考えるししとう Thinking


 *「WIRED」への投書

  もう、けっこう時間が立ってしまったのだが、「WIRED」休刊号に投書が載た。
 投書の内容は、「WIRED」9月号のマンガ特集への文句。でも、投書しといてこん
なこというのは何だけど、まさか、載るとは思わなかったんだなあ。まず、投書を電
子メールで送った直後に、「WIRED」は11月号で休刊になるという話を聞いたので、
「じゃあ、間に合わなくて載らないだろう」と思ってた。それに、怒りにまかせて出
した投書だったので、文章も冷静さを欠いているし、読み返すと恥ずかしい…でも、
何百通と来るだろう投書のなかに埋もれて編集者には見つからないろう、万が一、編
集者に見つかっても、こんな投書は載せる価値無しと思って載せないだろう、などな
どと思い、ついには頭から追い払っていた。

 ところが、「WIRED」休刊号の発売日に連れ合いが仕事先から「おめでとう。投書
が載ってたよ」という電話をくれた。「うそ(であってほしい)」が最初の感想だっ
た。連れ合いはファクスで投書のページを送ってくれたんだけど、それを読むと、い
や〜、赤面した。そして、悲しくなった。何が、悲しいかというと、途中の文章が少
し変えられていたからではない。私が、一番言いたかった部分が削られてたからだ。
 それは結びに書いた「もしも、またマンガの特集があるのなら、そのときこそ貴誌
らしいエッジのきいたユニークなものをお願いいたします。一ファンとして楽しみに
しております。」という文章。たしかに、休刊号に「もしも次があるなら」なんて、
無意味だ。でも、これが言いたいがために、怒りを綿々を綴っていたんだけどなあ。
「WIRED」の投書のページを読んでる人がどのくらいいるのか知らないけど、掲載さ
れた部分だけを読んだ人には、絶対に伝わらないだろう。これじゃあ、掲載されなか
ったほうがマシだったかもしれない。
 いくら、冷静ではなかったとはいえ、自分がものした文章であり、しかも、本来の
目的を達しないで終わってしまったのは、心残りだ。そこで、ここに投書の原文を全
文掲載して、「供養」としたい。
 「供養」とは、またおおげさなと思われるだろうが、自分の書いた文章にはそれだ
け、愛着がわくということなんですよ。たとえ、できが悪くても、不本意であっても。
                             (1998年11月某日)

■投稿原文■

「WIRED」編集部御中

 9月号の特集「『マンガ読みたちによ
る、マンガ離れ世代』のためのマンガ・
ナビゲーター」には失望しました。いま
だに「ジャンプ=商業誌代表」と「ガロ
=マニア誌代表」でマンガを括って語る
という陳腐な方法、「昔の編集は活気が
あった」という老人の繰り言のような批
判、江口寿史氏や呉智英氏などのインタ
ビューや執筆の人選も解せません。もっ
と、現役で活躍しているマンガ家やマン
ガを読む人と同じ視点をもって語れる批
評家を出してほしかったと思います。

 特に江口氏の「戦わないマンガ家、愛
情のない編集者が増えている」という下
りには怒りすら禁じえませんでした。江
口氏が大変優れたマンガ家であったのは
事実ですが、連載や掲載予定を落とし続
けてファンや編集者を裏切り、いまやマ
ンガは過去の遺産になっているような方
に、なぜ、貴誌はこのような大口をたた
かせておけるのでしょうか? 江口氏の
プロフィルでも「『落とす』ということ
を一般人にも知らしめた」などと、プロ
としてあるまじきことをまるで、功績で
でもあるかのように書くのも不可解です。
「つまらん漫画にベシッ!」などと表紙
に勇ましくうたっているのなら、「マン
ガの才能が枯渇するのはどういう気分で
すか?」ぐらいのことを聞いてもらいた
いぐらいです。

 マンガの批評に呉智英氏を持ってきた
ところも、権威にすがっているようで見
苦しく、この特集全体が大手新聞社や出
版社の主宰するマンガ「文化」賞のよう
に、大上段に構えてマンガを語ってやろ
うという雰囲気があり、企画した人はマ
ンガのことをよく知らないのではないか、
とも思いました。

 もしも、またマンガの特集があるのな
ら、そのときこそ貴誌らしいエッジのき
いたユニークなものをお願いいたします。
一ファンとして楽しみにしております。

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