実は仕事の合間に、Webサーフィンしながら興味のある場所をウォッチしていたので、場所はすでに決まっていたのだ。私にとっては8年振りになる「上高地へ行こう!」と、思っていたのだ。
ただ7月下旬というこの時期は、夏山シーズンの始まりの時期でもある。当然ながら北アルプスの玄関口の一つである上高地にも、大勢の登山客が押し寄せることになる。加えてこの時期は観光客も多い。それだけが難と言えば難ではある。
さてさて、「よぉ〜し、行くぞぉ!」と、前日の夜に意を決してからが大変。
どういうルートで行こうか・・・。何も考えていなかった。今回もバックパッキング装備の歩き旅なので、とりあえずザックに装備を詰め込む。装備を詰め込みながらルートを考えていたが、結局決めない内に寝てしまっていた。
今回は行く前から色々な事情ですでに疲れ気味なので、お手軽な方に気持ちが傾く。ただし「今日の夜に乗ろう」っていうバスを、その日の朝に予約するわけだから、そう都合良く空席があるものだろうか・・・?
早速電話・・・やはり世の中、そんなに甘くはない。バス会社の方にはとても丁寧な言葉で「満席です」と告げられた。そりゃそうだよな、やっぱり・・・本当は「キャンセルとか出てるかも知れない」という淡い期待もあったのだ。でもこれで自動的に、急行アルプスでの上高地入りに決定したのだった。
八王子駅は予想通り、登山客らしい多くのグループが列車を待っていた。
「こりゃ、列車の中で寝て過ごすのは難しそうだなぁ」と思いつつ、一本目のアルプスを見送った。同じ列に並んでいたおじさんが「次に臨時来るからね。次の方が確実に座れるから」と教えてくれたのだ。
だがここでも「世の中甘くない」。むしろ「臨時列車の方が混んでいるんじゃないの?」と言う感じだった。
それでもどうにかこうにか、列車に席を確保することは出来た。隣で眠りこけているおじさんの抱きしめているピッケルが、私の方に倒れてこないかヒヤヒヤしながらではあったが・・・。
予定通り松本からは松本電鉄線、終点の新島々からは路線バスで上高地入りしたのは、朝6時半。
列車の中では隣のおじさんのダイナミックな寝姿のために、なかなか寝付けなかった。途中で通路を挟んだ反対側の座席が空いたところですかさず席を移動し、ようやく眠りにつけたのだが、結局2時間も寝ていないことになる。
だが上高地の鮮烈な空気・・・まあ要するにかなり涼しいおかげで、しっかり目は覚めている。
とりあえずトイレを探すことにした。
このバスターミナル前のトイレはとてもきれいなのだが、有料なのだ(実はこの「上高地の旅」に関するメモを紛失してしまい、料金がいくらだったのか、あるいはカンパ制で任意の料金設定だったのか、記憶が定かではない)。
トイレの入り口には、まるで風呂屋の番台のようにおじさんが待ち構えている。
考えてみれば何だか不思議な光景だ。一方では「トイレの汚水浄化には金が掛かる。だから環境保護のために金を払え」と言って利用する人にお金を要求していながら、一方では一番お金が掛かる「人間」を配置し、集めたお金を相殺してしまいそうな人件費を掛けている。
「環境保護はタダではない」とか「環境保護をみんなの問題として考えましょう」という意識付けの意義はあるのだろうが、何だか矛盾のようなものを感じてしまうのだ。山では有料トイレは珍しいことではない。だからお金を徴収することに反対しているのではなく、「他の方法もあるんじゃないの」と言う点で、不思議な気がしてしまうのだ。
ちょっと熱くなってしまったところで、話を元に戻そう。
トイレの後は、朝飯。缶ビール片手に(とりあえず言い訳をしておくと、さすがにこんな朝っぱらから飲み始めることは滅多にない)、フリーズドライのパスタを調理して頬張る。
いきなり「のんびりモード」に入っていたら、いつの間にか周りにほとんど人はいなくなっていた。
最初は小梨平。ここには雰囲気の良いキャンプ場がある。
そもそもこの上高地はマイカーで入れない分、シンプルな装備のキャンパーが多い。別にオートキャンパーを敵視するつもりも、毛嫌いする気もないのだが、過剰とも思える装備(やっぱり敵視している?)に包まれたサイトの隣で慎ましやかにテントを張って過ごすキャンプは、なんとなく居心地が悪いのだ。
この小梨平キャンプ場は以前に一度利用したことがある。ちょうど8年前のことだ。
その時は会社の同僚数人で上高地を訪れ、バンガローに宿泊した。その時は、生憎の雨。外を歩く気にもなれずに、キャンプ場周辺で過ごしていたのだった。
だが今回は前回と違って日頃の行いがよい私だけなので(なぁんて書いて、8年前に一緒だった人に、後で突っ込まれたらどうしよう)、快晴に近い青空が広がっている。何だか8年前の記憶が「間違ってるんじゃないのぉ?」と思ってしまうような青空だ。確かにここまでの間、目にしてる風景のすべてが、初めてのような錯覚を感じていた。
