この本は、葉っぱのフレディが生まれて、死ぬまでのストーリーです。 |
アメリカの哲学者が書いたもので、ずばり、テーマは「生と死」。 |
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文はとても淡々としているのに、ビックリマークとか全然ないのに、 |
読みながら、なんだかちょっとドキドキしちゃいました。 |
やっぱり童話だけに、話が短いんですよね。 |
必然的に、生まれてから死ぬまでを読む時間も短い。展開も早い。 |
それで、ドキドキしちゃったんじゃないかなぁ、と思います。 |
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それから、書いている内容が、欧米の話にありがちな |
「神様の思し召し」一本槍とは全く違ったから、 |
というのも、ドキドキした一因だったかもしれません。 |
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今の日本は、「死」というものを、あまり見つめない傾向が |
あるように思いますが、僕は、もっと日常的に「死」について、 |
考えていくことが大事なんじゃないかなぁ、と思う一人です。 |
いつか来る「死」を考えずに、「生」を本当の意味で |
充実させていくことはできないと思うからです。 |
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その意味で、この本は「生と死」を身近なものとしてとらえ、 |
考えていく上で、とても良いきっかけになると思います。 |
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この本では、「他」のために働き、喜んでもらうことに、喜びを見い |
だす生き方、そしてその安らかな「死」を描いているように思います。 |
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そういうのを「欺瞞」だと思う方もおられるかもしれません。 |
しかし、僕はやはり、「自分自身のため」だけに生きていては、 |
結局、自分の人生に「意味」「価値」「本当の喜び」を見いだすことは |
困難なのではないか、と思うんです。 |
また、死ぬときになって、 |
「あぁ、自分は誰にも感謝されることはなかった。 |
はたして自分の人生に意味はあったのだろうか?」 |
なんて思うことになったら、なんて恐ろしいことだろうか、 |
と思います。 |
そのとき、どんなに地位や財産を持っていても、そんなものが |
どれだけ役に立つでしょう。 |
否、それらはむしろ、その寂寥感を |
さらに強めてしまうかもしれません。 |
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一つの物語が、喜劇であるか、悲劇であるかを決めるのは、 |
物語の課程ではなくて、その結末です。 |
僕は、「自分はやるべきことを、自分なりにやりきった」 |
「自分は社会のため、人のためにこれだけのことをした」 |
という、誇りと満足感をもって、死んでいきたいと思います。 |
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「自分の犠牲」の上に「他の幸せ」を築くという発想ではなく、 |
一見「人のため」のように見えることも、実は結局、 |
「自分のため」につながっているという洞察。 |
この世の全てのものは、常に変化し続ける、しかし、 |
その変化、そして「生」と「死」の連鎖は、「大自然の設計図」、 |
言い換えれば「宇宙を貫く法則」の一つの現れである、 |
という洞察。 |
それら、この作品の奥底を流れているものは、 |
まさに仏法そのものだ、と思いました。 |
著者は仏教徒なんじゃないだろうか、 |
と思ってしまったほどです。(^-^; |
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しかし、様々な事象を深く深く洞察していくとき、 |
その考えが仏法に近づいていくというのは、 |
きわめて自然なことだと僕は思っています。 |
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おわりに。 |
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童話なのに、とても深い内容でした。 |
こんなにいろいろ考えさせられる童話も少ないかもしれません。(^-^; |
もし、機会があったら、ぜひ、読んでみていただきたい一冊です。 |
(ホント、あっという間に読み終わっちゃいますよ。 |
そうそう。うちの学部の図書館にも一冊ありました。) |