カニクリームコロッケ  
 
 

なんというか、それはまったく奇妙な出来事だった。

月曜の朝、着替えを小脇に抱えてリビングに出ると、
見慣れない弁当箱がダイニングテーブルの上に置いてあるのを見つけた。
それも二つ。
普通の大きさをした、プラスチック製の赤と青の弁当箱。
中身を冷ますためにだろうか、蓋は開けられていて、
色とりどりのおかずが綺麗に並べられているのがうかがえた。
かすむように眩しい朝日に照らされて、テーブルの上にくっきりと浮かび上がっている。
シャワーに向かう足をとめて、呆然としつつ、ねぼけ眼をこすってみた。
なんだかちょっと家庭的な趣すら感じさせる光景に、アタシはひどく違和感を覚えてしまって、
にわかには自分の目に映る物をすんなりと信じることができずに、
やがてシンジに声をかけられるまで、一人テーブルの前でぼんやりと佇んでいた。
 

2015年、アタシは日本のとある郊外都市に住んでいた。
どしゃぶりの雨のような蝉の声と、
じっとりと蒸し暑い熱気が延々と日本中を覆い尽くしていた、あの年月の最後のひととき。
当時十四歳だったアタシは、ある事情から国連軍の関連機関に勤めていて、
保護者代わりの上司のマンションに一人の同僚とともに居候していた。
幼い頃に母を亡くしたアタシにとって、
誰かと一つ屋根の下に暮らすのは随分と久しぶりのことだった。

片親にしろ、二親にしろ、親を亡くしていることなどさして珍しくもない時代だったから、
当時の小中学生にとって、家の手伝いなんてごく当たり前の日課だった。
それでも、幼い頃から職業軍人としての訓練に明け暮れていたアタシは、
日本に来るまで包丁すらろくすっぽ握ったことがなくて(ナイフならあるのだけど)、
上司の家に入居した日、自分にも家事が分担されると知って随分と文句をたれた。
ただでさえこうも忙しいのに、どうして自分が家のことまでしなくてはいけないのかと。
しかしまあ今にして思えば、保護者であり、上司でもあったミサトという女性は、
満足に家で過ごす時間をとれない程せわしく働いていた上に、アタシ以上に家事能力を欠落させていたから、
そのマンションにおいて人間的な生活を営もうというのであれば、
それはやむを得ない負担だったのかもしれない。

まあなんにせよ、アタシはさほど熱心に家事をする必要はなかった。
したことと言えば、自室の掃除、衣服の洗濯、それと週数回の食事当番くらい。
それだって殆どは出前か中食で済ませてしまっていた。
もう一人の居候であるシンジがいなかったら、
一体あのマンションが居住可能な空間を保てていたのかまったく怪しいものだったと思う。

シンジは几帳面で神経質な性格をした、アタシと同い年の男の子だった。
思春期の少年特有の痩せた体つき、アタシと同じくらいの背丈。
黒髪に黒目の風貌はあまり際だった特徴もなく、特に格好いいというわけでもなくて、
どことなく中性的でやんわりとした面立ちをした彼は、少々臆病で、その分どこかお人好しだった。
時折見せる厭世的な目つきや、投げやりな物言いは、
どうやら父親とのいわくありげな関係に由来していたようで、
アタシや、他の多くの同年代の子供達と同じように、
シンジもどこかしら(あるいは全てにおいて)愛情の欠けた家庭生活をおくってきたようだった。
そのせいだろうか、彼は人付き合いの苦手な、ひどく内向的な性格をしていた。

同居生活の間中、彼に対して、アタシはしょっちゅう腹をたてていた。
職場においては目障りなライバルで、
学校においては冴えない男子で、
そして、家庭においては少々冷めた同居人。
どこで何をしていても、今ひとつ煮え切らない彼の振る舞い。

はっきりいって、アタシとは水と油だった。
それでも、始終ぴりぴりととんがっていたアタシと、
うじうじとしたシンジが決定的なケンカをしないで済んでいたのは、
ひとえに彼の対人関係におけるバランス感覚のお陰だったのかもしれない。
決してヒトに踏み込まず、決してヒトに踏み込ませない少年。
そんな男の子と、一体どうやって本気でケンカすればよかったというのだろう。

しかし、まあとにかく、(前にも書いたけれど)アタシ達の家庭生活を切り盛りしていたのはシンジだった。
休日ともなれば、掃除に洗濯、それから細々とした買い物。
慌ただしい日常の合間に、それだけの家事を飽きもせずによくやっていたと思う。
アタシはといえば、少々呆れ顔をしながら、少年の立ち働く様子を眺めるのが精々だった。
(もっとも、その分、少年以上に仕事には打ち込んでいる気でいたけれども)
それでも、料理に関しては、さすがのシンジもお手上げのようだった。
事毎に、彼は栄養の偏りを気にしてぶつぶつ言っていたけれども、
(無気力の塊である彼がどうして料理にはこだわりを示したのか、今でもよく分からない)
きちんとした料理を調理するのは、(どう考えたところで)体力的にも、時間的にも無理な話だったのだ。
インスタント食品、出来合のお総菜、出前、あるいは外食。
そういった顔ぶれに、ときおりサラダやスープを付け足すのがシンジにしてみれば精一杯だった。
ましてや、アタシやミサトは、料理に関して絶望的に不向き。
結局、アタシ達の食卓は随分と寂しいものになるのが通例だった。
 

