ホームへ戻る


 少し前まで、僕は、北朝鮮について、「わけが分からない国」「何をするかわからない国」
「政治体制のひどい国」といった考えしか持っていませんでした。
多くの日本の人たちも、似たような考え方を持っているのではないか、と思います。
上に書いたようなことは、一面では、正しいのかもしれません。
しかし、最近、そういう認識だけではいけないのではないか、と思うようになったのです。

 そもそも、なぜ、朝鮮は北と南に別れているのか、ということです。
イデオロギー間の争いなど、いろいろな事が言えると思います。
しかし、根本に立ち返ったとき、日本による占領が、その一因となったのでは
ないだろうか、と思うのです。
すくなくとも、占領したことによって、分断の「下地」を作ったことに
間違いはないように思われます。
加えて、日本は戦時中、朝鮮の方々に、過酷な労働の強制など、非人道的な行為を
数え切れぬほど犯してしまいました。
そして現在も、在日朝鮮人の方々は、様々な差別を受けています。

 「歴史に『もしも』はないのだから、仕方がないのだ」と言う人もいるでしょう。
「もう条約が結ばれたんだから、終わったことだ」という人もいるでしょう。
「それは昔の人がやったことで、私たちに責任はない」という人もいるでしょう。
しかし、それで「謝らなくていい」ということには、ならないような気がします。
少なくとも、それで朝鮮の方に納得してもらえるとは考えにくいと思います。
 僕がここで言っているのは、お金の問題ではありません。
『心』の問題です。
人間は感情の動物ですから、お金を払っても心が伴わなければ、納得して
もらえないこともあるでしょう。
逆に、真心があれば、お金を払えなくても納得してもらえることもあるでしょう。
そういうことです。
「過去に条約が結ばれたから、もう終わったことである」というのは、
『カタチ』の話であって、『心』の話ではないと思います。
『カタチ』である条約が破られて、戦争が勃発した例など、枚挙にいとまがありません。

 たしかに、朝鮮の方に会うたびに、日本人が頭を下げなくてはならない、
というのでは少し大変かもしれません。
ビジネスの世界などでは、まったくナンセンスな話でしょう。
しかし、国民の代表である政治家たちは、きっちりその根底に、「謝罪の心」を
持っているべきなのではないか、と思います。
「日本は今まで、たくさんの資金援助などを行ってきているのに、
なんでさらに謝らなくてはいけないのか?」という人もいらっしゃると思います。
しかし、やはり事の本質は、「お金」の話ではないのだと思います。
さらに言えば、日本の過去の過ちを小さく見せようとする、人格の矮小な腐れ政治屋が
いるせいで、いつまでたっても許してもらえないのではないでしょうか?
そして、そうした政治家を当選させてしまっている、我々有権者の責任も
問われてしかるべきでしょう。
「俺には関係ねーや」といって投票しない人が、間接的かつ消極的に、
そういった腐れ政治屋を当選させてしまっているのです。
 僕は最近、そんなことを考えながら、朝鮮関連のニュースを聞いています。
ホームへ戻る

メールはこちら<kf9k-hrht@asahi-net.or.jp>