明神を過ぎると、次は徳沢。井上靖の小説「氷壁」に登場する宿として有名な、徳沢園と言う山小屋がある。この山小屋の前の芝生の広場は、キャンプ場になっていた。
今回は出発の準備不足が影響して、上高地滞在は1泊になってしまっている。この先の横尾にもテントサイトがあるのだが、ほとんど登山ベースとしてのサイトだし、明日の帰りのバスこともあるので、この徳沢のキャンプ場か小梨平のキャンプ場にどちらかに泊まることになる。
「小梨平でテントを張って、身軽になってから歩こうか」とも思ったのだが、「徳沢の方も良さそうだなぁ」と思って、結局ザックは背負ったままでここまで歩いてきた。この徳沢のキャンプ場は、昔牧場があったところだそうで、開放感に優れている(小梨平は林間に位置する)のがなかなか魅力的だった。
結局どっちにするかは後の成り行きで考えることにして、とりあえず、ここでも冷たいビールを飲むことにした。あれっ、・・・バスターミナルより50円高いような・・・(今回の旅、通算4本目。上高地通算2本目の缶ビール)。
ここまででバスターミナルから約7Kmの距離を歩いて来たのだが、平坦なトレイルなので疲れは感じていない。おまけにアルコール燃料を定期的に供給しているので、パワーもある。ただこの燃料は切れるのも早いのだけど・・・
透き通るような感じの風が吹いている。永遠の避暑地・・・今日の日の上高地のために用意された言葉のようだ。
横尾に到着。早速燃料補給だ(今回の旅、通算5本目。上高地通算3本目の缶ビール)。あらっ!?、また50円上がっている・・・。
バスターミナルからの距離に比例して缶ビールの値段が50円づつ上がっていくなんて、まるでタクシー料金みたいだ。でも買ってしまう・・・。
この横尾までは、車が通れるくらいの道が付けられている。実際に2台ほど私の横を通り過ぎる車があった。「えっ!?、上高地は車禁止じゃないの?」と思われるだろうから説明すると、実は「許可車」と呼ばれる特別な許可を貰った車は走ることが出来るのだ。たぶん、山荘や工事関係者、役場などの車に限られているのだろうと思う。
で、そんな車が通るような道なのだから、今ここで手にしている缶ビールを、人力で運んだとは考えにくい。つまりはビールの値段は人件費や燃料費などのコストの差と考えるよりも、やっぱり人間の深層心理(なぁんて、深い意味はないだろうが)を突いたというか、需要と供給のバランスから付けられた値段と言うべきだろう(なんちゃって)。
缶ビール片手に梓川の河原に降りる。
ふと見ると、木陰で文庫本を読んでいる若い女性がいた。服装は「これから山に行くわよ」ってな格好なので、きっと明日の早朝にでも目の前の峰を目指すのだろう。
確かに今日のお天気の中、山登りでダラダラと汗を流し、フウフウと足下ばかり見て歩き続けるよりも、この河原でゴロゴロしている方が数倍楽しい(ちょっと負け惜しみ)。
私も早速缶ビールを空け、コーヒーを沸かし、ビスケットを囓りながら、ゴロゴロを堪能することにした。
そんなことをしていると本格的に眠くなって来たのだが、これは昨夜の寝不足のせいだろう。だが、時間はまだ早い。眠ければ眠ってしまおう。目が覚めるまで河原でのんびりと過ごせばイイ・・・
明神池に到着したが、ここまで戻るとさすがに人の数が多くなる。
茶屋も混雑していたので「先に明神池でも見て」と思ったのだが、なんと有料・・・拝観料(たしか)と言う名のお金を要求されるのだ。「ここって私有地なの?」事前に調べてこなかったので、良くは解らない。
料金が高いと思ったのではない(たしか、これも記憶では200円程度だった)。池をみるだけで、しかも人工物ではなく自然の恵みで生まれたモノを見るためにお金を払うということに、なんとなく納得が行かない気がしたのだ。おまけに「環境保全のため」ではなくて「拝観料」なのだ・・・。で、結局パスしてしまった。「興醒め」という言葉がピッタリ。上高地で感じた2度目の違和感だった。
昼食は蕎麦。それと大瓶ビール(今回の旅、通算6本目。上高地通算4本目のビール)。
腹が満ちてくると、また眠くなってくる。まだまだ陽は高い。
それにしても今日は本当に良い天気だ。河童橋から見える穂高の山々は、なんども雑誌や写真集などで見て憧れた風景と変わらない。8年前にはこの地を訪れたときの印象(すでに書いたが、雨だったので、山なんぞ全然見えなかった・・・と言うか、見た記憶が無い)が印象だけに、初めて上高地らしい風景を見た気分になっている。
「こういうとき、良いカメラがあったらなぁ」と思う。旅の最中に、最近こう思うことが多いのだ。
自分にとっては、ひょっとすると一期一会になるかも知れない風景に遭遇したときに、その風景を記憶に焼き付けることはもちろんなのだが、残念ながら時間と共にその記憶が曖昧になってしまうのも事実。あるいは不自然に美化され、あるいはどんどん色が褪せてしまう。
