行きあたりばったり徒歩紀行 〜小海線を歩く(1998年5月)〜


小海線マップ  出発の日は晴れていて欲しい。ましてや私にとっては思い入れの深い場所。出来れば五月晴れ(正確には梅雨の間の晴れ間を五月晴れと呼ぶらしい)の中、歩きたい。
 そんなことを思いながら5月の連休を過ごしている内に、休日も残り少なくなってしまった。

 4月に入って、急に混み始めた朝の満員電車に揺られながら突然思ったこと。それは「八ヶ岳山麓を気ままに歩こう」ということだった。
 八ヶ岳山麓を歩くことは、私の歩き旅の原点に戻ることでもある。私にとって初めてのバックパッキング行(生活道具を一式背負っての歩き旅)が、この八ヶ岳山麓を歩くことだったのだ。
 どうせ行くなら時間を気にせず歩きたい。だが連休ともなると当然ながら人も多い。「その辺りが悩みどころなんだよねぇ」と自問自答しながら、とりあえず連休の終わり頃、人の移動と逆になるように行動するつもりでいた。
 ところが連休は雨続き。今度は「おいおい。このまま雨で終わっちゃうのかぁ?」と思いつつ、天気予報とにらめっこ。結局雨が上がったのは、連休最終日になってからだった。

 これでは悔しい。無為に連休を過ごしてしまったという後悔もある。
 で、強引にさらに3日間もの有給休暇を動員して、連続9日間の休暇にしてしまった。「この分は休み明けに、いっぱい働いちゃうんだもんね」と心の中で言い訳をして、世間では連休が終わっているはずの翌日になってから、列車に乗り込んでしまった。



小海線海尻駅近くの鉄橋を走る列車  八王子から乗った特急列車が小淵沢に到着した。ここからは小海線に乗り換える。小海線は長野県の小諸と山梨県の小淵沢を結ぶ典型的なローカル線。途中から千曲川が小海線にまとわりつくように流れる、雰囲気のある路線だ。

 「それにしても贅沢になったもんだなぁ」思わず、そんなことを思う。
 昔は新宿発長野行きの夜行の鈍行列車が走っていた。信州方面に出かけると言えば、いつもその列車を利用していた。当然ながらその列車だと、小淵沢に到着するのは深夜となる。そして朝までひたすら列車が動き出すのを待つことになる。でもそれが苦にならなかったし・・・いや苦になるどころか、それが楽しみだったのだ。

 小海線の列車に乗るのは久しぶりのことだ。この地域を訪れることがあっても、車で訪れるのが当たり前になってしまって、このローカル線とは縁が無かった。
 乗客はほとんどいない。こうしてあらためて乗ってみると、「いつまでも残して欲しい」という魅力にあふれている。

 特に「どこ」というあてがあるわけでも無かったのだが、1泊目の夜は松原湖にしようと決めていた。
 松原湖は、初バックパッキングの最初の宿泊地となった場所。自宅を出発してから、その旅を「なぞるように歩いてみよう」と思いついていた。
 乗っていた列車は松原湖駅では停車せずに、結局その先の小海駅まで行くことになった。食糧その他は、ここで入手しなくてはならない。レトルト、フリーズドライの類はあらかじめ用意して来たので、食事に困るような事はないのだが、酒を持って来ていない。酒がないままに過ごす一人旅の夜は長い。私にとっては絶対忘れてはならないモノの一つなのだ。



 「とりあえず昼食の腹ごしらえをしよう」。そう思って駅前の通りを歩き、すぐに見つけたそば屋に入ることにした。かなり遅い昼食になる。

 そば屋には先客が居た。地元のおじいさんが真っ昼間からコップ酒をあおっている。
 私も負けじ(?)と生ビールを頼んだ。すでに列車の中で缶ビールを2本飲んでいたのだが、旅をしている間はこうして食べ物屋に入ると、条件反射的にビールを頼んでしまう。

