Fragment #001

“高貴なる光輝−The Noble Radiance of The Shuker

 


 広漠たる月の砂漠を、一機のTUが歩いている。

トパス製作所製のクンビラである。正確にはクンビラ3といって、運輸連盟など民間でも広く使われている、コクピット周りの耐放射線性と気密性を向上させたモデルであった。

歩く、といっても月面は低重力環境であるため、実際にはふわふわと跳ぶようにして前進している。ときおりバランスを崩しそうになっては、手に持った金属製の杖を振って、その反作用でなんとか姿勢を保っている始末だ。そもそもこのクンビラ、基礎設計自体はもう七・八年前という年代物であるから、なんとも見目に危なっかしいことこの上ない。よほど酷使されたのか、ところどころ外装が剥がれ落ちているのがまた印象を貧乏くさくしていた。

 そうして不恰好なスキップを延々と続けるうち、足裏に増設された大型スパイクの踏みしめる大地が、いつしか砂から舗装路に変わった。

 オレンジのカメラカバーの向こうで、クンビラの単眼が上へと動く。見上げた先には、天高くそびえるタワーの姿があった。左右に目を向ければ、同様の塔が等間隔で地平線の先まで並んでいるのが見える。遥か天空でケーブルがそれらを結び、半透明の天蓋を吊るしていた。いわば超巨大な温室、その外側にクンビラは立っているのだった。塔と塔の間に背の高い壁があるため、内側を窺うことはできない。

パラテラフォーミング技術によって創出された地球府のワールドハウス、“ニューベル”である。ワームホールの開く特異点を囲むように点在する衛星都市国家の一つにして、地球府直轄の永世中立国だ。

 さらに近づこうとクンビラが再び歩き出したそのとき、ニューベルを囲む壁面の上方、その一部が音もなく――真空の月面であるから、これは当然なのだが――開いた。その奥から大柄の航宙機が三機ほど飛び出し、まっすぐクンビラの方向へ向かってくる。真上までやってきたところで航宙機たちは変形し、超古代の騎士鎧を思わせる人型へと姿を変えた。

ヴィンデが設計した可変TUX3(エクスリー)である。統一国家連合議会が地球府に対して、友愛のしるしとして贈った機種だった。

「そこなTU、用向きを申しなさい」

 クンビラのコクピットに、先頭のエクスリーからの通信が入る。鋭利な刃物を思わせる女性の声である。

「俺は、ウィークリー・プレオロニクスのラブ・オガスリブだ。取材の許可は貰えていると思ったが、美声のシューカーさん?」

 クンビラのパイロット――ラブが応答した。幾許かの間を置いて、エクスリーが返答する。

「確認しました。その背中は?」

 クンビラのショイコ・ユニットが、量産品と比べて不自然に大型化されていることを見咎めたのだろう。

「ただのコンテナさ、中身は水と食料だ。なんせ延々徒歩だったものでね」

 なんだったら調べてもらっても構わないが、と付け足すラブ。

「そのような失礼を我々シューカーは行いません、信じましょう。ただし、武器の類は規則でお預かりすることになりますが」

「武器って、この杖もか? 弱ったな、これがないとこいつは歩くのもままならんのだが」

「……わかりました、そのままで結構です」

 女はあっさりと承諾した。もっとも、ここに近づくまでの千鳥足は彼らも監視していただろうから、棒の一本を与えておいたところで無害と判じたのも当然だろう。

「すまんね」

「では、こちらへ」

 エクスリーに手を引かれながら、みたびクンビラはニューベルへと歩みだした。

 

 

 ラブは、長髪を風に揺らしながらクンビラを降りた。歳の頃は三十代といったところだろうか。前髪が左頬を覆っており、人相がいまひとつ判りづらい。

 ここはニューベルの内部、タワーの足元から入り、いくつかの隔壁を抜けた先のTU格納庫である。クンビラの足元では、先刻のエクスリーのパイロットがラブを待っていた。

「第十二席シューカーのキスラ・パスラ・エリクスラ・クエスラです。現在ここの防衛隊長代理を務めています、よろしくお見知りおきを」

 そう言ってシューカー式の敬礼を向けてきたのは、足元まで届く亜麻色の髪と鎧のような装束が目を引く美女であった。肘から先には、腕をすっぽりと覆う形の機械――ハンドモジュール――が着けられている。まだ二十歳前後の若さだろう、腰で輝く銀色のメダルの輝きがよく似合っていた。