そこで旅の際には必ずカメラを持ち歩き、今の風景を「記録」するようにしている。だがそうしている内に単なる記録道具としてだけでなく、カメラが旅の楽しみの一つに思えるようになってきたのだ。
古い一眼レフカメラも持ってはいるのだが、あまりの重さに閉口して、ここ10年ほどは持ち歩くことがない。で、最近はいつもお手軽なコンパクトカメラやデジタルカメラなどに頼っていた。
だがこうした風景に出会うと、「やっぱり、重くても良いから、一眼レフカメラが欲しいなぁ」と思ってしまうのだ。
小梨平で受付を済ませ、日陰にテントを張り、一息ついている内に、結局テントの中で再び昼寝をしてしまった。これでは歩きに来たのだか、昼寝に来たのだか、わからない(笑)。
目が覚めたのは夕方4時半。夏の陽はまだ高いが、もう歩き回る気分ではなくなっていた。
私の周りのキャンパーは、ほとんど明日の登山を控えている人たちばかりだった。宴会をしていたグループも、8時頃には静かになり、周囲にたくさんのテントが張られているとは感じられない。なんとも居心地の良いキャンプ場だった。「このキャンプ場だったら、また何度も来たいなぁ」。
コーヒーにウイスキーを入れて飲みながら、そんな上高地の夜をぼんやりと過ごしていた。
(キャンプ場にて、缶ビール2本。今回の旅、通算8本目。上高地通算6本目のビール)
整理券を貰っている11時台のバスの時間まで、この後大正池などを散策しながら過ごそうと思っていた。
雨具を着込んではいるが、それほどの雨でもない。こんな時は雨具よりも傘の方が快適だ。だが今回はうっかり折り畳み傘を忘れてしまった。
上高地と言えども、この時期、雨具を着込んで歩き出せばすぐに蒸れを感じる(「ゴアテックスは蒸れない!」なんて言われているが、普通の衣服に比べれば、どんな雨具だって通気性では劣るのだ。だから汗を掻くような状況だと、当然ながら蒸れる)。それに私は人一倍汗っかきなのだ。これは新陳代謝が活発・・・若い証拠?それとも私が単に重量オーバーなため?(笑)
年輩の人も多いのだが、最近の年輩者はハイキング愛好者なども多く侮れない。かつて80歳を過ぎたお爺さんに山中で出会い、かなり頑張っても追いつけなかった経験がある。だから歩き慣れた人にとっては、大正池に続くこの平坦な木道は苦にもならないだろう。
だが当然ながら中には歩くことに慣れていない人もいるし、子供だって混じっている。進行方向別に2本の木道が敷き詰められているのだが、その両方を占領されてしまうと、私も立ち止まらずを得ない。
そんなことを繰り返している内に、何だか歩くのが億劫になって来たのだが、前後を挟まれながら歩いているため、休むこともコースから外れることも出来ない・・・なんだかなぁ・・・
それでも「歩いたり立ち止まったり」を何度も繰り返している内に、ようやく大正池に到着した。
大正池は靄に霞んでいた。晴れているに越したことはないが、今日のような天候も雰囲気があってなかなか良い感じだ。
大正池は昨日はきれいに見えていた焼岳が大正時代に噴火した際、泥流が梓川を堰き止めて一夜にして生まれた池だ。その時に水没した森はやがて立ち枯れて、今のような景観を作っている。
その景観には、今日のような靄った天候もまた神秘的な感じを与えて、「なかなかいいぞぉ」という感じがするのだ。
ただ8年前に見たときよりも、その立ち枯れの木々が少なくなったような気がするのは気のせいだろうか。
(註:このあと気になって、戻ってからちょっと調べてみた。8年前と比べてどうかは解らないが、年々立ち枯れの木々も朽ち果てて、確かに減っているらしい。これは人為的な問題ではないのだからやむを得ない話なんでしょうね、きっと)
さて再びバスターミナルまで戻る。帰りのバスまではまだ時間があるが、中途半端にしか朝飯を食べていないので、本格的に朝飯を食べよう・・・(結局バスターミナルにて、缶ビール2本。今回の旅、通算10本目。上高地通算8本目のビール)。
帰りのバスの渋滞は、アナウンスで覚悟していたのだが、ほとんど影響が無かった。混み合っているのは反対車線。反対車線は開通したばかりの安房トンネル目当ての車なのか、上高地目当ての車なのか、長い長い渋滞が続いていた。きっと午前中に上高地到着予定のバスも、午後になってしまうことだろう。
なんとなく消化不良のようなものを感じている。新鮮で美味しいモノを堪能したのだけど、何だか胃がもたれる。そんな気分の私を乗せたバスは、新島々の駅を目指して走り続けている。
新島々からは再び松本電鉄に揺られ、松本の町へ向かう。仕上げは信州蕎麦に、やっぱり欠かせぬ生ビールでも飲んで・・・(通算・・・ええとぉ、11本目? ええい、もう面倒だぁ!)。