先生の思惑違い

福地 郁子


 元の教育大学の電車通りを毛糸の帽子をすっぽりかぶり、やせて長身のためか少し猫背ぎみで歩いていく人がいる。ハッとして、もう一度よく見なおす。そんなことある訳ないよなー。そこには3年前の先生がいた。中央図書館にでも行くのかな。やせぽっちのため、寒がり屋の先生だから雪の日など耳を覆うため、目に垂れ下がるほど深く毛糸の帽子をかぶっていたっけ。

 バイクに乗って
 先生が室蘭を引き払われ札幌で最初に住んだ所は南6条西13と、比較的我が家と方向が一緒であり、フィールドに出た帰りをよくご一緒したものだ。その頃先生は、ヤマハ・メイトという50ccのバイクでフィールドに出られていた。私もホンダ・スーパーカブというバイクに乗っていた。

 平岡のオオウメガサソウがそろそろ咲く頃かなーと、バイクで羊が丘通りを走り道々滝野御料線の交差点近く、道路沿いの草むらから先生が出てきて思わずバイクを止める。何かを観察されていたらしく、今日の目的は私と同じ場所のオオウメガサソウということで、早速一緒に行った次第である。
 秋の曇り空の中、国道230号線をバイクで我が家に帰るべく南に向いて走っていると、見慣れたバイクが反対車線を走っているではないか。ヤッと手を上げ、先生は左はじにバイクを寄せなさいと合図をしてくる。南19条のところであった。近くの喫茶店でコーヒーをごちそうになった。その日は簾舞のほうのフィルドに出たと言っておられた。
 私は藻岩山スキー場の下に住んでおり、5月のよく晴れた日、ソフトボールの練習に行くためバイクで下りて行った。ところがスキー場入口の遊歩道に特注の木箱を荷台に付けた見慣れたバイクが止まっているではないか。先生かなーと遊歩道を上がって行くと、ルーペで懸命にスゲを見ている先生がいた。たしかオクノカンスゲの果実を確認にと言っていた。家から近いからよくここに来ているよと言っていた。ソフトボールの練習を早く切り上げ、観察が終わった先生に無理をいって我が家に寄ってもらい、畑の野菜を無理矢理持って行っていただいた次第である。実家が川崎で農家をしていたから畑のことはよく分かると、畑のトマトやキュウリの苗をマルチにしてトンネルをかけ育てているのを見て随分褒められたのを記憶している。以来我が家のトマトは喜んでよく食べてくれた。
 また忘れもしない86年8月1日、北5条通りセンチュリーローヤルホテル前の交差点の真ん中でお互い右折同志でばったり会ってしまった。読売新聞社横にバイクを付けるように合図がある。先生は私の顔を見るなり「どうしたの、顔色悪いけど」とたずねられた。家族の一員のラフコリーのロッキーが北大獣医科に入院していてたった今亡くなったのである。そう話すと先生はそっと合掌してくださり、「残念だったね。帰りは気を付けて帰るんだよ」と心配して下さった。その頃の先生はやせてはいたが真っ黒く日焼けして健康そのものであったのに。その日は暑い日であった。
 札幌の植物調査をしている時期のことである。またバイクについてあんまり思い出したくないことなのだが、右折車に巻き込まれ私が大けがをした時のことである。度々のおみまいのお土産にご自分の好物のおまんじゅうとか、ぎゅうひが多かったのがなぜかうれしく、おかしかった。入院中、退屈なので札幌の植物の整理をし、調査の集計が出来たことが先生に心配をかけたお返しになったかなと考えている。その頃先生はNHKラジオ第一で、毎木曜の朝の5分間、植物についてのお話をしていた時であり、楽しみにラジオを聞いていた。さらにデーターを重ねて92年『札幌の植物』が出版された。
 梅沢俊さん曰く、「福地さんが足を折ったので『札幌の植物』が早く出来た。また、先生が新しい本を出すときは足を折らなければなー」と。私としてはうれしいのか怒ったらよいのかである。

 先生の思惑違い
 先生は、自分の健康管理、生活習慣などから80才までは健康に生活が出来るという目算で、人生設計を立てられていたようだ。人生設計とは植物に囲まれたフィールドいることである。75才程から急速に体力がなくなるのを感じておられたらしく、後の5年で前出された図鑑のリメイク版出版にむけての再調査を始める予定であったようだ。
 ここで大きく思惑が外れてしまったわけである。体力のおちた先生の願いを聞いていた私としても、図鑑のリメイク版を出すべく段取りを付けていただけにとても残念である。
 先生が元気でいてくださるのなら冗談で足の1本や2本と言いたいところだが、痛いからいやだけど、先生はもう帰らない。

 この冬、我が家のバードテーブルにキテンが居着いてしまっている。ワクワク観察している。例えばそんなことを先生に伝えると一緒にワクワク喜んでくれたのだが、鳥や小動物の名前を何べん教えても覚えない先生だった。先生は植物の生まれ変わりだったのだから仕方がないか。
 今ごろ花に囲まれて、多感な青春期に教えをこうた牧野富太郎先生と尽きない花談議をしていることだろう。

1996.2.1.

ボタニカ12号

北海道植物友の会