TAQ'S WRITINGS


 


 

 

 

 ドメスティック・パートナーということばを耳にしたことがあるだろうか? あまり馴染みのないことばかもしれないが、アメリカやオーストラリア発のゲイ関係のニュースでは最近よく出てくることばだ。

 この場合のドメスティックは「家庭の」という意味で、家庭のパートナー、つまり、いわゆる通常の結婚で言ったら夫とか妻にあたる相手をさすことばだ。

 家庭を営んでいる二人が必ずしも法的に結婚しているとは限らない時代だし、また夫とか妻とか性役割を限定することばを避けようとするPC的な発想からもこのような表現が用いられているようだ。

 ある意味では無機的で、情緒のない法律用語だが、このことばには、結婚によって当事者に生まれる様々な権利を結婚に準じた関係にも与えていこうとする考え方が表現されている。日本でも内縁関係という言い方で結婚していない相手にも法的な庇護が与えられているが、この内縁関係という「本来ではない関係」というようなニュアンスは、このドメスティック・パートナーにはない。

 そして、少しずつだが、このドメスティック・パートナーを同性間にも認めていこうという動きが生まれている。

 オーストラリアではドメスティック・パートナーとして認められれば外国籍の同性のパートナーにも永住権が与えられるとか、アメリカでも、ゲイやレズビアンが政治的イニシアティブを取れるほど多数派になっているような西海岸の小さな自治体では公的な機関が同性のドメスティックパートナーを認め、婚姻関係に準じた様々な権利を与えているところもある。

 また、社員に対して同性のドメスティック・パートナーを認め、ストレートの社員の家族が享受している特典も与えているようなリベラルな企業も少数ではあるものの少しずつ増えてきているようだ。

 何カ月か前に、アメリカの南部バプティスト教会の連合が、ディズニー社が同性愛者に寛容なのは許せないとしてボイコットを呼びかけたことがあったが、この指摘された寛容さの中にはディズニー社が社員の同性のドメスティック・パートナーを認め、手当などを支給していることも含まれていた。

 宗教的保守派グループはいわゆる伝統的家族の価値観が揺らぐのを恐れるあまり、リベラルな社風を持つ企業のボイコット運動などを展開して、同性愛に寛容な動きを封じ込めようと躍起になっている。

 噛みつかれたディズニー社としても自社に勤めるゲイやレズビアンなしに業務を続けることなど出来ないことはよく承知しているから、「我が社は伝統的な家族観も大事にしている」などと発表してお茶を濁すしかなかったようだ。

 同性間の結婚が認められない現状では、このドメスティック・パートナー制度は、ゲイやレズビアンが安心して家庭生活を営むための最低限の制度的な庇護だ。これさえ認められれば、少なくとも、突然パートナーが亡くなったとしてもアパートから追い出され路頭に迷うなんてことだけでも避けることができるし、パートナーが重い病気になっても看病する権利も、どのような治療を施すかの選択の権利も認められる。

 なんだか、ゲイやレズビアンはこんなささやかな権利さえ持っていないのかと思うと情けなくなってしまう。こんなお情けにすがるような方法ではなく、いずれはゲイやレズビアンにも結婚が認められるようになるべきだと、僕は心から思う。

 このようなことを言うと必ず、なぜゲイやレズビアンがノンケの価値観を取り込まなければならないのかという批判が出てくるが、一対一の関係を特別視するのが是か非かと議論をする前に、ノンケに認められている権利はどんなものでもそれを望むゲイやレズビアンに認められるべきだというのが僕の考え方だ。

 いずれデンマークのように同性間の結婚が認められる方向に世界は動いていくだろうが、現時点ではまずこのドメスティック・パートナーの考え方を広めるのが重要だ。

 だけど万葉の頃のように、夫でも妻でも呼んだ「つま」というようなことばに比べると本当に情緒がなさ過ぎる。それでも、そのうち「彼が僕のドメパなのぉ」とかいうように使われるようになるのかしらん…。



「バディ」1997年10月号掲載


Taq's Writings MENUに戻る