 生ビールを飲みながらザル蕎麦をすすっていると、その「コップ酒じいさん」から声を掛けられた。
 「あんた、これからかい?どこ登りなさるんだい?」
 この辺りだと八ヶ岳辺りを目指す登山客が多い。そして私の今の姿は、どこからどう見ても「これから山登るぞぉ」という格好でいる。当然ながら「コップ酒じいさん」もそう思ったのだ。
 だが私はただの歩き旅。今回は山なんぞ、これっぽちも登る気がない。そもそもこれから山に登るのなら、こんなところで油を売ったりはしていない。で、「コップ酒じいさん」に説明する。
 「いえ、歩き旅なんですよ。テントとか持って、歩きながら旅をしているわけで・・・」
 「そうか、歩き旅か。で、どこに登るんだ?」
 話が通じていない。説明が悪いのか?そもそも「歩いて旅をする」と言うことが、今の日本では不自然なのだろうか?
 仕方がないので、もう一度説明を繰り返す。
 ようやく話が通じたのだが、帰ってくる言葉は「なんで、そんなことしてるんだぁ?」。
 これは答えにくい質問だ。別に特別な理由はないのだ。理由を付ければ色んなことを言えるような気もするが、結局「好きだから」と言う以上の理由はないのだから。


 「コップ酒じいさん」は「今日は松原湖に泊まろうと思う」という私の言葉に、「それならあそこのキャンプ場がいい」とお薦めのキャンプ場を教えてくれた。そこの名前は解らないというので、教えてくれているキャンプ場がどこなのか正確には解らないが、そこには水洗トイレもあって(このことを力説していた)、なかなかお薦めの場所であるらしい。
 教えて貰ったお礼を言って店を出る頃には、すでに4時を過ぎていた。ここから松原湖まで歩くつもりでいたのだが、これでは歩いている内に日が暮れてしまいそうだ。
 しばし思案・・・結局、面倒になってタクシーに乗ることにしてしまった。うっかり買い出しを忘れてしまった(三歩歩くと忘れてしまう・・・これは老化の始まり?)が、まあどうにかなるだろう。水洗トイレがあるようなキャンプ場なのだ。缶ビールぐらいは売っているだろう。それにしてもいきなりタクシーとは・・・どこが歩き旅なんだ?(苦笑)



松原湖高原の某キャンプ場にて  タクシーの運転手に「松原湖のキャンプ場まで。なんでも松原湖よりもまだ奥の方にあるらしいんだけど。名前は解らないんですけど。適当にお任せします」と告げて連れて来られたのが、松原湖からかなり奥に入った某キャンプ場。ちょっとこの後の出来事を書く上で支障が無いこともない(つまりは支障があるのだ)ので、名前はあえて公表しない。

 途中何度か「オートキャンプ場じゃないですよね?」と念を押されて、そのたびに「違いますよ。普通のキャンプ場です」と答えながら連れてこられたキャンプ場は、周りに管理施設のようなものがない寂しいキャンプ場だった。
 「あのぉ、管理棟みたいなのはどこにあるんでしょう」と尋ねると「あっちのオートキャンプ場の方にあるんですけどね。あとで管理人が廻ってきますよ。廻ってきたらお金払えばいいから。水も出るはずですし」。

 辺りを見渡すが、私以外に誰一人いない。後になって誰かが来るかも知れないが、今はこの場に私一人だけだ。
 あちこちに焚き火跡があるので、きっと連休中は人も多かったのだろうが、今日は連休直後の平日。おまけに本格的なキャンプの時期にはちょっぴり早い時期でもある。
 「こりゃあ、他に人が来ない可能性が高いなぁ・・・」。そんなことを思いながら、テントを張るサイトを選ぶことにした。どこにでも張り放題・・・もっとも他には人はいないわけで、優越感に浸ることが出来るわけでもない。
 とりあえず少し奥に入った、トイレや水場からも近くもなく遠くもないサイトにテントを張ることにした。

 さて次は付近の散策とアルコールの調達だ。
 だが・・・車道に出てあらためて付近を見渡してみると、辺りに建物は見えない。「コップ酒じいさん」が言っていた水洗トイレなんて、このキャンプ場にはない。こりゃ、全然違うキャンプ場に来てしまったようだ(註:たぶん近くにあるオートキャンプ場がそうなのだろう)。