「こちらこそ、よろしく。いや、声のみならず、お姿も実に美しい」

「我々シューカーは、常に完璧な姿であるべく努力していますから」

 当然というふうに答え、開口一番の世辞を受け流すキスラ。衒いというのではない、それは紛れもない事実なのだろう。にべもないと思いながらも、ラブは笑顔でなるほどねと頷いた。

 と、唐突にキスラが片腕を上げた。間髪おかず、そのハンドモジュールから「隊長代理」と声が発せられる。

「どうした」

「工事現場で崩落事故が。復旧にさらなるエクスリーが必要です」

「許可する。持ち場を変更させた者の一覧は提出するように」

「イエス・カー」

 短いやり取りののち、ハンドモジュールは沈黙した。

「それって、通信機にもなるのかい」

 前触れなく腕を上げたのは、着信を神経で直接察知したためかと理解するラブ。

「はい。我々の指揮系統は、いまやこれなしには成り立ちません」

「機械の操作もできるんだろう?」

「ええ。……ハンドモジュールに、興味がおありですか?」

 重ねて訊ねるラブを、キスラは怪訝に思ったようだった。

「ああ、失敬。ジャーナリストの性分でね。つい執着してしまう」

「左様ですか。ですが、どうかご用件は手短にお願いします。お聞きになったようにタワーの増設工事に人手を割いているもので、私も長く詰所を離れるわけにはまいりません」

「ほう。ドームの拡大を?」

 好奇心にかられ、さらにラブが訊ねる。

「現状のままでは、これ以上の人口増に対応できないのです。このところあなたがたの連合国や、ケダブールからの亡命者が多いものですから」

「皮肉、かい?」

 ラブは笑い、キスラは笑わなかった。

「いいえ。戦乱に涙するのはいつだって力なき市民だ、というだけのことです」

「軍人とて、平和を望んでいないわけではなかろうさ」

「そうであってほしいものです。心から」

キスラはそう言って、含みのある視線を向ける。聡明な女性だと、ラブは直感した。

「さておき、本題に入りましょう。事前の連絡では我々についてお知りになりたい、とのことだそうですが?」

「ああ、その通りだ。地球府の誇り高き守護者と呼ばれるシューカーの実態を知りたい」

「我々は中立堅持のための自衛隊です。それ以上でもそれ以下でもありません」

「それは俺も承知しているが、君たちの装備にはまだ謎も多くてね。たとえば、その腕のそれ、とか」

 ラブはキスラのハンドモジュールを指差しながら言った。

「……こだわりますね」

「いや、実はここに来る前に他の地球府のワールドハウスにもいくつかお邪魔したんだが、そこで聞いたところによると、ハンドモジュールはこのニューベルから広がったそうじゃないか。それも、ここ数年の間に。ならここに来れば、その発明者を訪ねることもできるかと思ったのさ」

 その長広舌に、ラブの本心は含まれていなかった。

彼の本音はこうだ。地球府にハンドモジュールをゼロから作り出せるだけの技術力が存在するとは思い難い。ならばそれは、何者かが何らかの意図をもって地球府に与えたものであるはずだ。だがその何者かはラブの国が属する連合議会でも、それと敵対関係にあるケダブール条約機構でもないらしい。では果たしてそれは一体、誰なのか?

「あなたのおっしゃりたいことはわかります。しかし我々に、その発明者を紹介することはできません」

「ほう。それはどうして?」

「あなたがたの連合議会が我々にエクスリーを贈ってくださったように、その方とて善意で我々にこの技術を贈ってくださったのです。我々の誇りにかけて、何らの情報も教えることはできません」

「なるほど。納得できる理屈だ」

 ラブがあっさりと引き下がったので、キスラはやや拍子抜けしたようだった。

「俺もこう見えて、誇りを大事にする人間なのでね」

 そう言ってラブは笑い、キスラは笑わなかった。

 

 その後、ラブがキスラと二言三言を交わしていると、彼女が事前に呼びつけていたらしい別のシューカーが、ラブの案内役としてやってきた。

「彼女が?」

 ラブが眉をひそめたのは、そのシューカーがまだ幼げ、せいぜい十七・八歳と思しき小柄な少女だったから、というだけではない。少女がまとっているのが服と言うにはあまりに簡素な、革のベルトを組み合わせた半端な拘束衣のようなものだったからだ。腕に着けられたハンドモジュールだけが、他と不釣合いに肌を隠している。

