学校図書館と情報教育


学校図書館と司書教諭

『学校図書館法』の改正

 平成9年6月11日、「学校図書館法の一部を改正する法律」が関係政省令とともに、公布・施行されました。

 昭和28年に『学校図書館法』が成立し、「当分の間、司書教諭を置かないことができる」と、されました。この改正によって、平成15年度より、全国の12学級以上の小・中・高等学校に司書教諭が配置されることになりました。44年たって、初めて『学校図書館法』が完全なものになったといえます。

 今回の法律の改正は、「生きる力」をはぐくむという、新しい学力感を実現するためのものです。

「中央教育審議会第二次答申の概要」(平成9年6月)を引用すると

<第二次答申の特色>
T 「ゆとり」の中で子どもたちに「生きる力」をはぐくむことを理念としつつ、形式  的な平等の重視から個性の尊重への転換を目指す。
   また、「教育課程の基準の改善の基本方向(中間まとめ)の概要」(平成9年11月)を引用すると

1 教育課程の基準の改善の基本的考え方
(2)教育課程の基準の改善のねらい
A 自ら学び、自ら考える力を育成すること
 多くの知識を教え込むことになりがちであった教育の基調を転換し、幼児児童生徒の立場に立って、知的好奇心・探究心をもたせ、自ら学ぶ意欲と主体的に学ぶ力を身に付け、論理的な思考力、判断力、表現力、問題を発見し解決する能力を育成し、創造性の基礎を培い、社会の変化に主体的に対応し行動できる力をはぐくむ。また、知識と生活との結び付きを重視し、体験的な学習、学び方や問題解決能力の育成を重視した学習を推進し、豊かな自己実現を図る。
2 各学校段階等を通じる教育課程の編成及び授業時数等の枠組み
(2)「総合的な学習の時間」(仮称)
 そのねらい等は、次のとおりである。
ア 自ら課題を見つけ、よりよく課題を解決する資質や能力の育成を重視し、自らの興味・関心に基づき、課題解決や探究活動に主体的に取り組む態度の育成を図ることをねらいとする。また、情報の集め方、調べ方、まとめ方、報告や発表・討論の仕方などの学び方やものの考え方の習得を重視する。

『学校図書館法』の理念

 『学校図書館法』が昭和28年に成立したことからもわかるように、戦後の教育は、これと近い理念でスタートしたのではないでしょうか。

 しかし、現在まで、行われている戦後教育は、「平等主義」を中心とする理念のもとに行われてきました。すべての児童・生徒に平等に知識をを分け与える、平等主義の理念では、知識の記憶中心の教育が行われ、学校図書館を必要とする教育は行われませんでした。

 無論、「平等主義」の教育が、戦後の日本の教育水準の高さを維持した原動力であり。国民も社会もそれを求めていたことは疑いありません。

 そのなかで、学校図書館の関係者によって、『学校図書館法』の理念にそって、知識中心でない、個性を重んじる教育が細々とではありますが、実践されてきました。また、法律の改正が一刻も早く実現し、『学校図書館法』が完全な法律と成ることが望まれていました。

司書教諭と学校司書

 「当分の間、司書教諭を置かないことができる」と、されたままの44年の間でも、学校図書館を整備・管理し、生徒の読書要求に応えていくという、学校図書館の最低限の機能を、果たすため学校司書が多くの学校で置かれました。

 しかし、司書教諭も学校司書も置かれないまま、学校図書館が本の墓場と表現される現実もあります。

 平成15年にむけて、文部省および各自治体は司書教諭の配置の準備に入っています。しかし、司書教諭の配置には、まだ多くの問題が残っています。

 司書教諭の問題の複雑さは、昭和28年に『学校図書館法』が成立し、44年間放置されてきました。その間の状況によって、司書教諭を置くことに対する意見もいろいろで、かつ、複雑です。

