■音大生、アレンジャー、そして作曲家へ
GRAMINEES(以下G):ではまず、先生のプロフィールから教えてください。
川崎先生(以下K):はい。ホームページは見てもらえた?
G:はい。先生は作曲家であって、編曲もなさるんですよね。どちらがメインなんですか?
K:今はもう作曲メインなんですけども。結局、二十代・三十代・四十代って分かれています。
十代はただなにも分からずに好きな曲を聴いてるだけの時期で、バイオリンなんかを習ってました。二浪して二十代になってようやく(音楽)学校入りました。高校入ってから本気で勉強してた。音大って変なところで、ほとんどのことができるようにならないと入れてくれないんだよ。だから、なんにも知らないからって(音大に)入ってから習おうって思っても全然入れてくれなくて(笑)、普通
に高校通って週に一回の音楽の授業受けてるだけじゃ、
絶対入れてくれないのね。そのための勉強が、特に楽器の人はすごいんだけど、ピアノはものすごくレベルが上がっちゃっていて、5歳とか6歳とかからやってないと、音大には行けないような状況になってて恐ろしいんです。でも、作曲はそうでもなくって、高校出てから盛んに勉強して入りました。
それで、学校出てから何して食べるかって事を、全く何にも考えてなかったもんで、結局来る仕事ってアレンジが多いんです。だって、なんにも知らない人にいきなり「この曲書
いてください」ってこないでしょ。で、大体それだけ勉強してるなら、アレンジくらいできるだろうって事で、アレンジの仕事ばかり、それが二十代ほとんどでした。
実は、オーケストラのアレンジャーになろうと思ってたのね。27、8歳くらいまで。人の曲をいじってばっかしたら、しまいには体壊すのね。だから、「もしかしてアレンジやって体壊すのなら、アレンジャ−にはなれないのかな」、「やっぱり自分の曲がかきたいんだ」
って思って、29、30歳あたりからぼちぼち二十代に(仕事として)来てた委嘱作品の、作曲活動を始めました。でもアレンジがらみである事務所に入ったので、TVドラマや映画の手伝いとか、CM、番組のテーマ音楽とかをある時期ちょっとやってたんです。ところが、
音楽のことをよくわかってない社長だったから、僕の得意じゃないネタをふってくるので
苦しくて。「これは自分で開拓したほうがいい」、「とにかく自分の曲がかければいい」って
思うようになった。その頃、芝居の仕事がたまたまきはじめて。(芝居の仕事は)いくら演
出家との関係があるといっても、自分の曲でしょ。だから作曲ができるって喜んで、10年近くやってきたら、今度はあまりに演出家の言いなりになってしまって、また苦しくなって、「自分の好きな曲がかきたーい!」ってなってきた。
四十代になって今度は三十代の頃に書き溜めてた合唱曲とか、邦楽器の委嘱作品なんかの仕事をし始めて。そっちは、プレーヤーが「弾けないから直してくれ」とか「非常に難し
いのでなんとかなりませんか」っていうのはあっても、「曲が気に入らない」だとか「我々のコンサートの趣旨に合わないからこの曲止めてくれ」ってのはないでしょ(笑)。だから、
四十代はなるべくオリジナル(の作曲)オンリーでいこうと思ってるんだけど。それにしても飯のタネってことで、いろいろとアレンジの仕事がくると、自分もスタジオの仕事が
好きだから、ある程度はやってるという状況です。あー長かった(笑)。
■マニアックな、天才肌の学生がいる
G:先生の専門分野は作曲ということですが、それでは授業内容もそうなっていくのですか?