「ええ、広報担当官のネネア・フィリア・フィッター・ネクロアです。まだ新人ですけれど……。ネネア、くれぐれも客人に粗相のないようにね」

「はい、ねーね! じゃなかった! いえす・かー、隊長代理!」

 キスラはずっこけそうになりながらの盛大なため息でこれに答えてから、「では、私はこれで」とラブに目礼して立ち去った。

「……あの堅物女史の体裁を崩すとは、なかなかやるなあ」

 感心したように顎をなでるラブ。

「んあ?」

「いやいや、なんでもない。それで、君が施設を案内してくれるって?」

「うん。メンドいけど、仕事だからね。よろしくな、おっさん!」

 苦笑しつつ、この娘は本当に誇り高いシューカーなのだろうか、と内心で疑うラブである。

「ああ、よろしく。それと俺はラブ・オガスリブだ、おっさんはやめてくれ」

「うん、わかったよ、おっさん!」

 元気よく答えると、ネネアはろくに後ろを振り向きもせず先導を始めた。

ぽりぽりと頭をかき、急いで追いかけるラブ。

「あー、もう勝手にしてくれ……」

こりゃあ、あの隊長代理に体よくあしらわれたな、とようやく理解するのだった。

 

 

 そんなこんなでラブは、施設内の一般見学者コースとやらを歩くことになってしまった。これはこれでシューカーについての見識が深まる有意義な体験になりそうであったが、スタート地点の「シューカーの歴史」からして、案内役の少女が質問に一つたりと答えられないのには頭を抱えるほかなかった。逆に訊いてもいないエクスリーについて、いかに自分の憧れであるかをとうとうと語り始めたので、本当にこの少女は広報担当官なのだろうか、とわりと真剣に悩んでしまうラブである。

「ん。どうした、頭痛かおっさん?」

 当の本人は罪悪感という言葉をかけらほどもご存知ないようで、あっけらかんとしているのだから始末に負えなかった。

「ああ、うん。ある意味頭が痛いよ」

「やさしさが足りてないんじゃないのかー? さて、それじゃ次行こー!」

「はいはい……。ところで、その恰好寒くないのか、ニニア?」

 言った瞬間、少女が振り返って一歩を詰めると、至近距離からものすごい怒りの形相でラブを睨みつけてきた。

「ネネアだ! ネネア・フィリア・フィッター・ネクロアだ! 間違えるな!」

「おっと。すまんね、人の名前を覚えるのは苦手なんだ。ええと、ネネア・フィリア・フィ……すまん、なんだっけ?」

「ムキーッ! ネネアたちシューカーは名と姿と職を誇りにしてるんだ。次に間違えたらサバくからな、お前!」

 びしっ、と指を突きつけるネネア。目が猛烈な勢いで吊り上がっている。

「き、気をつけるよ」

「ふんっ! だからこの服もネネアの誇りだ! 文句があるなら捌く!」

 文句というか目のやり場に困るだけなんだが、と思いながらも、こう鼻先に指を突きつけられては、とりあえず黙っておくしかなかった。

「やれやれ、とんだ災難だ……」

 肩を怒らせて順路を進みだしたネネアを追いながら、ラブはぽつりと呟くのだった。

 

