雑誌「バディ」に掲載されたものから


デレク・ジャーマンが逝ってしまった

1994年5月号に掲載

 

 デレク・ジャーマンという、偉大なオカマの芸術家がこの世を去った。彼は死ぬまで同性愛者であることに拘り、それを表現し続けた希有な存在だった。

 彼の最も重要な表現媒体である映画作品には、必ず男同士が性的に惹かれ合うイメージが描かれている。彼は、それをいつもメインフレームに置いてきた。男同士のセックスや愛を描く人もたくさんいるが、何度か試みた後は「ホモセクシュアルの作家という形で限定されたくない」という理由からか、「もっと普遍的なテーマ」へと移行してしまう例はよく見る。圧倒的なマジョリティであるヘテロ社会のなかで芸術家として生き残ろうとすれば、それも仕方がないのかも知れないが、デレク・ジャーマンはそれを拒否してきた。

 その拘りは、映画製作という金のかかる媒体での表現をする彼にとって、資金調達を難しくする側面さえもたらしてきた。それなのに彼は敢えて妥協をしようとはしなかった。それどころか資金が無いことを逆手にとり、8ミリフィルムを使って映像を作り、それをヴィデオに移して編集し、最終的に35ミリにブロウアップして映画を完成させるという、独特の手法さえモノにしてみせたのだ。そして彼は何本もの映画を世に送り出してきた。

 「At Your Own Risk 」という彼の遺言にもあたる、最後の著作を読むと、彼がなぜそこまで同性愛に拘ってきたががよく分かる。この本は、同性愛であることとHIVに感染したことの二つにフォーカスを合わせ、彼の人生を振り返るという形をとっている。様々な思い出、データ、引用を細かくモンタージュしながら、一本の映画を作るような手法で、いかにヘテロ社会が同性愛を排除してきたか、そして同じ理由でHIVの感染者を排除しようとしてきたかを浮び上がらせている。

 デレク・ジャーマンは1942年、中流のちょっと上という階級の家庭に生まれた。家の中ではセクッスの話がされることは一度もなく、酒を飲むのもクリスマスの時だけという、禁欲的で厳格な家庭だった。そして規則だらけの寄宿舎生活の学生時代。そんな環境の彼には、自分の同性愛を受け入れることは不可能だった。感受性の強い彼は苛められ、傷つき、孤立し、途方にくれていた。

 その中で芸術だけが彼の救いだった。小さい頃から絵を描き初め、その才能は早いうちから認められた。大学に入った70年代になって、他の同性愛者と会い、同性愛を肯定的に捉えた考え方に触れ、自分を受け入れられるようになった。彼の孤立感を救った芸術と、彼の苦しみを解き放ってくれた男同士のセックスを肯定するメッセージ。この二つが、それ以降の彼の自己表現に、決定的な方向性を与えたのだ。

 彼の映画には、ナラティブなものでも、イメージを連ねていくものでも、必ず同性愛が描かれているが、そこには常にヘテロ社会に対する憎悪が裏打ちされている。その憎悪が、彼の表現をラディカルなものにしてきた。

 デレク・ジャーマンの描き出すホモセクシュアルのイメージは、愛の姿というよりは性行為の色あいが濃い。それはヘテロ社会が「男同士がセックスを貪るのは許さないが、愛ならまだいい」という偽善的な態度をとるからだ。彼らの最も嫌がるイメージを描くことこそこそ、同性愛者にとって非常に重要なことなのだという思いが、彼にはあるのだ。

 同じ意味合いで、彼はゲイという言葉に懐疑的だ。ヘテロ社会にとって耳触りのよい言葉を使うことで、彼らにへつらいながら仲間に入れていただくというおもねりを感じてしまうのだ。彼が憎悪してきたのは、自分に都合の悪いものを枠の外へ排斥し、無視しようとするヘテロ社会の作り上げてきたシステムそのものなので、そのシステムに同性愛者が組み込まれることに危惧感を持っていたのだ。彼は敢えて自らをオカマ(QUEER)と呼んで、その気持ちを表明し続けた。

 その彼がHIVに感染した。彼が憎んで止まないヘテロ社会のシステムは、同じ論理で感染者を排除しようとしている。彼はそのシステムに闘いを挑み続けるしかなかった。そして実際、彼は死ぬまで闘い続けた。

 デレク・ジャーマンの芸術家としての才能を評価する人は多い。たくさんの人がそのことについて語ってきた。しかし、芸術家として評価されればされるほど、彼が自分の才能に乗せて訴えたかったものは、芸術という心地よい響きを持つオブラートに包まれて曖昧にされてしまうのだ。

 同性愛者であることを切り放されて、芸術家としてだけ語られたり、評価されたりすることは決して彼の望んでいたことではないはずだ。彼の創り出してきた視覚イメージの美しさや革新性に一切触れずに、敢えて彼のホモセクシュアリティに拘って書いてきたのは、僕なりの彼への弔意の表現だ。

 偉大なオカマの芸術家がこの世を去った。僕たちは大きなものを失ったのだ、といつか気付くのだと思う。

 


Taq's Writings MENUに戻る