K:実は、一文の授業に来た時に井桁先生から古井戸先生に話がいって、二文の授業は突然
決まったのですけれど、「演習というものをやっている」って聞いたから。ただしどういう
学生がいるのかと聞くと、「非常にマニアックな、天才肌の学生が多い」って言われたの。
怖ぇーって(笑)。僕は、自分が変なことやっていた割には、そういう人を怖がるところがあ
って(笑)。しまった、引き受けてしまったってね。
へらへら喜んで、早稲田に来れて、いろんな若い学生に教えるのも楽しいかなと思ってた。
利害関係無いし「これから何かやってみよう」って意気込んでいる学生も多いし、教えてても話しててもなんだか面
白いので気軽に引き受けちゃったら、実はそんな学生がいるっていうので、どうしようと思って。
文学部のホームページ上で「第二文学部はこんなところです」っていうのを見てると、どうも、実際にものをつくるって人を養成するんじゃなくて、そういう人をサポートしたり、
プロデュースしたり、学芸員や司書さんとかをメインで養成するって書いてあって。
G:どちらかというと、マネージメントのほうが多いですね。
K:だから例えばものをつくるにしても、練習というか、そのイメージで作るんだっていうのができればいいんだろうと思ったので、とにかくみんな何しに来てるのかを確認したく、て一回目の授業でアンケートをとったのね。そしたら実際7、8人作曲をやりたいって人がいて。でも機材は無いし。懇親会の時に古井戸先生に相談しました。だから、作曲を本当にやりたいのなら、最低でもピアノは無きゃだめだし。さもなきゃ自宅で作ってきたものを聴かせてもらうとか。どうしようかと実は呆然としてます(笑)。それで窮余の策で、作曲だけじゃなく楽器演奏なら持参すればできるし、研究したい人にはネタをふってしまえ
と。作曲編曲家としてきてるんだけど、教えようと思っても、環境的に無理で困ったなと。
それを承知で引き受けているので、なんとも言えないね。
G:授業の始めのほうで大量
に(音楽関連の)書籍を紹介しておられましたが、あれはネタふりなんですか?
K:参考文献? 僕自身、あの本を全部くまなく読んで、しっかり研究した訳ではないですし、ただ僕の家にあった本を羅列しただけ(笑)。「こんなのあるから、研究したい人はもう勝手にやって」っていう。すごく迷ったんだけど、一回何か喋ったらそれに対して研究してもらって発表してもらってというふうに2、3回を一つの組にして進めていこうかと思ったんだけど、全体像がみえないと、(学生も)やりたいこともわからないでしょ。しょうがないから、とにかく前期は喋ろうと思って喋ってます。
井桁先生のホームページに、そんな段取りが決まってない事を「手探り状態でやってます」って書きこんだら、「先生がそんな気弱なことでどうするんですか」みたいな返事書いてる学生がいて、びっくりした(笑)。その学生は、後で「差し出がましいことを言っ
てすみません」って反省して謝ってたけどね。反省してんのがかわいい(笑)。
G:(笑)実際に何度か授業を行われたと思いますが、学生の反応はいかがでしょうか?
K:このごろ特に感じてるんだけど、普通
どの学校でも授業始まる前はザワザワしてて、はいこれで授業終わりっていうとまたザワザワ喋るんだけど、それが全然無いのね。みんな
シーンとしてる。「おいおい、みんな交流してないのかよ」って(笑)。
普通さ、お互い「あなた何年生?」とか「なんでこの授業とったの?」とか話し掛けて交
流するのかと思ったら全然しないの。最初は緊張してるだけだろうって思っていたけど、
いつまでたってもないのね。驚いたんですよ。
G:それ、二文特有なんですよね。
K:そうなんだってね。後でわかったの。しかもね、レポート書いてくださいって言うとご
まのような文字ですごい書くんだよね(笑)。
ある程度殻があってその中にこもってて、実際の人との交流ってあまりしないで、何かが
すごい溜まってる。そこに書いてある思いはすごいんだけど、理念先行してる感じがするんだよね。僕も人ごとじゃなくて、学校入った時に音楽でとんでもないことをしてやるって、今までになかった音楽を作ってやるって考えてたんです。
ただ口で言うのは簡単だけど、それを実施するのはものすごい大変でしょ。それに近いも
のを感じて、変だなと思いつつ、どこかで似たような事があったなと考えると、芸大入りたての作曲科の一年生がそうだった。ただ、彼らは入学後ものをつくり始める――コンクールでたり、楽器演奏したり――でしょ。そうするとそんな人たちは現場でもまれて、そういう頭でっかちの部分がどんどんそがれていくんだけど、第二文学部、危険じゃないかな。理論と実践が上手くすりあわされていくのがやや足りないのかなって思う。
G:受け入れる場所が無いっていうことですか?
