、ゲイの代わりに恐ろしい人食いワニがうようよしてる沼地を舞台にしたって変わりはないじゃないかと腹を立てた「クルージング」。僕自身のパートナーをエイズで失った時を思い出して、映画に対しても心が堅く閉じてしまった「ロングタイム・コンパニオン」。一つ一つ語り始めれば際限なく思いが溢れて、いくらページがあっても足りないくらいだ。

 しかし僕にとって、120本の中で一番思い入れのある作品といったら、なんと言っても「メーキング・ラブ」だ。

 「メーキング・ラブ」は82年の公開で、新宿武蔵野館での単館ロードショーだったと記憶しているが、客の入りが悪く、2週間過ぎたところで併映作品をつけて2本立てにされ、結局3週間で打ち切りになった。

 この「メーキング・ラブ」は公開の1年前に雑誌「アドヴォケート」を通じて制作発表を知り、それ以来日本での公開を心待ちにしていた作品だった。制作発表の記事には、監督はあの「ラブストリー」のアーサー・ヒラーを迎え、脚本家のバリー・サンドラー(「C.C.」にも登場している)もゲイで、ハリウッドで初めて作られる本格的な男同士のラブ・ストーリーを書けることを非常に喜んでいると書いてあり、僕の期待はいやがおうにも膨らんでいった。

 主演には、「スラップ・ショット」でケツ割れサポーター一丁姿を見せてくれたマイケル・オントキン(シュミなの)と、「タイタンの戦い」で半裸姿を披露してくれたハリー・ハムリン(これもシュミなの)と、TVシリーズ「チャーリーズ・エンジェル」で人気のあったケイト・ジャクソン(あまり関心なかった、ゴメン)が選ばれていた。

 男同士が大きなスクリーンの中で恋愛を演じてくれるなんて、こんな嬉しいことはない。おまけに主演の二人ともがシュミなんて幸運はそうあるもんじゃない。
 この頃、僕はこういうゲイのラブ・ストーリーを渇望していたのだ。
 80年代に入ると、ゲイを主役にした映画そのものは何本か公開されていたが、まだ正面から恋愛を描いたものはなかった。たいていがコメディとして描くか、「恐ろしい生態」を描くかのどちらかで、そういった映画から、いつも部分的なお土産ばかりを持ち帰らなければならない状況にウンザリし始めていたので、そろそろ甘く切ない、全編が砂糖菓子のような作品に出会いたかったのだ。

 もちろん新宿武蔵野館には初日に飛んでいった。

 果たして、この「メーキング・ラブ」はまさに僕が欲しがっていた映画だった。
 ホントに楽しそうな男同士のデートの様子。男を想って仕事が手に付かない男の切なさ。たっぷりと時間をとった「男同士」のキスシーン。こういった、僕が長いことスクリーン上で見たかったものを十分に与えてくれた記念碑的な作品だった。
 アメリカで公開された時に観客が出口に殺到したと言われているキスシーンが武蔵野館に流れ始めると、客席は居心地の悪さにザワザワし始めたが、僕は立ち上がって「わーいザマァ見ろ! こういうのが公開されるような時代になったんだぞぉ! バンザーイ!」って叫びたかったほど嬉しかった。

 しかし、ゲイの中でも、この作品を評価する人はあまりいなかったようで、僕のまわりでも「主人公のやり方は自分勝手過ぎる」とか「奥さんがかわいそうで許せない」とかいう評をいくつも聞いた。僕はその度に、「だって今まではゲイはいつもノンケの都合のいいようにしか描かれてこなかったじゃないの。なんで1本くらいゲイにとって都合のいい映画があって悪いわけ?」と反駁したものだった。

 とにかく、僕はこの作品にははまりこんでしまい、次の日から毎日1回見に行き、結局、全部で12回見た。主人公のザックが大好きだったギルバートとサリバンの「ピナフォア」も手に入れてよく聞いたし、後にノベライゼーションされた小説も買って、中に書かれていたザックが聞いている音楽をピックアップして、友人にテープを作って貰い、毎日のように聞いたりもした。僕はこの映画に恋をしていたのだ。

 もうあれから14年くらい経ってしまった。今冷静に考えれば、作品としてはそれほどのクオリティはないかも知れない。しかし、あの時代にハリウッドがよくこんな映画を作ってくれたと思う。今でもビデオでよく見るが、好きな作品であることには変わりはない。

 もうすでにビデオも手に入りにくい状態になっているようだし、忘れ去られていくんだろうなと淋しく思っていたのだが、この「C.C.」の中には、あの長いキスシーンがそのまま納められているのを見て心から嬉しかった。

 映画が好きで、スクリーン上に自分たちの姿が描き出されることを望んでいたゲイやレズビアンにとって、この「C.C.」は自分が何を求めてきたかを思い起こさせてくれる素晴らしい作品だ。多くの人に見てもらいたいと思う。


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