雑誌「バディ」に掲載されたものから


僕の初体験

1994年5月号に掲載

 

 僕の初体験は、まだ薔薇族さえ発刊されていない頃、いわば有史以前のことだ。世の中には考古学も必要だから、僕も化石標本になりましょう。

 ワンス・アポンナ・タイム、受験を間近に控えたかわいい高校生が東京に住んでいました。もちろん僕のこと)それまでに何回か、通学途中の電車でチカンされた経験はあったけど、恐くて「ホモではありません顔」でいつも逃げていた。だけどヤリたい盛りに、受験のストレス。僕は煮詰まってきていた。こんどチャンスがあったら、例えどんな人でも、その人と絶対やっちゃうと決めた。二丁目の存在さえ知らない頃だし、ハッテン車両があるのさえ知らないから、決めたと言ってもなかなか実行はできなかった。

 当時、アングラ映画というのが流行ってて、文字通り地下の倉庫みたいなところでプライベート・フィルムを上映していた。自分でも8ミリを撮っていた僕は、新宿の蠍座という小さな劇場に通って、そのアングラ映画をよく見ていた。

 ある日、待ちに待ったチャンスが来た。隣りに座った人の手が延びてきたのだ。誘われるまま顔も見ずに、彼の後について外に出た。そこで初めて彼の顔を見る。「し、失敗した…。」 どんな人でもいいからと思っていたとは言え、これはいくらなんでも酷過ぎる。気持ちワルゥゥイ!人だったのだ。

 それでも決めた以上やり通そうと、決死の覚悟で付いて行った。妙に律儀な子だったのだ。行く先は連れ込み旅館。裸にされ、嘗め回され、嘗めさせられ…。

 「ぼうや、歯を立てちゃ駄目よん」。甘ったるい彼の言葉は、三十年近く経った今でも耳に残っている。とにかく早く終ることだけを願った。もちろん僕はイキもしない。彼が終って寝てしまったのを良いことに、こっそり抜け出して旅館を出た。そこで僕は電柱に持たれて、吐いた。

 思えば悲惨な初体験だった。だけどこのことを、何年も憧れていたクラスメイトに告白したことがきっかけで、その子が僕の初めての恋人になるという夢のようなオマケが付いてきたのだ。

 とにかく人間万事寒翁が馬。その時はひどい結果のように見えても、みんな次のことに繋がっている。思い切って行動してみることが、結局は自分の欲しがっているものを手に入れる最善の方法だという人生訓を、僕はこの時から持ったのでした。

 


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