K:いや、受け入れる場所はあるんだろうけど、屈折してる人もいるらしいのね。なんでも、
一文に入れなくて二文に来た人もいるからって。早稲田の学生で屈折するなんて、なんて贅沢なんだって僕怒ってたけど(笑)。僕からすりゃ、そんなの関係ないよ(笑)。今は二文が面
白いから最初から二文を目指す人が増えてきてるみたいでなによりだけど。それにし
てもあの硬い雰囲気はどうにかほぐしたいですね。
G:結構、二文って演劇とか、写
真が多いんです。特に演劇は実践的授業はあるんです。主任が古井戸先生なので、力が入ってると思うんですが、音楽は無かったんですよ。
K:去年は吉村先生が、やっぱり機材が何にも揃ってないっていうことになってどうも困り果
てちゃって、サウンドコラージュみたいなのやってたみたいだね。
井桁先生に言われたのは、「音楽に興味を持っている学生がすごく多いのに、講座が少なすぎるので、なんとかして」ということ。初めの授業でアンケートを取ったら、機材のこと
を教えてくれっていう人もいれば、作曲のやり方を教えてほしいって人もいたし、原理を教えてくれって人もいたし、裏話を教えてくれって人もいた。みんなバラバラ。作曲一つ取っても、何種類も希望がでてくるんだ。
みんな、音楽の情報に飢えちゃってるんじゃないのかな? だから、僕だけじゃなくて、もっと他にポピュラー音楽史の先生がいたり、音響学の先生がいてくれたり、そういう講座が3つ4つ集まって音楽の面
倒見ますよってなればいい。楽理(註1)の先生きたりとか。そうすればすべて学生の対応もできるし。音楽やるなら早稲田だってなったりして。
G:多分普通
の音大で勉強するような純正率や平均率とかの事を30分くらいですっとばしていたあの授業っていうのはすごいなぁと思いました。
K:うん、あの後のアンケートに3人くらいが「さっぱりわかりませんでした」って(笑)。
素直でよろしいなんてね(笑)。「こんな事を勉強するんだ大変だなぁと思いました」とかね。
ただね、家で機材いじってる人なんかは「すごくよくわかりました」って。そのギャップ
を、ひとつの授業90分の中で両方の気持ちをすくい取っていかなきゃいかんので、正直言って、ある程度困ってます。ただ、学生がこの間「懇親会早いとこやってください」っ
て。
G:それは先生に頼むものじゃないですね(笑)。
K:カリキュラムの最後に書いておいたのね、懇親会を。したら「それじゃ遅すぎます」っ
て。勝手に仲良くなってよって(笑)。そう言うと、「いや、それは……」って。不思議なのは、そのざっくばらんの無さ。
芸大なんかは学年違っても人数が少ないからお互いを知らないじゃすまないし、曲頼んで
演奏してもらったり、演奏家どうしがアンサンブル組まなきゃいけなかったりで、いやが上にもかき回されるわけ。そういうのが無いじゃない。
最初、その硬い雰囲気は自分のせいかと思って、反省してた(笑)。僕の緊張が移っちゃったのかな、僕のやり方が悪いのかなとか、反省してて。だからこっちがしっかりしなきゃい
けないんだけど、一回二回目頃の授業の後は、疲れ果ててた。大変でした。
■仕事は、他人が選ぶ部分もあるー舞台音楽
G:今の先生のお仕事の割合からいうと、舞台演劇の仕事が多いんですか?
