さよならと言わずに



 


 

 


 

 

 

 


 

サイト側の記録を確認したところ、最後に弄ったのは2007年9月ということで、なんと7年以上もの年月が経過しておりました。

まぁ、このまま触る積もりもなく、なによりこれだけの期間放置していれば、誰も見に来る人もいないだろうと思いながらも、ただお預かりしている品々をどうするか?を考えると消滅させる訳には行かないだろうな、との思いから一応維持費用(とはいっても微々たるものですが)だけは払ってました。


で、まぁ、触る積もりはなかった(くどい!)というか積もりは今も無いのですが、ちょっとだけ、

吐き出してみたいことが出来ました。


最初は「初号」か「零号」に書けばいいや、って思ってたのですが、どうやら長い年月の間にサーバが無くなってしまったようなので(恥)仕方なく、html起こしてみた、という訳です。


貞本版が完結しましたね。


連載開始は1995年だったとのことなので、まぁ約20年ですか。

まずなにより貞本さんには「本当にお疲れさまでした」とお伝えしたいです。


そもそも私にとっての貞本版というのは、どうにも納得出来なかった1997年の

Air/まごころを、君に」(あの頃は「夏エヴァ」とかTEOEとかって略してましたね)に対する

「補完」(なつかし言葉だ:笑)を期待する対象として存在してました。


皆さん(…て誰だ?:笑)ご存知のように貞本版は、TV版本編/映画版よりも、少し細かくレイの心情とか表情が表現されており、「この娘のことをもっと知りたい」という、レイ命の数多の…


…あぁ、まぁ、いいや使っちゃえ、


「アヤナミスト」達の飢餓感を補完する存在だったかとおもうのですが、加えて、私のとっては作中からどことなく漂ってくる作者である貞本さんのレイに対する優しい視線が、本編や映画であのような扱いを受けた「綾波レイ」を「いくらなんでももう少し優しく扱ってくれるんじゃないか?」と思わせてくれる

作品でした。


いや、ちょっと違うか。


「いくらなんでももう少しキチンと描いてくれるんじゃないか?」かな?


そしてもう一つ、貞本版のとても大きな魅力の一つが「貞本画伯の画力」です。

そしてそれの最も大きな結実が三巻の「微笑み」なのは、きっとレイに魅かれた方々なら、等しくご同意いただけるのでは無いかと思います。


さて、上記してきたような「レイに対するどことなく優しい視線」と「圧倒的な画力」を併せ持った貞本さんが、この物語の終焉でどのようにレイを描くのか?


webの上から失踪し、日々の暮らしに忙殺されながらも、出来るだけ連載を追いかけ、新映画版に「!」だったり「?」しつつ、楽しみ半分、怖さ半分で待っていました。


でも、まずここで懺悔しておくと「STAGE94.掌」はリアルタイム連載では見逃し、今回の単行本で初めて読みました。


その結果は……


私にとっては「STAGE94.掌」が最終話でした。

そして、特に単行本P109 2コマめのレイの言葉。


貞本さん!あんたは凄い!!

ここでレイに、あの表情で、これ言われたら、

もう赦すしかないじゃん。


とっても悲しくて、もの凄く切ないけど。

納得するしかないじゃん。


だってこれがレイなんだもの。


私がずーっとずーっと追いかけ続けた、

所詮2次元の、

やっぱり人間じゃなかったけど、

やっぱり普通に幸せにはなれなかったけど、


でも

でも、

でも、


やっぱり「普通に」誰かを「愛おしい」って思える

あたりまえの女の子でもある、


綾波レイ


なんだもの。


「この顔で合ってる?」って、ここで3巻と、あの「微笑み」と繋げるなんて……猾いよ~~

初めて心を通わせた、その時の思い出をここに持ってくるなんて。


で、きっとこの言葉、

ちょっとだけシンジに対する「甘え」を含んでますよね?

「上目遣い」に何かをお願いする訳じゃないけど、

でも、普通の女の子が、自分の大好きな男の子に、ちょっとだけ

甘えたい時の声色で伝えてるんですよね?


