エゾミソハギ

國兼 治徳


高校時代だったと思う。
兄の遺した蔵書の中に、日本の伝説を纏めた本があり、興味深く読んだ記憶がある。題名は忘れてしまったが、各地に言い伝えられている話が集録されていた。幽霊の話とか、誰も撞かないのに毎日決った時間に鳴る鐘の話などがのっていた。その後、その本はどうなったのか、父が亡くなって兄の蔵書も引き取ったが、その中にはなかった。
さて、その本の中に一つだけはっきり覚えている話がある。「乙羽ヶ池」という伝説である。概略は次の通りだったと思う。
若い娘が、三人で山へ野苺摘みに出かけたが、下女としてお寺に住んでいた音羽という名の娘が、皆からはぐれてしまった。沼の淵で泣いていたら、霧が立ちこめてきて声が聞こえた。
「わしはこの沼の主である。お前にこの沼の跡取りになってもらう。7日後に迎えに行くから、用意して待て」
急に霧が晴れて道がわかり、娘は寺へ戻った。ただ、帰ってからは泣いてばかりで、訳も云わず、とうとう7日目が来た。その日は朝からすごい嵐で、和尚が本堂でお経をあげていたら、龍が本堂を7回取り巻き入り口から顔を出した。
「娘を迎えに来た」
和尚は初めて娘の泣いていた訳を知り、
「あと7日待ってほしい。その間に音羽を納得させよう。その時は人の姿で迎えに来てくれ」
龍が去ると嵐が止んだ。和尚は娘に因縁と云うことをこんこんと悟した。音羽も落着いて和尚の話を聞き、一心に佛に祈るようになった。
7日目の早暁、村の人々もいろいろなお供え物を用意して、村はずれで音羽を見送ることにした。間もなく、朝霧の中から蹄の音が聞こえ、一人の若い貴公子が白装束姿で皆の前に現われ、音羽とお供え物を馬に乗せて去った。数日後、また嵐になり龍が天に昇るのが見えたという。その後、その村では毎年音羽が去った日に、お供え物を池に持っていく風習が残った。
私は2年前の夏、佐渡で開催された同期会に出席した。私が植物に興味を持っていることを佐渡の友人は知っており、植物に詳しい伊藤邦男氏を紹介してくれた。伊藤氏は「佐渡の花」をはじめ、数冊の植物図鑑等を出版されておられる方である。伊藤氏に佐渡のどこを見たいかと問われ、湿原を見学したいとお願いしたところ、乙和池に案内された。字は違っているが、私の知っている伝説の池ではないかと概略説明したところ、
「この池はその伝説の池です。地元以外の人から、その話を聞こうとは思わなかった」
とびっくりされた。伊藤氏の著書「花の風土記」によると、池の名は現在「乙和池」と改められ、海抜560mのブナ林内にある。大きさは、南北80m、東西29m、面積約1600u,最深部3.5mである。池の中に池面積の1/4大の浮島があり、浮島の中央には御池と呼ぶ穴があいている。この池は県の天然記念物に指定されているそうである。私達が見学した時、浮島の北側にエゾミソハギが咲いていた。
伝説の池を目の当りにして、私は少なからず興奮した。私達の声以外は何も聞えない静かな池の周囲を歩きながら、音羽は今どうしているだろうかとか、すでに昇天したのだろうかとか、普段迷信など理屈に合わないことなど信じない私が、ひょっとすると音羽は今も沼の底にいるのではないか、と真面目に考えたりするのだった。私は、池を巡りながらいつの間にか伝説の世界へ足を踏み入れていた。
それにしても、浮島にどうしてエゾミソハギが1本だけ咲いているのだろう。池の周囲にはそれらしい花はない。さも音羽に手向けた供花のようであった。佐渡では、お盆になると精霊様(しょうりょうさま)が五色の雲に乗っておいでになる、という言い伝えがある。この地方では、精霊様を迎える頃になるとミソハギが咲き、仏前に供えるらしい。北海道でもエゾミソハギを盆花というが、私の見聞きした限りでは、お供えしたのを見たことがない。私の祖母は、盆花に庭のダリアなどをお墓や佛壇に供えていた。
湯浅浩史氏の「植物と行事」によると、ミソハギは禊ハギに由来するという。ミソハギは水辺に咲くので、禊の時に利用したことは十分考えられると述べている。
又、ミソハギ属Lithrum(血の意)には、ミソハギとエゾミソハギの2種があり、全国に分布しているそうである。ただし、佐渡にはエゾミソハギだけと伊藤氏は明言しておられる。ところで北海道はどうだろう。私は単純にエゾミソハギと思いこんで見ていたが、葉が茎を抱かないミソハギもごっちゃにしていたと思う。
私達は、乙和池をひとめぐりして帰えることにした。池を離れる時、私はもう一度振り返ってながめた。池は私の心を知ってか知らずか、全く静かな水面を見せていた。


ボタニカ13号

北海道植物友の会