K:今は非常に多い。自分から求めていったのではないんだけど、仕事って自分で選ぶんじゃなくて、他人が選ぶっていう部分もあるんだよってよく言われるよね。
舞台の仕事をやった時、演出家に「音楽どうでした?」って聞いて作曲の先生に怒鳴られた事あるんです。「意味無いこというなよ」って。面
と向かってどうだったか聞けば、よかったよって言うに決まってて、プロならそんな恥ずかしい質問を堂々とするなって。意味がわからなくて尋ね返したら、「よけりゃ次(の仕事)が来るし、よくなきゃ次頼まないだけだよ」って。「いずれにしろちゃんとやるしかないでしょ」って言われて。
G:シビアな世界ですね。
K:最初からそんなシビアじゃなかったんだけど、これだけ次々仕事が来るっていうのは、
周りの人が僕が(演劇に)向いてるって思ったらしいんだよね。
後は、邦楽器の作品の、地味だけど演奏家がリサイタルやる時の委嘱作品、それから今はあんまりやってないけどゲーム音楽の手伝いとかも結構やってたし。後は……あ、合唱曲
だ。こないだもビクターで録音してきましたけど。
G:先生の作品って幅広いですよね。
K:ベースがクラシックで、そのクラシック系の音が作れて、ある程度シンセもいじれるっ
ていう事を武器にして、あちこちのジャンルに遊びに行ってる感じです。
G:民族音楽の二胡の曲のアレンジもしてらっしゃるんですよね。
K:あれはラストエンペラーの編曲を手伝ったのがきっかけで、姜さん(註2)っていう二胡の演奏者と知り合ったもので。あれは民族音楽を自分から捜し求めていったんじゃなく
て、たまたまなんだよね。そしたら二胡が面白くてさ。
G:作品聴かせていただいたんですが、今癒し系とか流行ってますよね。それにちょうどはまってて、アレンジの仕事にも興味が湧いたし、先生の活躍ってすごいなぁと……。
K:いや、目立たないだけで、音楽で飯食ってる人はあれくらいやってるんだよ。どのジャンルでもその中でダントツにすごい人だけがポンって有名になるじゃない。将棋で言えば羽生とかね、野球でいえばイチローとか。そうすると初めてほかのジャンルの人も名前を知るじゃない。でもその人たちの下には、こーんなにたくさんの人がいて。僕どの辺か知らないけど。
すごく有名な久石さんだとか、池辺晋一郎さんだとか、バーンているとすると、下にはたくさん人がいて、その中でもすごい人だけが他のジャンルでも有名になると思うんですよ。
G:先生は、雑誌なんかに連載とか、文筆業なんかは無いのですか?
K:プログラムノート書いてくださいって言われると、もともと書くの好きなんで、結構書いちゃう。テキストなんかも妙に凝っちゃったり。だって僕は本当は作家になりたかっ
たんだ。小説書くのが好きで、高校のとき校内誌に小説書いてたくらい。
今はおおっぴらには連載はやってないけど、学校の先生向けの、コンピューターによる音楽教育のことを書いてくださいって頼まれると、制限枚数をはるかに超えて書いちゃう(笑)。
ホームページにやたら日記つけてるのもそれだし。徒然草と称してだれにも頼まれてないのに、やたらとエッセイ書いてるし。だから、実は物書き目指してる人、僕はうらやまし
い。
G:著書とか出す予定はないんですか?
K:楽譜は出てるけど、文章だけの本は出てないです。
G:もったいないですね。
K:音友の編集者に言ってみるわ(笑)。小沼先生に言ってみようかな。「知りませんよ、
そんなの」とか言われちゃうかな(笑)。
G:小沼先生はもう、音楽評論のほうですから。
K:名前はもう、しょっちゅう見てたしね、まさか会えると思わなくて。結構ざっくばらんな先生だよね。威張ってないし。そういうところでいつも僕感じるんだけど、一流の演出家とか、プロデューサーとかは、威張ってないんですよ。あれ不思議。だから、怒鳴ってる演出家のイメージってあるでしょ。あれって、もうだいぶ昔だね。昔の新劇の方ね。だから、今は怒鳴ってると若い役者がみんな萎縮しちゃって、結果
的にいいことにならないんで、怒鳴る人本当に減ってるし、もともとスタッフに対してやたらと威張り散らす人ってあんま多くないみたいで。
坂本さんにしても、一流の人っていうのは、なんだか普通なんだよね。ともかく話は聞いてくれる、聞く耳はある。だから小沼先生と話した時も、ざっくばらんに親しくしていただいたので、うれしかったですね。
■結婚してから
G:実際に先生が音楽で“飯を食える”ようになったのは、いつなんですか?
K:結婚してからですね。
G:お相手は芸大生ですか?