 少女の機嫌を直すために、それからのラブは展示物そっちのけで気を使う羽目に陥った。

 ぷんすかしていた彼女がその後はじめて態度を変えたのは、ふと目にとまったアクセサリに言及したときである。

「ネネア、そのメダルは……?」

 ベルトを組み合わせたような服、その腰の部分で、照明を受けて鈍く光るメダルが揺れていた。

「う」

「そういえば、確かキスラ嬢も腰にメダルを付けていたな。でも君のは、あれより何だか……」

 安っぽい。そう言いかけて、ラブは慌てて口をつぐんだ。下手を打ってよけいに機嫌を損ねられては、たまったものではない。

「……やっぱり、子どもっぽい?」

 しかし、若干の間ののちに返ってきたのは、予想外の弱音であった。

「そう、これは偽者だよ。高位席の証のレプリカ、ただのおみやげもの」

「ふうむ。土産ってことは、ここで売ってるのか?」

「え? うん、そうだけど……」

「よし。じゃあその売り場に案内してくれ。ほらほら早く、広報担当官どの」

 言うが早いか、ラブはネネアの肩に手を置いてぐいぐいと押しはじめた。

「うえ、ちょっ!? さわんな、おっさーん!」

「いいからいいから」

 そうやって見学順路を素通りしてやってきた売店の受付で、ラブは販売員の説明を受けていた。

「追加料金でお名前やご希望の文字を彫ることが可能ですが、いかがですか?」

「ああ、頼むよ」

「ありがとうございます。ではこちらにご記入を」

 差し出された書類に、自分の名前を書き込むラブ。

「……ん? なんで姓名逆に書いてるんだ、おっさん?」

 横から覗きこんだネネアが訝る。

「まあ、ちょっとな。ケダブール式、ってところさ」

「ふうん?」

 そうして記入した書類を渡すと、販売員は腕につけたハンドモジュールを刻印機にはめ込み、メダルに文字を彫り始めた。

「ほう。ハンドモジュールにはあんな使い方もあるんだな」

「うん。てかむしろ、TUとかの操縦よりも日ごろの生活で使うことのほうが多いよ。シューカーだけじゃなくて、みんなも使いだしてるし」

「そうなのか。どんな技術にも、平和利用の道というのはあるものだな……」

 いつかTUさえも争いの道具でなくなる時代が来ればいいのだが、とラブは心底から思うのだった。

 そして刻印作業は数分で終わり、めでたくラブの胸にも安っぽいメダルが飾られることとなった。

「ていうか、それなんのつもりさ、おっさん。慰めのつもり?」

 ネネアが唇を尖らせる。

「バカを言うな。君のメダルは魅力的だと思えた、だから俺も欲しくなった。ただそれだけの話だ」

「…………」

「シューカーは姿を誇りにするんだろう? なら君も胸を張れ。恥じる必要などどこにもない。少なくとも俺は、そう思う」

 まっすぐな瞳に射抜かれたネネアは頬を赤らめると、すぐに顔を背けて販売員の方を向いた。

「あの、このおっさんはシューカーの客人なんだ。だからお金は隊長代理に請求しておいて」

 その言葉に少しだけ驚いた様子を見せるラブ。

「いいのかい?」

「いいんだ!」

 つっけんどんな様子がおかしくて、ラブは微笑んだ。まあ、ささやかでもあの隊長代理の鼻を明かせるかもしれないと思えば、悪い気持ちはしなかった。

「ありがとな、大切にするよ」

「あ、あったり前だ!」

 ネネアの頬が、また薄く朱に染まった。

 その頃。

ニューベルに程近い月面に、砂をかきわけながら滑走する影があった。

それは一隻の大型艦、統一国家連合議会軍の改シーク級である。

 改シーク級は、かつて月面戦争で運用されたシーク級を改良した戦艦だ。戦艦というのは古代のそれと意味が異なり、すなわち戦術単位(タクティカル・ユニット)配置支援艦のことで、ありていに言えばTUの母艦ということになる。

その無言にして突然の来訪が意味するのは、TUによる奇襲に他ならなかった。

 休憩スペースの長椅子に並んで座りながら、なんとか打ち解けたラブとネネアが雑談に興じていた。

「でもネネアは、まだエクスリーに乗せてもらえない。戦わせてもらえない。戦わなきゃ、誇りは守れないのに」

「いやいやネネア、こんな言葉を知っているかね――“われら、全人類の平和を希求してここに来たれり”」

 ネネアの顔に疑問符が浮かぶ。

「トランキリティ・ワールドハウスに残されている碑文だ。一説によれば、遠い遠い昔、はじめて月へやってきた人類が残した言葉らしい。いいかいネネア、俺たちはそれほど昔から、平和を願って生きてきたんだ。ならば、戦わぬことこそ何よりの誇りだとは思わないか?」

「……そう、なのかな。よくわからない」

「いやまあ、実を言うと、俺にもよくわかってないんだが」

「おっさーん」

 ネネアはけらけらと笑った。

「あ。そうだ、おっさんはじゃーなりすとなんだよね? じゃーなりすとってのは確か、いろんなところに行くんだよね?」

「うん、まあ……、職業柄ひとところに留まりはしないな」

「それじゃあもしかして、にーに、じゃなかった、トーマスって男を知らない? トーマス・クリステンセン」

 詰め寄る表情は打って変わって真剣そのもので、ラブは少々気圧されながらも正直に答えた。

「いや、聞いたことのない名前だ。すまないが」

「そうか……」

 あからさまな落胆の色に沈むネネア。

「尋ね人か?」

「うん」

 かつてニューベルにやってきたその男は、ある日唐突にいなくなってしまったのだ、とネネアは語った。

 たった一度きりの口づけを残して。

「理由はわからない。でも、だから、ネネアはにーにを探しにいくためにエクスリーに乗りたいんだ」

「……俺も、思い人を失う女性のつらさはわかるつもりだ」

 一度は互いに憎からず思いもした相手に銃口を向け、そして向けられた、いつかの悲しい記憶がラブの脳裏をよぎる。

「もし今後トーマス君に会うことがあったら、君が探していることは必ず伝えておこう」

「うん、たのむ」

 そう言って、ネネアは嬉しそうに笑った。

 ――そんなあたたかな空気を、けたたましい警報がつんざいた。

 防衛司令室に映る改シーク級の映像を前に、キスラが部下たちに向かって矢継ぎ早に防衛態勢を整える指示を出している。既に話し合いは申し入れたものの、先方に応答の素振りはなく、戦速を維持したままだった。