だから、その日の朝、
まるで「きょうの料理」から飛び出してきたかのような手作り弁当がテーブルに並んでいるのを見て、
アタシはとても驚いてしまった。

白昼夢を見ているような気さえする。
なんというか、それはまったく奇妙な出来事だったのだ。
 
 
 



しずく

:カニクリームコロッケ                               かぽて



 
 
 

「あれ、アスカ、、、まだシャワー浴びてなかったの?」

その日の朝食当番だったシンジは、キッチンから出てくるなりアタシに声をかけて、
それから、返事をしないアタシをよそに、テーブルの上にトーストやらサラダを並べていった。

「、、、、、、、、、ちょっと、シンジ、、これ、どうしたのよ?」

「どうしたのって、、、、ああ、これ?、、、、お弁当だけど」

視線はお弁当に貼り付かせたままで尋ねるアタシに、シンジがぞんざいに答えた。

「そんなの見れば分かるわよ。
だから、どうしてこんなものがあるのかって言ってんでしょ」

「え?、、、、、って、あれ?覚えてないの?」

「、、、、、は?」

アタシは少々間の抜けた声を返した。

「『は?』って、、、、、これ、アスカが作れって言ったんじゃないか、、、、、」

「へ?、、、、、、、そうだっけ?」

「そうだよ」

そうだった。
そう言われて、ようやくアタシは思い出した。
先週の金曜、夕食の後のことだ。
友人のヒカリや何人かのクラスメートがお昼用にお弁当を持ってきているものだから、
アタシにもお弁当を作れと言って、そうシンジにごねてみせたのだ。
何かあると直ぐにうろたえるシンジ。
アタシにしてみれば、彼は大層からかいがいのある、絶好の憂さ晴らしの相手だった。
我が侭を言ったり、無茶を言ったりすると、いちいちその反応が笑わせる。
その時も、まあ言うなれば遠回しにからかったのだった。

「、、まあ、、、、そういえばそうだけど、、、、アンタ作るなんて一言も言わなかったじゃん」

そうなのだ。
折角のアタシのからかいも、
そんなこと急に言われてもな、と一言で片づけられてしまったのだ。

シンジは(何度も言うようだけど)気弱な少年だった。
だから、大抵の人には、大抵のことがあっても、面と向かってはっきり言い返すことをしなかった。
そのくせアタシにだけはタメ口をきいたりして、結構突っかかってきたりするのだ。
もっともその度に、シンジの癖に生意気だとか言って、散々冷やかしつくしてやったのだけれど。

「、、、、うーん、そうだっけ?」

「そうよ」

とアタシがちょっと怒ったように言うと、
シンジは、「まあ、たまにはいいじゃん。健康にもいいしさ」と言って、キッチンに戻ってしまった。

なんだか釈然としないものを抱えつつ、アタシはシャワーを浴びに浴室へ向かった。
 

たっぷりと時間をかけて朝の支度を終えてから、再びリビングに戻ると、
そこにはアタシの分の朝食とお弁当が一つ置いてあるだけで、
どうやらシンジは既に登校した後のようだった。
そのようなことはままあることなので、さほど気にもとめなかった。

あの頃、アタシは少々不真面目な中学生だった。
既にドイツで一通りの学校教育を受け終えていたアタシには、中学の授業なんて概ね退屈なものだったし、
なにより、連日遅くまで行われていた訓練の後では毎朝早起きするのは辛かったから、
朝はわりとのんびり過ごすことに決めていたのだ。
かといって、怠けきっていたかというとそうでもなくて、
せいぜい多少遅刻の多い生徒といったくらいのものだったのだけど。
 

一人前しか用意されていない朝食を見て、
そういえばミサトは仕事で泊まり込みなんだっけと思いつつ、リモコンでテレビを点けた。
チャンネルを天気予報に合わせてから、用意してあったカップスープにお湯を注いだ。
その日の朝は、いつもの素っ気ない朝食に、おまけが一品ついてきた。
ヒカリのお弁当に必ず入っている変わった形の卵料理。
トーストにバターを塗りながら一つ摘み食いをしてみた。
味はオムレツにどこか似ていた。

朝食を摂っている間中、ちらちらとテーブルの上のお弁当が目についてしょうがなかった。
いつのまにか赤い巾着に包まれて、しっかりと食卓に鎮座している。
味気ない朝のリビングに放たれる色彩。
その様子がどことなくしゃくに障ったので、じろりと睨み付けてやった。

十五秒でアタシは負けた。

昔からにらめっこは苦手なのだ。

のんびりとした朝食を終えてから、ようやくアタシは重い腰をあげた。
 

マンションの玄関を出ると、むわっとした熱気が一気に押し寄せてきた。
何度体験しても慣れない、まとわりつくじっとりとした空気。
いつも通り暑い一日になりそうだった。

腕時計に目をやると、八時四十二分。

_なんとか二時間目には間に合いそうかな

異国の空の下。
強い日差しを浴びながら、アタシは学校に向けて歩き始めた。
 
 
 
 
 
 

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