K:いや、教育実習で母校の高校に行った時に。僕が浪人してたから、武蔵野音大に行った後輩が何人か教えに来てたのね。その時、すごい美人ちゃんに声かけたら相手にされなくて。もう一人変なのがいて、高校の授業でDOORSとかの、ものすごいマイナーなロックを生徒に聴かせていて(笑)。面
倒くさそうに授業やってるの。バイク乗って学校に来る
し。その人がうちの奥さんになっちゃった(笑)。それで、子どもができたものだから、経済的なめどをつけないといけなくなってきちゃって、それからちゃんと売り込み始めたの。
G:それまでは案外のんびり(音楽活動を)やっていたんですか?
K:27歳くらいまですごいのんきでした。27、8歳頃から、テレビや映画、コンサートなんかを見てると、同級生とかがすごく活躍し始めて。びっくりした。自分はアレンジで人の手伝いばっかりやってていいのだろうかって、こんなことしてる場合じゃないと。
そう思っていたころに、知り合いの知り合いの知り合いかなんかで、坂本龍一の手伝いしたら、「こういう風に仕事するんだ」ってわかって。それが三十代入ってからだね。まともに売り込みとかちゃんと全部始めたのは。すごく遅かった。
G:じゃあ、お仕事始めてから結構浅いんですね。
K:そう。まだ15年経ってないのかな。三十代は異常に忙しかった。結婚してなけりゃ
別にこんなに仕事しなくていいんだけどね。でも、学生時代からいろいろ作曲とか教えてたから、そこそこ収入はあった。
■はっきり分かれる作曲方法
G:先生が作曲なさる時はやっぱりシンセでなさるんですか?
K:ジャンルによって全く違う。基本的にアコースティックな仕事、いわゆる合唱曲とか、
邦楽器のための作品とかブラスバンドのための作品なんかは、ピアノじゃないと作れない。
これ不思議なんだけど、生ピアノっていうのは、その楽器のつもりで弾くと、ちゃんとその音に聴こえるんだよ。それが、エレクトリックピアノには絶対できない。実際に木があって弦が振動して空気が振動して床に振動が伝わってるのと、スピーカーを無理矢理振動させているのって違いがすごくある。
一方で芝居とか、ゲーム、テレビの主題歌だとかは時間が決まってるじゃない。そうすると、コンピューターで、シーケンスソフトを使って、時間設定しておいて、シンセ弾いて作ると、作業がすごく早い。僕ははっきり二つに別
れちゃう。不思議だけど。
実際にいるんだよ、国立音大出身のピアニストでいろんな楽器の音色をピアノで出せる人が。名前はちょっと忘れちゃったけど。なんとなく……じゃなくって本当にいろんな楽器の音がするの。ピアノの無限大な可能性に驚かされた。
G:お仕事には、いろいろ大変なこともあったと思うんですが。
K:うん。あらゆる仕事にいえるけど、芝居にしても映画にしても、締め切りがとにかく短いのね。全部フィルムあがってから音楽の発注でしょ。芝居も全体が決まってから音楽
を全部決めるでしょ。だから一週間で20曲30曲っていうのが多いので、それが大変。
しかも直しの指示がすごく多い演出家もいるのね。特に最初はいい音楽を作るっていうのと、締め切りのプレッシャーが両立しないんです。緊張してびびってるといい音楽でてこないし、プレッシャーをはねのけて自由な精神にならないといい発想はできないし。そのせめぎ合いでコントロールが難しい。だから、強靭な精神力がある人か、ある意味で鈍感な人じゃないと、こういう仕事は無理だね。
G:作曲家という人種は、職人に近いんでしょうか? 何十曲も作っていくとなると、ある程度自分の中で作曲のメソッドを作っていかなきゃいけないと思うんですけど。
K:映画や演劇、テレビ番組の音楽、いわゆる付随音楽を作る人は職人でいなくちゃいけないね。ただし、不思議なもので、じゃあものすごく一生懸命コード進行やら楽器の事を勉強して、
何にも考えずに単純にコード進行をくっつけて曲を作ったとしても、それは説得力が無いんだ。曲がつまんないの。(コード進行が)同じ1度5度なのに、それが面
