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 先日、とある病院を見学する機会があったので、そのときの感想と、
ちょっと考えたことを、率直に書いてみたいと思います。

 病棟では、かわいい飾り付けをするなど、いろいろ工夫されているようでした。
しかし、(どこの病院でも、ほぼ同じことですが)建物自体、ちょっと殺伐とした感じ。
外壁は、コンクリートに少々色を付けた程度。
天井も、低くて起伏が全くなく、圧迫感を感じさせる作りでした。
窓枠一つとっても、なんとなく事務的でモノサシ的な感じ。
なんとか、もっと「家」っぽい感じ(レンガや木の感じを出したり、吹き抜けを作ったり)
の建物にできないものだろうかと、しばし考え込んでしまいました。
今は、どの病院も経済的に厳しい状況にあり、とてもそんなことに手出しのできる状態
ではないかもしれませんが、将来、建築技術や新建材の開発によって、そういうことが
安価にできるようになったら、是非、採用すべきだと思います。

 蛍光灯も、ちょっと気になりました。
蛍光灯って、なんとなく青みがかって物が見えますよね。
だから、健康な人も、なんとなく暗く、不健康に見えてしまいます。
別に私はナショナルの回し者ではありませんが、今は「パルックwarm」など、
いい色の蛍光灯もあるので、そういうものも組み合わせて使ってもいいかもしれません。
ご飯だってもっとおいしく見えるはずです。
(殺菌効果のある蛍光灯を使っている場合もあるので、一概には言えませんが。)

 それから、病院の壁って、のっぺらぼうですよね。
写真や絵などをかけて、もっと雰囲気を明るくしてもいいのではないでしょうか。
もし、写真をかけるなら、写真は、患者さんや医療スタッフから募集してもいいと思うんです。
(僕の知る限り、写真の好きな医療従事者はかなり多いはずです。)
かわいい孫の写真、病院の庭の小さな花の写真、病院から見える朝日の写真、
患者さん同士で撮った写真、そういうのを募集して、定期的に写真展なんか
開いてもいいかもしれません。
そして、投票用紙も一緒に設置して置いて、人気の高かった写真は、引き延ばして、
病院の壁に飾る、という。
余力があれば、病院のホームページ上にその写真を掲載するのもいいかもしれませんね。

 病室も、個室ではありませんでした。
当たり前ですが、将来的には、ある程度狭くなるにせよ、個室化するのが理想ですね。

 患者さんたちは、わりと明るい感じでいらっしゃいましたが、どうせ長期療養なら、
なんとか普段着に近い形で、そして、できることなら少しおしゃれでもできたら、
気分も少しは違ってくるのではないかなぁ、と思いました。
無論、これには衛生的な問題がかなり大きいのかもしれません。
(「赤ひげ診療譚」でも、そんなエピソードがでてきたような気がしますし。)



 なにより、患者さんたちが、それぞれの感性を解放し、創造の喜びを得られるような
場はあるのだろうか、という疑問が残りました。

 そこで、病院という「建物」に、何が足せるかなぁ、と考えてみました。
図書室、図画工作室、ゲーム部屋、談話室、多目的室、などがでてきました。
礼拝室も、これからの国際化社会では必要になってくるかもしれません。
その場合は、多宗教に対応できるよう、ただの四角い部屋がいいのではないでしょうか。
(病室が完全に個室になったら、そんな部屋はいらなくなりますが。)

 PC(パソコン)室、なども考えました。
しかし、できれば、PCは各病床ごとに用意したいところです。
メールの読み書きをするためだけに、いちいち違う階のPC室まで出かけていく、
というのでは、大変です。
特に、ハンディキャップの大きい方は、PCを使えない、ということになりかねません。
また、出かけていってPCをさわるのでは、じっくり腰を据えて、取り組む
などということは、かなり難しくなってしまうでしょう。

 そこで、企業や個人などが、使わなくなったPCに目を付けてみたらどうか、
と考えました。
放っておけば、廃棄されてしまうそのコンピュータ。
性能は数世代前でも、まだまだ使えると思うんです。
そう。
「DOSベースなら。」
あ、もちろん、今流行の「Linux」でもOKですが。(^-^;;

米国に、実例があります。
現在、米国では、コンピュータによって、貧富の差がさらに大きくなってしまっている
と言われています。
裕福な家の子どもは、小さい頃からパソコンをさわり、コンピュータを扱う能力を
身につけることができます。
しかし、貧しい家の子どもは、それができません。
そのことによって、裕福な家の子どもが、さらに就職などの際に有利な位置に
立ってしまう、というわけです。
そこで、廃棄されそうになっているコンピュータを引き取り、そういった貧しい家の
子どもたちの一部に配布したのです。
「DOS」でも、インターネットは利用できます。
IBMがDOS用のブラウザを開発しましたし、DOSでEメールを扱うこともできます。
「DOS」そのものも、今はフリーで配布されています。
(「MS−」DOSではありませんが、ちゃんと使えます。)
Linuxならば、さらに可能性は広がるでしょう。

病床のコンピュータをDOSベースにすると、さらにもう一つ、利点があります。
眼の不自由な方にも使っていただける、という利点です。
WINDOWSのような、GUI(Graphical user interface)環境は、実は、眼の不自由な
方には、非常に使いづらいものなのです。
なぜなら、(基本的には)画像が見えないと、操作できないようになっているからです。
DOSのように、1行1行、文字が表示されていく、キャラクタ(文字)ベースの環境なら、
点字ディスプレイというものがあります。
眼の不自由な方でも、自在にパソコンを操作できるのです。

 さて、このPCで、どんな「創造」ができるのでしょうか。
僕は単純に、メールだけでもすごいことだと思います。
電話と違い、気軽にやりとりできるので、家族との絆を保つのにも、
多くの人と友人になるのにも効果があるでしょう。
また、今考えていることをまとめたり、小説を書いてみる人も出てくるかもしれません。
それを、ホームページで公開できる、となれば、さらに創造の幅は広がるでしょう。
入院しながら、人気ページを開設する人も出てくるかもしれません。
同じ病気に苦しむ人同士で、励まし合うこともあるかもしれません。
作曲をする人も、いるかもしれません。
コンピュータと、ネットワークの発達は、多くの「創造する人」に
大きな追い風を送ってくれているのです。



 「21世紀は、『生命』の世紀としていかねばならない」
と、ある識者はおっしゃっておりました。
 「療養期間」を、「人生そのものの休み、人生の空白の期間」ではなく、
「自らを耕し、深め、自由に創造できる期間」としていただけるように、
医療スタッフと、そして「病院」という建物が、お手伝いをしていく、
というスタンスが、21世紀には大切になってくるのかもしれません。
 その上で、「ボランティア」が、どう根付き、働いていくかが、
21世紀の日本の医療のキーポイントになるような気がします。
長文にお付き合いいただき、ありがとうございました。
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