 結局アルコールは手に入らなかった。松原湖近くまで行けば、ビールぐらいなら手に入るだろうが、薄暗くなってからの往復3〜4Km近い道のりを歩く気にはなれなかった。
 結局スパゲティを2人前食べて、お茶を何杯も飲んで、腹一杯になった勢いで寝てしまおうかと思ったのだが、まだ時間は8時前。今日はほとんど身体も動かしていないので疲労もない。これでは眠ろうと思っても無理がある。

 陽が完全に落ちても、私以外のキャンパーは誰も来なかった。料金を徴収に来る管理人も現れない。聞こえる音と言えば、1時間に一回くらいの割合で通り過ぎる車のエンジン音と虫の鳴き声だけだ。
 人でごった返すキャンプ場に比べれば遙かに素晴らしい環境にあるし、こうして独りぼっちの野宿をすることに抵抗感は無い。だが酒のない独りぼっちの夜はひたすら長い。愚痴っても始まらないのは解っているのだが、何度も「ああ、駅で酒買ってくれば良かったなぁ・・・」と言葉が漏れる。

 気分転換にラジオを捻るとNHKで「五木ひろし歌謡ショー」をやっていた。そして流れてきた曲は千曲川。「おお。まさにタイムリーじゃない!」。
 今日は小海線の車窓から付かず離れずの千曲川を見ていたのだ。それだけに、見知らぬ土地でバッタリ知り合いに出会ったような気持ちがする。と、そこでいきなり「番組の途中ですが、臨時ニュースを・・・」と、地震のニュースが流れ出した。そしてニュースが終わったときには、千曲川のエンディングのメロディになっていた。何だかツキが落ちているような気がしないでもない。
 今度は文庫本を開く。「東京ホームレス事情」というノンフィクションだ。だが演歌を聴きながらホームレスでは、何だか寂しすぎる。せめて推理小説でも持って来れば本に没頭できただろうに・・・。
 結局、本にも没頭できないまま、「もう寝よう」と覚悟を決め、寝袋に潜り込んだ。時間は9時半。まったく眠くはないのだが、ここは気合で寝てしまおう・・・(気合い入れすぎると眠れないんだけど)



キャンプ場からの日の出  翌朝は日の出前に起きてしまった。眠りは浅く、何度も夜中に目が覚めた。一晩中、畑から動物を追い払うためか、銃の空砲のような音がこだましていた。何度目かの目覚めで、意を決して起きてしまうことにしたのだ。時間はまだ4時だった。
 コーヒーを入れようとお湯を沸かしているうちに、朝日が昇り始めた。晴天。ちょっぴり寝不足気味の感じではあるが、昨日の夜の気分が一掃されるような爽やかな朝だった。
 だがこの天気も夕方には崩れ、雨となると天気予報は告げている。今この空を見ているとちょっと信じられないのだが、晴天は長くは続かないようだ。

 手早く朝食を済ませ、撤収作業を行い、出発したのは午前6時前だった。
 途中オートキャンプ場の管理事務所に寄ったが、事務所は閉まっていて人もいない。「夜遅く到着したお客様は、翌日出発前に料金をお支払いください」と張り紙が張られているが、これでは払いたくても払えない。8時半頃には事務所も開くようなのだが、それまで待ってもいられない。「スマン。今度来たときには必ず払うから」と言い訳をして歩き出した。
 これからがホントの歩き旅のスタートだ。



八ヶ岳 松原湖  背後の八ヶ岳を振り返りながら、のんびりと歩く。のんびり歩いていると何だか楽しくなってくるが、これは寝不足で逆にハイになっているからかも知れない。

 やがて松原湖に到着。以前泊まったのは、この湖畔にあるキャンプ場だったと記憶している。この周辺には民宿も多いし、商店も何軒かある。「こっちのキャンプ場だったら、酒に困ること無かっただろうなぁ」。食い物ならぬアルコールの恨みは深い。
 20年ぶりの松原湖なのだが、ほとんど記憶に残っていない。だから特別な感慨も沸かない。湖面がキラキラ光っていて綺麗なのだが、ただそれだけと言えばそれだけ。
 とりあえずセルフポートレートを何枚も撮って遊んで(今回持って来たのはデジカメなので、気の済むまで取り直しが出来る)いる内に、湖畔の食堂からこっちをジィーッと見ているおばちゃんに気がついて、急に恥ずかしくなって止めてしまった。再び歩き出す。



