TAQ'S WRITINGS


 


 

 

 

 だから、あなたの本当の色を見せるのを恐れないで…。
          ----シンディ・ローパー「トゥルー・カラーズ」より



 今年も東京国際レズビアン&ゲイ映画祭で日本作品のコンテストが行われたが、10作品の応募のうち、ゲイの作品は2点だけだった。この公募は3年目を迎えるが、年々ゲイの応募が減り、今年はとうとう2作品になってしまった。これほどゲイの参加が少ないのは、このコンテストに応募したくなるような魅力が備わっていないとか、映像で自己表現をすることがまだ一般的でないとか、この催しそのものが持つ問題点もあるだろうが、日本において、何か表現を志す者がゲイをテーマに作品を作り出すことに、今でも戸惑っているというのが一番大きな原因ではないだろうか。初回から審査してきた僕の目にはそう映る。

 シンディー・ローパーが彼女の歌「トゥルー・カラーズ」の中で「あなたの本当の色は虹のように美しいわ」と歌ったように、他の人と違う自分自身の本当の色を表すことこそが、その人を真に輝かせる。彼女のメッセージは今でも有効だ。芸術とはまさにそれを目指す活動のはずなのに、多くの芸術の分野でゲイを表す色だけがいつも注意深く避けられている。日本では今でも禁色が存在しているのだ。

 芸術とは様々な様式を通して自己を表現することだ。そして、それを通して自己を実現していく方法でもある。その文脈で考えれば、表現される「自己」の中から常にゲイの部分が除外されているとしたら、それを自己表現とか自己実現とか呼べるだろうか。実は誰の中にもホモフォビアが潜んでいるのだ。

 自分の中にあるホモフォビアを意識し、それと対峙すること。それは芸術的な表現を志す者にとっては表現の根幹に関わる重要な部分だ。これは、全てのゲイのアーティストがゲイの表現をすべきだとか、ゲイリブ的なプロパガンダを作品に盛り込むべきだと言っているのではない。ただ、自分のホモフォビアと一度真っ正面から向き合ってみる必要があると言っているのだ。

 その上で、作品がどうなるかはその人次第だし、全く変わらないのなら、それも当然「あり」だと思う。重要なのは、向き合うのを避けないようにすることだ。

 すでに芸術的な表現の世界で活動している人にとって、これはかなり難しい注文だろう。今まで培ってきたキャリアを棒に振るかもしれないという恐れも生まれるだろうし、一度そんな表現を自分の作品に盛り込んだら、以後社会から色眼鏡で見られてしまい自分の活動が制限されてしまうという危惧を感じるだろう。だからこそ、表現を始めようとする早い時期からホモフォビアをなくすことが大事なのだ。

 ゲイであることは自己の中からきれいに切り放せることではない。それは全てではないが、全てに関わっている何かだ。どんな人を好きになるか、どんなことにドキドキするか、どんな人生を送りたいか。こういった自分にとって大切なこととゲイであることは密接に結びついている。

 これから何か表現を志す人には、そういった自分にとって大切なものを表現の中心に置くことを恐れないで欲しい。そのやり方を見つけていくのも、それを普遍的な表現に高めていくことに挑戦するのも、自分を深めていく方法になるはずだ。

 結局のところ、芸術が自己を表現することである以上、カミングアウトの問題を避けては通れないということだ。それも社会的にカミングアウトするというかなり難易度の高い問題を含んでいる。

 個人がゲイであることを受け入れていく上でカミングアウトが非常に重要な要素であるように、表現を志す者にとっては、ゲイの部分を見事に迂回して表現されたものがあふれる不自然な社会状況に、新たな何かを提示しようとするには、自分のゲイの部分に意識的にフォーカスを集めて表現を考えるという「不自然な」方法を敢えてやってみるのも、大きな意味があるだろう。

 いつの日か、それほど遠くない将来に、ゲイであることやカミングアウトにこだわる表現の意味さえ分からないような若い世代が、軽やかに自分の好きなものをストレートに表現するようになるだろう。しかし、少なくとも日本では、今はまだそういう時代ではない。次の世代が乗り越えていくような作品を今の時代に生み出しておくことは、今の時代を生きる表現者に課せられた使命だと思う。

 あなたが今何か表現を始めようとしているのなら、心のキャンバスの真ん中に、まずあなたの「トゥルー・カラー」を置いてみて欲しい。それがあなたを輝かせる出発点になるはずだ。



「バディ」1997年6月号掲載


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