発寒川沿いの自然歩道を訪ねる

牛沢 信人

 

 盛夏の8月13日のことである。自然歩道とはいえ、手稲山(1,023m)へのすぐれた登山道である。山頂についたあとはケーブル、JRバスとのりついで札樽国道におりることができる。平和のバス停(終点)からわずか進んだところを直角に右に曲り平和寺の方向をめざす。この右に曲る場所の、左手の山裾をまいて長さ100mにもみたないような道があり、少しくめずらしい植物が群っている。コミヤマカタバミ、ズダヤクシュ、エゾノレイジンソウ、ムシカリ、エゾノシロバナシモツケ、オガラバナなどである。オガラバナはカエデ科の木本で、のちにもふれるがこのような低地(凡そ海抜180m)にあることはめずらしい。
 それから先、平和寺の傍を通り発寒川本流の左岸に沿って進む。およそ3km行ったところでコースは、はじめて本流からそれて、右方から流れ下ってくる支流沿いに遡上して頂上へ向うことになる。
 この本支流の合流点(海抜450m)までは、特に興味をおぼえるものが少ないので省略する。
 ところがこの合流点から頂上方向にかけて、それまでとはかなり植生の状況がかわってきて興味をおぼえるのである。合流点附近で目にするのは、草本でコナスビ、エゾタツナミソウ、エゾノヨツバムグラ、各種のイチヤクソウ等のたぐいと、それに筆者には初見で、この山行で最も強い印象をうけた可憐なアリドウシランの存在である。木本では、この辺からナナカマド、アカエゾマツ等があらわれてくる。
 カエデ科は、ほとんどオガラバナやミネカデにとって代られるようになる。オガラバナは冒頭に記した例からこの合流点附近までは、途中にはほとんどなくここから頂上附近まで連続して存在する。
 面白いことに、初秋に一度寒さに見舞われると、この合流点から上手のオガラバナの葉は一枚のこらず一斉に落葉する。
 ところが標高180mの、既述の、低所のオガラバナは葉をつけたままである。
 ミネカエデは、この高度付近に集中的に存在するようである。ナナカマドは、我々の近郊の山々では、自生では、主としてこの辺の海抜高度から上に存在する。しかし山中に自生するものでは、低地で植栽されたものでみるようにふんだんに花や実をつけたものはみかけない。丁度いまごろからエゾアジサイの花の時期である。鮮烈な青い色が眼にしみる。またこの近傍は紅葉の時期が特に素晴しい。
 コシアブラが比較的多いし、コシアブラとミネカエデが紅葉期の、純粋な黄色を代表する。頭をはるか右上方にめぐらせば大きな岩棚があり、上に松の大樹が密生している。いまはひるなお暗いような樹間でも、積雪期にはまるで疎林である。その時期にこの岩棚の上にあがってみれば、松の主体はトドマツであることがわかる。積雪期に林の中を縦横に歩けばトドマツ、エゾマツ、アカエゾマツ、イチイ(多い順)などの分布状況がよくわかるのである。本支流のこの合流点から少しのところに一寸した滝があり、景観にアクセントを添えている。布敷の滝という。表示では、この辺が5合目とあるが困難度を加味すれば、全体の凡そ3合目というところか。滝の付近、行手の左側に渓流をへだててかなり大きく、高い30度位の急斜面がある。いわば安山岩質の岸壁斜面で、斜面には一定の厚さの土壌があるわけではない。ただいつも湿っていて、窪みにたまった土壌や岩石の割目に湿生植物が根をおろしている。たとえば木本ではヒメヤシャブシ、草本ではタチギボウシなどの類である。いつだったかこの斜面の下部に、シロバナのノビネチドリの、花穂を長くしたような多数の野の花を遠望した。「おそらくミズチドリだろう“そのうちに”」ということで通りすごした。
 その時少しの労を惜しんだばかりに、その後何度か現場に足をふみ入れたが、その痕跡すらみることができないでいる。
 この辺から上に延々と帯状に土まじりのガレ場がつづく。これこそこの自然歩道を特徴づけるガレ場登りのはじまりである。この土まじりのガレ場の帯は、地形図でみると距離で凡そ1km弱、比高で凡そ250m位もあろうか。丁度三角山ひとつ分といったところ。かなりの難行をしいられる。途中で足の下で軽快に水の流れる音がきこえるところがある(伏流水)水場もある。そこからさらに、かなり登って右にアカエゾマツ、左にトドマツのみごとな大樹の間を通る。それぞれが目の高さで直径が70cm、80cmもあろうか。
 この辺まで来るとこのガレ場は間もなく終りに近ずく。ここで、困難度を加味してコース全体の 6.5合目位になろうか。
