徒然草 20    
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2007年5月ベニサンピット
地人会実験劇場公演「ビルマの竪琴」プログラム原稿
「寓話性を帯びた音楽の普遍性」  川崎絵都夫

(第1稿を掲載します…実際のプログラム掲載原稿は一部カットされています)

 「この芝居の音楽を担当して欲しいのですが」というお話しを頂いた時に、はるか昔にテレビの深夜劇場で見た白黒の映画の1シーンを思い出しました。「竪琴はハープのような音で掻き鳴らしていたな…音量もありそうだし、和音も鳴らせるようだ。何とかなるか…」

 ところが何たること!楽器の調達や演奏指導の相談のために、高田馬場にある「日本・ミャンマー友好協会」を訪ねていろいろお聞きしたところ、そもそもミャンマーでは昔も今もお坊さん(僧侶)が楽器を弾くことは無いし、竪琴の伝統的な奏法だと肩から下げて弾くことは無く、和音も2つの音を同時に弾くのが精一杯である。また、音量も非常に小さいものである、等々。糸も16本しか無いし…ガーン…ガーン…がーぁんんん…

 小乗仏教の大事な教えの一つに「物事にこだわってはならない」ということがあり、僧侶が楽器を弾くことは「音楽にこだわっている」ことになるので有り得ないのだそうです。(僕など音楽家は、物事にこだわり尽くしていることになり、ある種の仏教的な意味での心の平穏は得られないということなんですね…泣)

 またいくつかある映画の竪琴演奏シーンは、本来の「ビルマの竪琴(サウン・ガウsaung gauk)」とは異なる楽器を演奏している音に、役者さんが弾く真似をして合わせているだけだろう、とのこと。「映画を観て、あんな風に弾きたいという生徒さんが来るので困っているんですよ」あぁ…。

 「ベニサンピットで、録音に合わせて弾き真似なんかしたらすぐお客さんにバレちゃうからダメだよ」…木村光一先生のお言葉が僕のパニックに輪をかけます。 

 いったい何でこんなことが…と思って木村先生の「解題」を伺うと、まずはこの原作自体が「児童文学」(ある種の童話)として発表されたこと、原作者の竹山道雄さんはビルマに行ったことが無いが、想像力を駆使して書き上げた作品であること、などがわかってきました。それらも原因となって大きな批判にさらされた作品でもあるということでした。

 …ということは、そもそもお話し自体が「寓話」または「寓話性を帯びたもの」であるならば、音楽もその寓話性に対応したもので良い、いやそうあるべきだ、という結論に達してようやく方向性が見えて来ました。その後の、現地に制作を依頼した楽器の調達の心配も乗り越え、田中壮太郎さんの竪琴の猛練習でいよいよ開演を迎えるわけです。

 合唱の話しに移りましょう。明治維新、時の政府の「(欧米に比べて遅れている?)今までの伝統的な日本の音楽を学校教育の現場からは排除して、欧米の音楽を取り入れていく」という方針に従って、学校の音楽の時間には足踏みオルガンなどを鳴らしながら、音階が日本と良く似ているイギリスやスコットランドの曲を勉強し始めます。

 いわば、それらの曲を「利用」して今までに馴染みの無い「西洋音楽」を子ども達に身につけさせようという大変な苦労が始まる訳です。欧米の文化、文明に対する劣等感を当時の人々は強烈に感じていたのでしょう。遊びの中でわらべうたを歌い、おじいちゃんやお父ちゃんの歌う民謡や詩吟、そして尺八や三味線、祭囃子に使う笛や太鼓などに親しく接していた子どもたちが、全く聞いたことのないスタイルの音楽を急にやらされることになったわけです。

 その延長線上に「文部省唱歌」もあるのですが、この結果として『スコットランド民謡に元の歌詞とは似ても似つかない日本語の歌詞をつけた曲を歌ったり聴いたりすると、とても懐かしいと思う日本人』が増えていったのです。「心の故郷」である曲が、実は遠い異国の曲である…という事実。

 この芝居の中で演奏される「埴生の宿」「故郷の空」は、正にそのような目的で広まった曲なのですが、この曲でイギリス兵との交流が可能になる、ということを考えると、これはどうやら「音楽」の話しに限ったことではない、世界における日本の立場や、日本が依って立とうとしたところのもの、などが見えてくるように思えます。

 「寓話性」ということを意識して、イギリス兵の歌う歌が幻想的な響きになってしまったり、本当の戦場では有り得ないような「歌による」敵味方の兵たちの交流が生じる瞬間に、合唱が「輪唱(カノン)」になったり。また「この部隊に招集されてから隊長の元で歌を歌い続け、今は歌が全員の心を一つにする拠り所になっている日本兵」(実際の役者さんたちの、稽古期間の45日間がそれと全く重なって見えます)の素晴らしい歌声と共に、全ては竹山道雄さんの言いたかったであろうことを舞台で表現するためにあります。

 

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