変身
カフカ著

 この作品は、カフカの代表的な短編です。

 作品を読み始めて、まず最初に強烈な印象を受けたのは、
主人公の無頓着さ、というか、誤った冷静さ、でした。
自分が巨大な毒虫になっているのに、そのままなんとか仕事に
出かけようとしたり。
精神科的に言うと、「病識がない」とでも言うんでしょうか。
その異常さに思わず引き込まれ、自分も毒虫になってしまったような
気持ちになって読み進めました。
読み終わって振り返ってみると、やはり際だつのは、詳細で冷静な描写、
そしてその不気味さ。
また、どことなく日本的なにおいを感じさせる作品だなぁ、なんて思いました。

 さて、この作品、なんとなく読んでしまうと、「あぁ面白かった」で
終わってしまうような気がします。
実際僕も、そうなりかけました。(^-^;
でも、それでは本を「読んだ」ことにはならないわけで。
たぶん、「もし明日起きたとき、自分が毒虫になってたらどうしよう」
なんて恐怖するのも違うんじゃないかと思います。(^-^;

 きっと解釈は無限にあって、どれも間違ってはいないんでしょうけど、
僕はむしろ、毒虫になって、家族からも忌み嫌われ、正常な精神を
保てなくなっても変わらなかった、兄の妹に対する「愛」にこそ
眼目があったんじゃないかなぁ、なんて思いました。
「気色悪さ」が全面に出ている作品ですが、
実は「愛」を描いた作品だったんじゃないか、って。

 人は相手を理解できていないと、外面だけで相手を判断し、
理解しようともしないで排斥してしまうことがありますよね。
ひょっとしたら、その一見怖ろしい外見の裏には、
果てしなく豊かな内面世界が広がっているかもしれないのに。
相手はこちらを愛しさえしてくれているかもしれないのに。

 だからこそ、大切なのは、対話。ですよね。
排斥するよりも、よほど勇気のいる、対話。
理解しようともしないで排斥するのは、臆病者のすること。



 今、世界は戦争の世紀だった前世紀の遺物を引きずって、またしても
狂気と血にまみれようとしていますが、その根底にあるのは
「対話の欠如」なんじゃないかなぁって、思います。
なんとしても21世紀を「対話の世紀」に変えていかなくちゃいけない。
そのためには、人類の一人一人が、「対話の勇者」にならなくちゃいけない。

 戦争の後遺症に悩み苦しまされ、死んでいく子どもたちの映像を見て、
そう思いました。
「安易な排斥」が生み出すのは、「凄惨」の2字。
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