 全コースで、この部分だけにオガラバナの林床にゴゼンタチバナの花が群っている。これまでの途中でよく目につくいくつかの草本をあげるとミヤマトウバナ、ツルリンドウ、クルマユリ、ミミコウモリ、アカバナ、エゾニウ、トリアシショウマ、ズダヤクシュ等、灌木でツルシキミ、ガマズミ、ムシカリ、ノリウツギ、アクシバ等である。ここまでの土まじりのガレ場を登りきったところで視界が急に開け、土のまじらない本格的なしかも大人の身の丈もあるような稜角のするどい岩塊が累々と積み重なったガレ場に達する。
 このガレ場は距離にして300m、比高にして150m位もあろうか。これぞこのコース全体の眼玉でありひとしお山行の醍醐味を感ずるところでもある。ガレ場に入ってまず目にとびこんでくるのはエゾノキリンソウやシラネニンジンそれにノリウツギやナナカマド等の灌木で、いかにも亜高山らしいふん囲気をただよわせている。わが郷土の歴史の理解のために、この異様なガレ場の生い立ちについて概観してみたい。数10万年前に、いまの山頂方向から、その当時の地表面の上を手稲溶岩が10数mの厚さで流れ下った貌が、たとえば少し離れた阿部山などから実によく観察されるのである。その当時と記したのは、手稲溶岩の噴出年代の、数10万年前に存在した、かなり浸蝕のすすんだ原地形をさす。
 この溶岩の末端が所によっては日昭神社付近のような低いところまで流れ下った。永峯沢、中の川沢などは、数10万年以来この溶岩台地をうがって流れてきたことになる。8条8丁目の停留所付近からはるかに望見される中の川沢右岸の“ルンゼ”状の崖(その地表は海抜500m)は、この手稲溶岩の断面を示している。
 当時同様な溶岩の噴出が“あっち”“こっち”で起ったらしい。たとえば空沼岳、無意根山、札幌岳など、みななだらかで温容な地形を示しているのはそのためである。これらは総称して“フラット・ラバー”と呼ばれている。
 先住民であるアイヌの人々が手稲山を“長悪山”といったが、筆者はおそらく阿部山方向からみる黒々と布団のように横たわる、この奇偉な溶岩の貌を指して云ったのではないかと思う。溶岩噴出後主として、いまから6万年前から1万年前にかけての最終氷期にヒビ(節理)の入った溶岩層から、温度の日較差の大きい条件下にしきりに岩塊が落下して、このなんとも形容し難いガレ場を作ったらしい。当時は、海水面が著しく降下して、日本海は閉じた湖となり冬期には氷結したから降雪量はそれ程多くなかったと思われる。石狩湾は、大陸棚が広く日本海の沖はるかにはり出しているからわが琴似発寒川はこの時期にはいまの河口よりもはるか50km以上もさきで日本海に注いでいたと考えてよい。してみれば当時のこの辺の琴似発寒川は、川の中流どころか上流近くに位置していたことになる。だからいまでは埋められて上からではわからないが当時の河床は深くえぐられたはずである。さてこのガレ場を登りきると、溶岩の風化土壌でしきつめられた、うそのように靴底に感触のよい台地の上にでる。ここで 8.5合目位か、頂上は近い。年によると、いまごろはチシマザサの根元にヤマイグチがでている頃である。しかし今年は見あたらない。ロープで往来を遮断しているが、あの広大なパノラマ1号コースにはヤナギランとヤマハハコ等がびっしりとしきつめられたように咲いているのをみたことがある。しかし年々才々植生が同じとは限らない。
 頂上方向(ロープウェー山頂駅も)へ向う途中抜群に見晴らしのよいところに石を積んだ“ケルン”がある。晴れていれば余市岳や定天などの素晴らしい、スケールの大きい展望を楽しむことができる。なによりも“歴史”を考え、“宇宙”を想い、そしてさらに宇宙に遍満する“仏”に想いをいたすのである。この日手稲山の山頂付近は濃霧につつまれて視界は10m程度の状況であった。頂上はさけて山頂駅に直行する。家を出てから3時間45分を要した。このコース、小学校の高学年にもなれば登ることができよう。JRバスの時刻は、そこに直接たづねるか停留所の時刻表をみるとよい。
 追記−アリドオシランについて試みに原松次編の「札幌の植物」でその産地についてしらべてみた。すると産地は札幌岳、空沼岳、無意根山等とある。これに手稲山が加わるわけである。高山のみではないか。軽い知的興奮を覚える。おそらく1万年以上前の寒冷期の遺物であろう。高木のアカエゾマツ、中高木のケショウヤナギ、動物のナキウサギ、昆虫のウスバキチョウのような。
(編注)
 本稿は、西野第二町内会発行の町内だより 188〜 189号(1993年 9〜10月)に掲載されたものであり、その一部を変更しています。
 
 

ボタニカ10号

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