 ふと彼女は、あのラブという男とこの襲撃との関連を疑った。軽佻浮薄を装っているようで、その仮面の下に隠し事をしている様子のあの男が、議会軍を手引きしたのでは――?

 だが、すぐに首を振ってこの考えを打ち消す。彼の真意がどこにあるにせよ、誇りを大事にしていると言った時の凛とした瞳だけは、信頼に値すると思えたからだ。

「休暇中の高位席にも非常召集をかけろ。居住区に入られて人質でも取られたら、我々に打つ手はなくなるぞ」

「イエス・カー。しかし、高位席はみな、タワー建設現場です。今からでは、とても……」

 間に合わない。その言葉を、部下は口にすることができなかった。

「……わかっている。だがこのまま黙って蹂躙を許すわけにはいかぬ! 私も出る、エクスリー全機出撃準備」

「い、イエス・カー! エクスリー出撃準備!」

 部下の復唱を背に、キスラは急ぎ格納庫へ向かった。

 つい先頃着任したこの方面軍の指揮官が、地球府をまったく尊重しない急進派だという噂は、ラブの耳にも届いている。

「だとしても、派兵とはずいぶんと思い切ったことをする。……あるいはこれも、先ほどの事故とやらも、連中の差し金、か……?」

 モニタ内の改シーク級を見ながら、ひとりごつラブ。その隣で、ネネアはこの事態にただ呆然としていた。

 二人がやってきたのは施設内の広報室である。必要とあらば即ドーム内へ映像を配信できるように、ここへは司令室と同等の情報がリアルタイムで入ってくる仕組みになっていた。

 やがて改シーク級は動きを止めると、カタパルトからTUを続けざまに吐き出し始めた。鋭角的なフォルムが特徴の、ツィルである。月面戦争時に開発された機種だが、その完成度は高く、今なお議会軍の宇宙戦力の大半を担っている。その一つ眼がひどく恐ろしげに感じられて、ネネアは足を震わせた。

 キスラもまた、エクスリーのコクピットで震えていた。

揃えられた戦力は、エクスリー四機のみ。恐ろしくないわけが、ない。高位席シューカーの彼女であっても、TUでの実戦経験は数えるほどしかなかった。僚機のパイロットに至ってはゼロである。

だが、それでも。それでも我々は立たねばならない、とキスラは思った。

誇り高きシューカーとして。否、力なき人々の牙として。

深呼吸すると、手の震えは止まった。力強くハンドモジュールをコンソールに叩き付け、自己と愛機を一体化させる。

「行くぞ! 我々の魂を見せつけろ! カー・シューカー!」

「カー・シューカー!!」

 盛大に鬨の声が上がった。巡航形態のエクスリーがニューベル外壁のカタパルトから次々に打ち上げられ、漆黒の空へと駆け上ってゆく。

四機は星の海を背にして人型への変形を果たすと着地し、総勢十二機のツィルと向かい合うように布陣した。

 エクスリーたちは右手にライフルのような形状のGDL砲を握っていたが、その砲口が火を噴くことはない。それはあくまで自衛力であり、相手から撃たれるまでは決して撃てないのだ。それがシューカーの守る法であり、そして誇りだった。