菜の花畑の向こうに八ヶ岳が見える 千曲川の向こうに八ヶ岳が見える  菜の花が咲いている池の畔の東屋で2回目の朝食。食欲が無かったので、キャンプ場では粉々に砕けたフランスパンのかけらをコーヒーで流し込んだだけだったのだが、歩き始めたら急にお腹が空いてきた。そこでザックからガスストーブ(コンロのこと)を取り出し、フリーズドライのピラフを作り始めた。
 菜の花が咲くのどかな風景の中、春の風が吹いている。八ヶ岳の峰々の山頂付近には、まだ厳しかった冬の名残の雪が残っている。「気持ちいいなぁ・・・」。呟きが漏れる。漏れて当然の風景が広がっている。

 しばらく歩き続けて、小海線海尻駅の集落に到着した。ここからは千曲川沿いを歩くことになる。
 「せっかくだから」と千曲川に忠実に沿って歩いていたら、何度も行き止まりになって引き返す羽目になってしまった。そこで、やむを得ず国道沿いを歩くことにしたのだが、横を通り過ぎる大型トラックの排気ガスが煩わしい。トラックも遊びで走っている訳ではないので諦めるしかないのだが、快適にはほど遠い。
 そもそも不思議なことだが、日本の道路行政の下では「国道」という道は、歩行者のためのものではないのだ(そうとしか考えられない)。
 佐久海ノ口駅まで歩いたところで、さすがに排気ガスと騒音にうんざりして、列車に乗ることにした。それにさっきから、ひどく足裏が痛い。

 駅の待合所で足裏を確認してみると、両足とも親指の付け根付近に水膨れが出来ていた。これが原因か・・・水膨れに針を刺し、水を出した後、大型の絆創膏を貼る。マメ専用の絆創膏も市販されているのだが、少々高いのでなかなか買えない。700円の生ビールは飲めるのだが、500円の絆創膏はなかな買えない(これって私の性格?)。
 今回は久しぶりの「泊まりがけ歩き旅」だったので、気合いを入れてトレッキングシューズを新調した。その馴らしをしないままに今回履いてきたのが原因だろうか。
 簡単な処置をした後は、ずいぶん楽になって歩きやすくなった。

 ところで佐久海ノ口駅にあった看板に「宇宙に一番近い鉄道」というキャッチコピーが載っていた。宇宙に一番近い?・・・なるほど、小海線の野辺山駅近くには国鉄(今ではJRだけど)最高地点の碑もあるわけで、日本の中で標高が一番高い場所を走る路線なのだ。
 どこで降りようかと思っていたのだが、そのことを思い出して、野辺山駅で降りることにした。
 野辺山駅はこの「宇宙に一番近い鉄道」の中でも、さらに一番高いところに位置する駅だ。標高は1346mだから、丹沢辺りの山々の山頂付近と同じくらいとなる。ちなみに標高2番目の駅は清里駅、佐久海ノ口駅は7番目になる。



千曲川 野辺山駅  野辺山駅に到着。とりあえず駅前の土産物屋兼食堂で昼食を摂ることにした。
 相変わらず天気は良いのだが、本当に雨は降るのだろうか・・・?