白い曲と、なんにもこちらに伝わってこない曲と、違いがでるの。今だに理由はわからないけど。モーツァルトなんかも、和声の分析すれば、どうってことないんだよ。誰でもやってるのに、な
ぜかモーツァルトの曲はえらく面白い。どうしてかわかんないけど、いまだに音楽やってる。わかっちゃうと面
白くないんだろうね。飽きちゃったりとか。恋愛もそうだろうけど(笑)、
なんだかわかんないので、いつまでたっても一緒にいるのと近いのかもしれない。
ただし、職業的であることを嫌う人もいる。そういう人は、音楽と関係ないところでお金を稼いで、自分の世界を追及するって人もたくさんいます。それが、アーティスチックな
作曲家なんだろうね。特にクラシックや現代音楽の作曲家は。
■先生のこれから
G:先生の今後の予定を教えてください。
K:今度は、自分の好きなようにできる、委嘱作品系統を中心にもってきたいです。ジャンルは合唱だろうとブラスだろうと邦楽器の曲だろうと。それを四十代で極めて、楽譜もたくさん出して、その後五十代はまた考えると。
つまり、僕の師匠もよく言うんだけど、「お金稼ぐ事とか、現場の楽しい忙しさにまかせているとなぜ自分が作曲家を志したのか忘れていくよ」と。さすがにこのままじゃいかんな
と、このごろ思ってます。
G:先生は、10年スパンでものごとを考えるんですね。
K:たまたまね。多分、10年やったら疲れるんだよ。脳みそが。追い詰められたらいいものができるってことも確かにね、あるんだけど、そればっかりだとね。
G:孤独な作業ですしね。
K:芝居だと稽古場があるけど、TVなんかはね。共同作業ってなかなか無いから。
■これからが楽しみな学生へ
G:先ほど先生の言われたことの中に、授業の中で、学生がおとなしいってあったんですが、先生としての要望はありますか?
K:今はまだ無いけど、いろんなネタをふっているので、そのへんから自分の『面
白そう』って思うのを、できるだけ能動的にやってほしいね。
多分、「じゃあみんなで作るのやるから、自由に時間使ってください」って言えば、まとまったり、図書館行ったりして動き始めたりするんだろうと思って、あまり心配はしてないんですけど。もったいないのは、学生同士の交流をもっともっとしてほしい。自分の隣に座った人が、すごく変なことしてる人の可能性がすごく高いわけじゃない? そうすると、今のうちになるたけ話し掛けて。「何年生ですか」とか、「どんなジャンルの音楽やってる
んですか」とか。先輩なのに年下だったり、後輩なのにずっと年上だったりするじゃない。
そのへん言葉使い難しくて、話し掛けにくいっていうのはわかるけど(笑)。自分から仲間
を広げてほしいかなと。
ただ潜在能力は、レポートやアンケートを見てみると、視野は広いし、ある程度専門分野にこだわってる人は多い感じがするんで、そこらへんをもっと人と触れ合わせる作業をしてもらえると一般
的にも通用するものになっていくんじゃないかと思います。これからだよね。最初のスタート地点としては、みんなの状態は全然悪くないと思うの。もうちょっと和気あいあいとしたいなって思う。それもこれからかな(笑)。
G:最後に、学生に向けてメッセージをいただきたいんですが。
K:これからが非常に楽しみな学生が多いような気がするので、ぜひ、実地と理論のバランスを上手く取って多くの人にアピールできるような仕事なり研究なり実践っていうの
をやってもらえると面白いっていうこと。
それから、「なんやら変な作曲家がいて、なんかいろいろ言ってたなぁ」と、創作活動したり、プロデュースした時に思い出してくれればうれしいなって思います。以上です。
G:ありがとうございました。
K:こちらこそ。◎
■註
註1)音楽理論のこと。
註2)建華(ジャン・ジェンホア)。中国上海に生まれる。二胡奏者。1984年にベルリンフィルと定期で演奏し、高い評価を受けている。一方で、坂本龍一とのラスト・エンペラーやりんけんバンドとのコンサート等多彩
な活動を行っている。
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