 議会軍も委細承知しているのだろう、ツィルが腕のハードポイントに装備した火砲を使う気配はない。小型のソー・ナッターを握りつつ、進軍を始めていた。

 左手と一体化した格闘戦用のシールド・ナッターを構え、エクスリーも前進を開始する。

 戦力比一対三、絶望的な戦闘の火蓋が切られようとしていた。

「いかんな」

 モニタを見守っていたラブが、ぽつりと漏らした。

「まともにぶつかったら、練度の低いエクスリーでは負ける」

「え?」

 不吉な呟きに、ネネアがラブを見る。

「……よし」

 ラブは何事かを決心したように頷くと、身を翻して駆け出した。

「な……え? え? ちょ! おっさん!」

 ネネアは困惑の態ながら、彼を追いかけることにした。

 本気で走ったラブの足は、とてもとても速かった。

 格納庫まで追いかけたネネアは、いきおい息があがってしまっている。走るうちにすっかり服がずり落ちて、発育途上の胸がこぼれていた。

 見上げると、ラブは眠っているクンビラのコクピットに乗り込むところだった。

「お…、おっさん! まさか、今のうちに逃げる気か!? 戦わないことが誇りってのは、逃げる言い訳だったのか!?」

ラブは詰問するネネアを無言のままで見下ろすと、右目でウインクし、そしてハッチの向こうに消えた。

「見損なったぞ、バカぁっ!」

 吐き捨てるように言って広報室へ駆け戻っていくネネアの姿が、橙の光が宿ったメインカメラごしの映像として、コクピット内部に映った。

 ネネアの目には涙が浮かんでいた。たとえ一時であっても、あの男をカッコいいと感じてしまったのは間違いだったと思った。にーにといいおっさんといい、どうしてみんな自分を見捨てて行ってしまうのか。無性に悲しくて、そして本気で腹が立った。

 ――だから。

「……ほえ?」

目を腫らしたネネアが広報室に戻ったとき、モニタに映るクンビラを見てぽかんと口を開けてしまったのも、無理からぬことと言えるだろう。

 画面の中のラブは戦いから逃げるどころか、よりによって向き合う両陣営のど真ん中へと飛びこんでいた。飛びこむというか跳びこむといった具合で、例の緊張感のないスキップのままエクスリーの列を追い越して進んでいく。

 シューカーも議会軍も、その闖入者には面食らった様子だった。両者ともに動きを止め、クンビラの様子をうかがっている。注視の中で、バランスを崩したかクンビラが前のめりに転倒した。その無様さに、ツィルが仲間を見て肩をすくめる。

「ををををっさんっ!? そんなトコで、何を!?」

 杖をついて立ち上がったクンビラのコクピットに、広報室から通信が入る。皆目わけがわからないといった調子である。

「戦わねば勝ち取れぬ誇りもある。ネネア、君が言ったことは正しい」

 ラブは静かに答えた。その声からは、焦りも恐れも諦めも感じられない。ただ、誇りだけがあった。

「俺もその通りだと思う。それだけの話だ」

 こいつの礼もあるしな、と心の中で付け加え、胸元のメダルを指で軽く弾くラブ。

「それだけって、おっさん……! そんなポンコツで一体どうするってのさ!」

「まあ見ていろ。TUの戦技には、()も一家言あるものでね」

 言うと、クンビラはさながらバトンでも扱うかのようにくるくると手の中で杖を操り、それから棒術使いのように小脇に構えた。そして空いているほうの手でツィルの一機を指差すと、己の首元をかっ切る動作をとる。

 相手を旧型と見下していたこともあってか、そのツィルは面白いほど簡単に挑発に引っかかった。ソー・ナッターを上段に振り上げながら、クンビラに向かって走り出す。全身に姿勢制御用のスラスターを装備しているだけあり、クンビラのようにふわふわともたつくことはない。

 ソー・ナッターが振り下ろされる。クンビラは杖で地面を軽く突き、その反動でこれを回避した。ツィルの第二撃を待たず、杖の先端を手首の関節に直角にねじ込み破壊する。取り落とされたナッターが地面につくよりも早く、今度はメインカメラを突き割った。

目にも止まらぬとはまさにこのことだろう。流れるような最小限の動きとふらつく様は、かの酔拳を思わせもした。顔を割られたツィルが、よろめいて下がる。

「す……すっげーっ! おっさんすっげー!」

「おう。あとおっさんはやめてくれ」

 言いながら、太腿の付け根にさらなる打突を行う。ツィルはがくりと膝をついた。

 この様子を受けて、静観していた他のツィルから、今度は三機ほどがクンビラに向かってきた。

「うわあっ、おっさん逃げてっ!」

 ネネアが悲鳴を上げる。だがクンビラがスキップするように進みだしたのは、向かってくるツィルのうち一機の方角であった。

 これには相手も意表を突かれたか、慌てて突き出されたソー・ナッターがクンビラを切り裂くことはなかった。着地の勢いを乗せた杖を肩口に突き刺すと、二機目のツィルへと転進するクンビラ。

 二機目、そして三機目。一撃一撃が的確な角度でTUの脆弱な点を精密に狙い打ちし、次々と擱座させていく。

 一対三では勝ち目がなくとも、一対一を三回であれば話は変わってくる。そうであるなら、あえて接近することで相手の意図する接敵タイミングを少しでもずらすのが勝利の秘訣――つまりはそういうことであった。