「あの時の事、覚えてる?」

「ありがとう」

「愛してます」


これらをみーんな含んだ最後の言葉なんですよね。


そしてやっぱり「さよなら」って言わないんだよね。

言えないんだよね。

だってシンジに「言うな」って言われたもんね。

だから、あれから二度とシンジに言ってないものね。


そしてページめくった見開き右ページのレイ。

レイが消えてしまうシーン、そして貞本さんが漫画版中最後に描いたレイ。


実は私的にはこっちのレイの方が好きかな?

P109のレイも綺麗なんだけど、なんかちょっとカヲル君入ってる感じがして。

(も~しかするとわざとかな?とかも思う。)


最後まで、

消えてしまうその瞬間まで

微笑みながらシンジを見つめていたレイ。

出来るなら、そんなレイを、もっと大きな絵で描いて欲しかったけど、やっぱり貞本さんにしか描けない

「綾波レイ」だと思います。


そして「絵」として私が、この最終巻で最も気に入ったのはP80(だと思う)のLCLの中でシンジがレイに、元の世界に戻ることを告げるシーン。

この前後のシンジとレイが語り合うシーンは、個人的にはTEOEの同シーンとは比べ物に成らないくらい美しいと思うのですが、特にP80の右下のカットでレイがシンジに対して向けてる視線と肩の線は、およそ男が女の子に求めている(夢見ている)もののすべての「優しさ」とか「ひたむきさ」とか表しているような気がします。(あぁ、もうそれを「アニマ」だと言われても良いっすよ:笑)


そもそもレイにとってシンジの「補完拒否」は、何のメリットもないですよね。


このままここにいてくれれば、一緒にいられるのに。

それに碇君も、もうこれ以上苦しまずに済むのに。


なのに……

なのに……


シンジは「もう一度、レイと手を繋ぎたい」ために補完を拒否している。


レイに対するこの投げかけ、厳しいしいですよね。

シンジの自分に対する想いを喜びつつ、でも、叶わない望みであることを知っている。

そして真実を告げてしまえば、きっとシンジはまた苦しむ。


で、あるのなら……


で、ここで話が突然変わりますが、やっぱり私にとっての「綾波レイの物語」のハッピーエンドと言えばKameさんの「Holiday」のラストシーンなんですが、やはり貞本さんも似たこと考えていたんですね。


この世界を共に歩む事は許されない。

だから、せめて、

いつの日か、

別の世界で。

そのときこそは、二人、

穏やかに過ごせますように。


最近の状況は全くわかりませんが、あの頃、結局、多数の方がこの方向での物語を紡ぎ、また考察を行っていたと記憶しています。

そして私がこれを受け入れられるようになるのに数年掛かったのを記憶しています。


結局「綾波レイ」の物語というのは、一面的且つ乱暴に言えば「悲恋物語」以外になりようが無いのでしょうね。

さけ得ぬ己の運命、叶わぬ夢、恋に苦しみ、それでも愛する者のために殉ずる薄幸の少女の物語。


失踪する直前位に私がよく考えていたのは「綾波レイを幸せにしたかったら綾波レイとしての輝きを失わせる必要がある」ということでした。

個人的に唯一の例外的成功例がKameさんの別の作品である「Portrait」かと思っており、当該作品のラストで、レイは見事に幸せを掴みますが、あの姿が果たして「綾波レイか?」と言われれば、一部からは異論があるかとも思っていました。


同じKameさんの「Holiday」は恐らく何方がよんでも「綾波レイ」と認めるラストですが、幸せになる「Portrait」は、もしかするとちょっと違うかもしれない。


そんな風に考えていた私にとって、オリジナル版である貞本版のラストのレイは、最後まで


凛として気高く

限りなく美しく、

本当の優しさを持った

でも一人の普通の女の子


紛れも無い「綾波レイ」のままであり続けました。


とっても切なく、

哀しい、結末ではありましたが。

私にとっては最高の結末だったと思います。


貞本先生、本当にありがとうございました。




INDEXへ



これは何?