 学校司書は、学校図書館を整備・管理し、生徒の読書要求に応えていくという、学校図書館の最低限の機能を、果たすため置かれました。

 学校司書がおかれていても、法律的には、何の根拠もなく、設置者(自治体など)により、ばらばらな、身分も不安定なものです。その中で、心ある学校司書の方は、司書教諭に相当する教育活動もおこなってきました。

 一方では、整備・管理だけを行うことを、任務として与えられ。また、それだけを仕事と割り切って、学校司書の仕事を行ってきた人たちが、たくさんいます。また、学校司書すら、置かれず、学校図書館が本の墓場とまでいわれる状況をつくっている、学校もたくさんあります。

大阪での実態

 大阪での府立高校の状況では、全校にに学校司書が配置されています。多くの自治体で、学校司書が事務職であるのに対し、大阪府では、実習助手で配置されています。ただし、一部の学校では残念ながら非常勤ですが。事務職の学校司書が制度上は、直接に生徒を指導できないのに対し、教育職である、実習助手の場合は生徒の指導ができます。

 大阪府の場合、多くの学校司書が、司書教諭に相当する教育活動もおこなってきました。ほとんど、学校司書の手で、学校図書館が運営されているといっても、言い過ぎでないと思います。

 この状況で、安易に司書教諭が「充て職」として発令されれば、ほぼ間違いなく混乱が始まると思います。

司書教諭と教育改革

 本来なら、学校司書も司書教諭も、仕事は同じで、あるはずです。しかし、残念ながら、日本では、司書教諭と学校司書の棲み分けを実現しないとどちらも、中途半端になる、という現実があるのです。これは、日本の教育行政の問題でしょうが、それが現実なのです。

 学校司書と司書教諭の役割の分担を整理することが、まず必要だと考えています。 図書館学を学んできた来た人と、教諭として、生徒に授業をした経験のある人が共同で、共に専任で、学校図書館を運営するのが、理想だと思います。

 日本では、教科書中心の知識の記憶を中心とした教育がおこなわれてきました 結果として、司書教諭を必要とする教育が、行われませんでした。文部省がやっと「自ら学び、自ら考える力を育成すること」といいだしましたが、昭和28年に『学校図書館法』で求めていた理想が、「自ら学び、自ら考える力を育成すること」ではないでしょうか。

 情報検索・情報の整理・意見の発表という過程の重要性は、図書館教育がずっと理想としてきたことです。ここ2・3年で、文献検索・レポートのまとめ方など指導する、教育職としての図書館担当者の必要性がやっと認められたのです。そのために、図書館だけでなく、学校教育全体を改革していく中心に司書教諭がならなくてはと思っています。

情報教育と教育改革

 ところが、近年、情報教育の分野でそのことに気がついている人が増えています。まだ、情報教育は情報機器教育の域を出てないのが、多くの教育現場の現実ですが。

 私の場合、理想と現実のギャップのなかで、出来る所から、学校を変えようと、微力ながら努力しています。具体的には、10年かけて、勤務校での情報教育を軌道にのせました。

 学校でコンピュータ利用も、今までは、まだコンピュータが簡単に使える道具なんだよ、ということを示す時期だったと思います。(そろそろ、次のステップに移れるかな、とは思っていますが。)私自身、この10年間でまず、多くの先生がコンピュータを使うことが、普通のことなんだと思えるように、努力し、今では、多くの先生がコンピュータを使っています。 他校から、転勤してきた先生が、それまで使ったことの無かった、コンピュータを、多くのの先生が普通に使っているのを見て、使い始めるようになります。まずは、こんあたり、からだと思います。

 生徒に対しても、簡単に使える道具なんだという事を中心に授業を行っています。 しかし本当の情報教育とは、情報検索・情報の整理・意見の発表という過程の教育だと思います。そして、そのための有効な道具として、図書館とともに、コンピュータがあるのだと思います。

 そして、司書教諭にもとめられていることは、書籍であれ、インターネット上であれ、教育に必要な情報を探し出し、提示する能力だと思います。 書籍であれば目録や書誌が自由に使え、またインターネットであれば検索ページが使えることが必要でしょう。


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