 敵もこちらの意図を察したのだろう、残るすべてのツィルたちがクンビラを取り囲むように態勢を整えなおすと、その輪を保ったままじりじりと距離を詰め始めた。

「奴さんたちも素人じゃない。連携されると杖じゃ勝てんな」

「ええ!? ど、どうするんだよおっさん!」

 慌てふためくネネア。だが対照的に、ラブは落ち着き払ったままだった。

「ネネア、知ってるか? クンビラとは古語でネズミを表すそうだ。そして……」

 悠長に喋りながらも、コンソールに指を走らせる。――途端、危なげにふらついていたクンビラの身体がぴたりと安定した。

続いてクンビラの背中のコネクタが動き、大型のショイコ・ユニットが分離する。危なげなく振り返ると、足元に落ちたショイコの真ん中へ杖の一端、打突に用いたのとは逆の側を挿入。固定される感触が伝わる。

さらに片足のスパイクを分離させると同時に、軽く蹴り上げる動作をとる。ふわりと浮いた無骨なスパイクが、持ち上げて横薙ぎにした杖の先、角柱状のショイコの底面にがちりと固定された。

そうしてクンビラの手に現れたそれ(ヽヽ)は、もはや杖でもショイコでもなかった。TUスケールの鎚――スジキーリキ(ヽヽヽヽヽヽ)

「窮鼠は、猫を噛むのだよ!」

 オレンジの瞳が、アクティブ・センシングの鮮やかな輝きを放つ。

 スパイクを固定するために薙いだ動きのまま、上半身をさらにひねって、スジキーリキを振りぬくクンビラ。横合いから跳びかかろうとしていたツィルが直撃を受け、派手に吹っとばされた。頭部と胸の一部が圧壊している。

 続けてクンビラは地を蹴ると、慣性を活かして別のツィルの頭を横から蹴りとばす。さらに別の一機の肩に片手を置くと跳び箱でも跳ぶがごとく身を跳ね上げ、くるくると空中で回転してから着地した。

一瞬で包囲の輪から脱したその機動性を目にして、ツィルたちが思わず後ずさりする。アクション映画もかくやという光景に圧倒され、ネネアやエクスリーたちはただただ立ち尽くしていた。

「いや、サウエル君のプログラムは実に優秀だな。操作感が地上と変わらない」

 スジキーリキを肩に担いだクンビラの中、ラブが感心した様子で独語する。

 一瞬後、我に返ったツィルたちが、再度クンビラへと向かってきた。だが半ば恐慌をきたした彼らにチームワークと呼べるものは既になく、それはつまり追加プログラムを走らせたクンビラの敵ではないことを意味していた。

 そうしてさらに何度かスジキーリキが振るわれたあと、気付けば、五体満足なツィルの数はわずか五機にまで減っていた。それとて怯んだか、積極的に向かってこようとはしない。

「来ないのならば、こちらからゆくぞ!」

 クンビラが走り出す。そのスピードに乗って跳躍すると、スジキーリキを振り上げた。

 と――。なりふり構っていられぬと判断したのだろう、ツィルの一機が腕のレールガンを向けた。姿勢制御スラスターをほとんど持たない空中のクンビラは、今や恰好の的だった。

 発砲。

 だがクンビラは空中でスジキーリキを思い切り振り動かすと、着地軌道を微妙にずらし、間一髪で弾丸を回避する。そのまま放り投げられたスジキーリキが、発砲したツィルの股間を見事に直撃した。バランサーへの一撃に、たまらずへたり込むツィル。

 しかし無理な機動をさせすぎて駆動系が疲労したか、クンビラもまた着地に失敗して尻餅をついてしまった。残った四機のツィルがこの好機を逃すはずもなく、無防備なクンビラに一斉に銃が向けられる。