 真っ先に注文したのは、当然ながらビール。夢にまで見た(ホントに夢に見たのだ。のどを鳴らしてビールを飲む夢を・・・)ビールが目の前に現れた。

 ビールを飲みながら地図を眺めていたら、二人連れのおばさんに声を掛けられた。

 「八ヶ岳ですか?」例によって同じ会話から始まる。
 「いえ。歩き旅なんですよ。昨日は松原湖に泊まって、そこから歩いてきたというわけで」
 途中列車に乗ってズルをしてはいるが、嘘をついたわけでもない。
 「へぇ・・・でも、なんでそんなことしてるの。せっかくだから山に登ればいいのに」
 実は昨日のそば屋から始まって、「山ですか?」と訊かれたのはこれで3回目だったのだ。そしてそのたびに律儀にも「いいえ、歩いて旅してるんですよ」と答え、次に「なんで、そんなことしてるの?」と訊かれる・・・そんなことを繰り返していた。それで段々説明するのも面倒になっていたのだが、「はい、そうですよ」と答えようと思ったのだが、つい正直に答えてしまった。
 今度からは「はいそうです。山です」と答えよう・・・心の中では、あらためてそう思っていた。

 野辺山から再び清里に向けて歩き出すことにした。ビールが入ったので、元気が出てきた(註:何度もビールの話が登場するが、私はそれほど大酒飲みではない。酒は好きなのだが、ちょっとの酒で元気が出る。つまりは燃費は良い方なのだ)。
 真っ直ぐ清里に向かっても面白くないので、野辺山の天文台を見学しようと寄り道をすることにした。野辺山の天文台には巨大な電波望遠鏡が設置されている。
 今までは八ヶ岳と並行して歩いていたのだが、今度は八ヶ岳を背にして歩くことになる。



電波望遠鏡(1) 電波望遠鏡(2)  真っ直ぐの道をひたすら歩き続けると、やがて大きな電波望遠鏡が見えてきた。
 だがその電波望遠鏡の近くにはなかなか近寄れない。地図も見ずに適当な道を選んで歩いているせいか、裏からグルリと回り込む格好になってしまった。
 表から入る時は、ちゃんと受付してから入る必要があるようだが、裏口からなので受付などしていない。訪れるのは今回が初めてなので、受付が必要だということも帰るときに知ったのだが。

 間近で見ると、本当に巨大なパラボラアンテナだ。なるほどここは、宇宙に近いんだ・・・と、実感。

 天文台には南牧村村営の公園と公共施設が隣接している。その施設の屋上は展望台になっていた。
 展望台好きの私は、さっそく上って景色を眺めることにしたのだが、空を見た瞬間、景色よりも天候が気になり始めた。
 いつの間にか八ヶ岳には真っ黒な雲が掛かっていて、雲行きが怪しくなっている。雨が降り出す前までには清里まで辿り着きたい・・・。



国鉄最高点の碑  途中、村営団地(かどうかは知らないが、そんな雰囲気の住宅)の前で呼び止められて、赤ん坊を抱いたお母さんの写真を3枚も撮ってあげたり、前回この地を歩いた時にも寄った「国鉄最高点の碑」の前で記念撮影をしたりしながら、あとは黙々と国道を歩き続けた。
 どんどん空は暗くなり、今にも雨が降り出しそうな気配だ。もちろん雨具は持参しているので、雨が降っても大丈夫なのだが今日は気温が高い。いくら通気性のある雨具だと言ってもかなり蒸れることになる。
 歩くスピードが上がるに連れ、段々と歩くことがつまらなく思えてきた。疲れはそれほどでは無いのだが、辺りの景色は陽射しが遮られてどんどん暗くなってくるし、気持ちも焦るので面白くない。

 やがてポツリと雨が落ちだした。清里駅まではあと1Kmほど。こうなると、逆に開き直ってペースダウンしようという気になるのだが、一旦つまらなくなった気分は容易に回復しない。滑りやすくなった舗装路を重い気分で清里駅に向かっている。



国道より降り出す直前の風景  本格的に降り始めた直後、滑り込みで清里駅に到着した。
 清里駅周辺には連休後の平日にも関わらず、思っていた以上に観光客がいた。さすが有名観光地だけはある。
 駅の待合所にザックを降ろし、トイレで汗と雨で濡れたTシャツを着替えることにした。
 顔も洗ってようやくさっぱりしたところで天気予報を聞くと、これからますます雨が強くなるとのことだった。風も伴って、嵐に近い天候になるらしい。

