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モンタナ神経科クリニック物語
長谷川寿紀 著 教育出版

感想。
 この本は、アメリカの田舎町(?)、モンタナでの、著者のてんかん治療の様子を
描いたものである。
それは、様々な患者の姿を通して、アメリカの医療の問題点、アメリカの田舎の暮らし、
てんかんという一疾患を通して見えてくる人生の本質、その他さまざまなものを
浮き彫りにして、私たちに示してくれている。
ところどころに難しい言葉も出てくるものの、全体としては文章も比較的読みやすく、
親しみやすい。
また、ちらりちらりと、独特のギャグや、厳しい口調の批判なども出てくるが、
それも、向こうで暮らすなかで、自然に身に付いたものなのかもしれない、そう思った。



○アメリカの田舎暮らしと銃

p.147
「モンタナの女はガンマンだ」というローカルの諺があるが、ガンはそれくらい
良く普及している。人口密度が低く、家と家の間の距離が途方もなく大きいので、
女が一人で家にいて、変態か熊か何かがやって来たときに自分の身を守れないので、
ガンを持っているのだ。

時々、ニュースで、アメリカの大統領が銃を規制しようとしたが、議会の猛反発にあった、
というような話をきく。
背景には、銃の関連業界の圧力があるというが、銃が生活必需品の一つになっている
ところもある、そのことも大いに関係しているのではないか、と思った。
(無論、熊退治に自動小銃はいらないはずだが。)
山形でも、どこそこで熊が出現し、付近の住民が猟銃でしとめた、
というニュースがよく報道される。
周りに人が住んでいないとなれば、銃が必要なのもうなずける。



○アメリカの医療

この本は、「てんかん」という疾患をメインに取り上げているので、
医療の現場全体の状態を知ることにはなかなかならないかもしれない。
しかし、てんかん治療の様子を通して、感じとれる「雰囲気」というものはある。
その意味で、この本は、非常にリアルに、アメリカの(田舎の)医療の雰囲気を
知ることができ、とても興味深かった。

たとえば、癌の告知。
p.149
日本でもそうなりつつあると聞いているが、アメリカでは癌の告知は診断確定したら
その日のうちにでもすぐ行われる。
「癌だ」というだけでは告知にはなっておらず、ちゃんとどの程度のひどい癌で、
予想される余命があと何ヶ月で、治療のオプションはこれこれがあって、云々と、
全部説明しなければならない。

いずれ日本でも、こういった「告知」が当り前になって行くのだろうと思う。

また、訴訟大国アメリカならではの話が次。
p.151
「あぁ、そうですか。それを聞いて安心しました。ありがとうございました。」
そう言って、この医者は電話を切った。患者が全快してから安心すればいいのに、
自分の責任がなくなったからといって、安心しましたもへちまもあるまい。
医者ってこれだから自分中心的な者が多いのだ、と言われても文句は言えない。
道理でジョンが「ヤブ」って言った訳だ。
これは「薮医者」とは必ずしも無能力な医者をさすのではなく、
患者が信頼して頼れない医者をさしているよい実例である。
私も肝に銘じた。

日本でも、一部に「訴訟さえ起こされなければよい」というような風潮がたしかにある。
医学の講義でも、「これをしないと訴訟を起こされても勝てません」
といった話がされることがある。
私は、それも医療の質の向上のためには必要なことであると思うが、
それに終始してしまっていては、やはり患者さんの本当の利益には
つながっていかないし、患者さんに信頼してもらえる医師には
なれないのではないか、と思う。

 またこの本では、最近台頭しつつある(?)「マネージドケア」というものに
対しても、警鐘を鳴らしている。
インターネットを使って「マネージドケア」について調べてみたが、
やはり実際にはマイナスの効果が大きいようだった。



○死者に対して……

こんな記述があった。
p.176
奇妙なもので、人間は生きている人間よりも、死んだ人間を誉めたり
同情したりする傾向がある。
故人をよく知っていて本気でそういう気持ちになるのであればいいが、
そうでなければ往々にして死んだ人を高く評価するポーズを取ることによって、
死んだ人に同情を寄せている人から歓心と得点を買おうとする打算的行為であることが多い。

確かに、そういうこともあろうかと思う。
また、いわゆる「テクニック」として、死者を賞賛する場合があるような気もする。
やはり、大事なのは「心」であろうと思う。
外面だけなら、いくらでも繕うことが出来る。
しかし、「心」だけは、テクニックによって作り出すことはできない。
演じることはできるかもしれないが。



○人種差別

p.196
東洋人がほとんどいない田舎町であって、東洋人の若い女と言えば、軍人が
外地出征してもらってきた女というふうにしか見られず、私の家内は娘の幼稚園で
ほかの父兄からそういう偏見で見られて苦労したようだ。
子供はにこやかで、人なつきがよく可愛いのに、黄色人種だというので話しかけも
しないどころか、自分の子供を私の娘から遠ざけようとするが如き金髪白人の親も
結構いた。

アメリカには、多くの人種の人々が住んでいるが、未だに人種差別はなくならないという。
法律などによって、あからさまに差別することは減ってはいても、
人々の心の中にある「差別意識」は、未だに生き残っているらしい。
それは教養や性格の問題ではなく、その人の持つ「境涯」、
いうなれば生命の傾向の問題ではないか、とも思う。
その人が、いつも人を下に見ていなければ安心できない、
嫉妬の炎に自ら焼かれ、苦しんでいる人ならば、
その人自身の持つ「差別の心」はなくならないだろう。
それは、教養や社会的地位を身につけたらといって、なくなるもののようには思われない。
なくなったように見えても、それはうまく隠しおおせることができるように
なっただけかもしれない。
それを変えていけるのは、やはり、正しい哲学、信仰によるしかないのではないかと思う。
それらは、唯一、人生のもっとも根底の部分を変えうる力を持っているものだから。



○おまけ

この本の続きは、次のURLで閲覧することが出来る。
http://www.geocities.co.jp/HeartLand/9101/gold10.html
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