「ちいっ!」

 ラブは歯噛みし、ネネアは目を覆った。

 銃撃一閃。

……だが、クンビラに傷はなかった。それどころか、すべてのツィルの銃が、腕ごと消し飛んでいる。

「その方は、我々の客人です。害なすおつもりなら、我々とて撃つに躊躇はいたしません!」

 開放回線で声高に宣言したキスラ機のGDL砲、その砲口が赤熱していた。

その背後からは、エクスリーの増援が続々と到着しつつある。タワーの建設現場にいた高位席シューカーたちが、ようやく駆けつけたのである。

ツィルの腕を狙い撃った彼らの腕前を見て、議会軍は完全に戦意を喪失した様子であった。擱座した仲間に肩を貸しながら、ほうほうの体で三々五々に母艦へ遁走してゆく。

「おっさん、みんなも、追いかけないのか?」

 悠然と仁王立ちしたままそれを見送っているクンビラに、ネネアが不思議そうに問うた。

「言ったろう、戦わぬことが誇りになる場合もある。ただそれだけの話だ」

 やがて全てのTUを格納すると、改シーク級は踵を返して去っていった。

 かくしてニューベルは、危機から救われたのである。

「ラブ・オガスリブ。あなたの勇気に敬意を表して、お教えいたしましょう」

 決然たる口調で通信を入れてきたのは、キスラだった。見ればキスラ機以下、エクスリーたちはすべて人型に変形し、クンビラに対してシューカー式の敬礼を行っていた。

「我々のハンドモジュールは、真静と名乗る方々からいただいたものです」

 <真静>。その名を聞いたラブは、思わずといった様子で驚きの表情を浮かべる。ツィルに銃口を向けられた時にも倍する動揺であった。

「やはり、そうなのか……!」

 髪に隠された左目を抑えるようにするこの男、どうやら<真静>という組織とはなにがしか、浅からぬ因縁があるようだった。

「……ありがとう、キスラ・パスラ・エリクスラ・クエスラ。それだけ聞ければ十分だ。これ以上の迷惑をかけぬうちに、私は退散するとしよう」

「え、もう帰っちゃうのか、おっさん!?」

「ああ。名残惜しいが取材は終わり、ここからはまた戦いだ。誇りと平和のための、な」

「終わりっておっさん、まだろくに見学してないんじゃ……?」

 意味がわからない、といった様子で首をかしげるネネア。

「さらばだ、ネネア・フィリア・フィッター・ネクロア。縁があればまた会おう。……あと、頼むからおっさんはやめてくれ」

 最後の一言がやたらと痛切げだった。

 ネネアはしばらく考えていたが、やがて諦めると、彼女にもひとつだけ確実にわかっていることを口にした。

「おっさん! おっさんはシューカーだな! 誇り高い武の者だ!」

 クンビラはスジキーリキを拾い上げると返事がわりにひらりと手を振り、そして不恰好なスキップで地平線の向こうへと消えていった。敬礼するネネアにはその後ろ姿が、憧れのエクスリーと同じくらい恰好よく見えた。

 数日後、統一国家連合議会軍某基地。

その基地の一室に、長髪の男――ラブ・オガスリブの姿があった。顔の左半分を覆っていた銀髪が今は後方に流され、左目を縦断する大きな古傷が覗いている。

彼は沈鬱げな表情で、ひとり執務机に向かっていた。机の上に幾枚かの紙資料が乗っており、資料にはとある兵士の個人情報が記されている。

「トーマス・クリステンセン伍長、ステガギガス防衛戦にてMIA、か……」

 口に出し、改めて内容を確認しなおす。

 MIA――戦闘中行方不明(ミッシング・イン・アクション)。その語が表すのは、大抵の場合において戦死(KIA)である。

「……連中に人生を踏みにじられるのは、私一人だけで十分だというのに」

唇を強く噛み締める。あのネネアという少女にこの事実をどう伝えたものか、まったく気が重かった。

 と、何者かの来室を告げるチャイムが鳴り響き、ラブは顔を上げた。

「大佐、私です。よろしいですか?」

「ああ君か、いや、五秒だけ待ってくれないか」

 インターホンの声に応えながら、机の上の帽子とサングラスに手を伸ばす。きっかり五秒の後に扉を開けた女性秘書が目にした最愛の男は、もうすっかり本来の姿を取り戻していた。

「私だと分かっているなら、そんなに焦って身繕いしなくてもよろしいんじゃなくて、ヴァル?」

首を傾げ、悪戯っぽく笑う秘書。その長い髪が揺れる。

「知らなかったかい、実は私はシューカーでね。常に完璧な姿を心がけねばならんのさ」

 臆面もなく返したラブ――否、ヴァル・ヴァサーゴの軍服の胸には、過去にニヒルバウン戦などで得てきた数々の勲章が並んでいる。それらにまぎれて、安っぽい作りのメダルが“OGASRIV LAV”という文字をわずかに、しかし確かに輝かせていた。

それは、それこそは、誇りという不確かなものに秘められた輝き。どうしてもその内奥に隠れることができずに洩れ出でた、何よりも高貴なる光輝であった。

<“rekuhS ehT fo ecnaidaR elboN ehT”――