 雨が降り出す前までは漠然と、「今日は清泉寮近くのキャンプ場に泊まろう」と思っていた。ここも前回泊まった思い出のキャンプ場なのだ。だが今日はそこまで歩くのが躊躇われた。
 躊躇い出すと、人は脆い(って、私だけか?)。これから大雨になると解っていて、テントを設営し、その中で過ごすのはかなり億劫な気もしていた。宿にしようか・・・とも思ったが、明日も明後日も雨が続くようなのだ。
 帰ろう・・・。そう思い始めたら早い。たぶん清里に向かって歩いているときから、「帰ろうかなぁ」という気持ちになりつつあったのだと思う。  しばらく悩んではみたが、気持ちはすでに帰るつもりになっているのだから、これは挫折感を誤魔化すための儀式でしかない。

 荷物を待合所に置いたまま、傘を差して駅近くのソフトクリーム屋(お約束だよね、清里では)に向かうときには、すでに「帰る」ことに決めていた。



 小淵沢の駅は、まだ雨は降っていなかった。もちろん、だからと言って引き返そうという気持ちは起きない。
 小海線から中央線のホームに移り、列車を待っていると、中年の男性に「八ヶ岳ですか?」と声を掛けられた。これで今回の旅で四度目だ。
 そこで野辺山の食堂で誓ったとおり、「はい、そうです」と答えて済ませることにした。ところが・・・。

 「そうですか。で、どちらを歩かれたんですか?」ムムッ・・・やばい・・・
 口ごもっていると「南の方を縦走したんですね」と勝手に想像して頂いたので、これ幸いと曖昧に頷いていたのだが、会話はそれで終わらない。
 「私はもう10年ぐらい八ヶ岳に登ってないんですけど、最近の山小屋はどうですか?最近は豪華になってるって聞きますけど?」。
 話好きなおじさんなのだ。普段の私だったら喜んでお相手をする。だが私なんぞは10年どころか、20年も前に縦走したのが最後なのだ、八ヶ岳は。おまけに体力に任せて今では考えられないような重いテントを担いで登ったので、山小屋の記憶なんてない。
 「いやぁ、私はもっぱらテントなんで・・・山小屋はあんまり寄らないので解らないですねぇ」
 かろうじてそう答えると、「そうですか、テントですか。最近のテントはどのくらいの重さなんですか?かなり軽くなったんでしょ?」と、ようやく話題が違う方向に向かってくれた。これならリアルタイムな話題なので簡単に答えられる。
 「へぇ、そんなに軽いんですか。それならテントも苦にならないなぁ」

 そこでようやく列車が到着して、冷や汗ものの会話が終わった。
 う〜ん、やっぱり人に嘘はついてはならないのだなぁ。人は正直に生きなくてはならないものなのだ(笑)。
 「話好きおじさん」と、隣り合わせた席にだけはならないことを願いつつ、そんなことを反省していた。



 甲府では、まだ青空がのぞいていた。
 私が乗っている列車にも出張帰りのビジネスマンが大勢乗り込んできた。「そうか。今日は平日なんだよな」。すっかり忘れていた。
 甲府を過ぎ、満員の特急列車は新宿に向けて走り続けている。


 高校時代。初めてのバックパッキング。今よりももっと重装備で、今よりももっと辛い条件で歩いた小海線の旅。あの頃歩いた三分の一も、今回は辿っていないことになる。
 体力が落ちたのか、若い頃のように無我夢中の旅が出来なくなったのか・・・納得したはずの「挫折感のようなもの」がまた沸き上がる。
 だが、考えてみれば歩き旅は距離ではない。過酷さに堪え忍ぶことでもない。歩き旅の喜びは、形はどうであれ、解放感と新しい出会いと発見。そんなささやかな出来事の積み重ねが、旅を作り上げる。つまりは「ワクワクしているか?」なのだ。そう思って、旅を続けてきた。

 「今回の歩き旅はどうだった? ワクワク出来た?」たぶん今日最後になるはずの缶ビールを飲みながら、自問自答してみる。
 あらら、不思議不思議・・・「挫折感のようなもの」がスゥーッと消えていった。


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1999.6.16 Ver.5.0 Presented by Yamasan (Masayuki Yamada)