そんな気分を感じたいと、ふと思った。
さて、どこへ出かけようか・・・どうせ散歩をするなら、住宅街などを避け、普段とは違う場所へ行こう。
そう思って手元の「神奈川ウォーキングマップル」を開く。神奈川県内の比較的長距離のお散歩コースが紹介されている地図の本だ。
すぐに目的地は決まった。場所は「渋沢丘陵」。私の自宅からだと、お散歩気分で歩くのに時間的にも丁度手頃な場所だ。
渋沢丘陵は神奈川県西部、秦野〜渋沢付近を東西に伸びる丘陵地帯。秦野の市街地を挟んで、向かい側には丹沢山塊が展望できる。運が良ければ相模湾、箱根の山なども見ることが出来るかも知れない。
渋沢丘陵を訪れたのは、もう20年近く前になる。
丘陵の途中には日本で一番新しい自然湖である「震生湖」がある。名前の通り、地震−関東大震災−で、生まれた湖だ。
さっそくデイパックにウォーキングマップル、タオル、デジカメなどを詰め込む。弁当や飲み物は途中のコンビニで調達することにした。時間は午前10時。
最初の数十メートルだけは急な登りだったが、あとは至ってゆるやか。ほとんどアップダウンを感じないまま、のんびりと歩き続ける。
左手には樹林帯。そのため先ほど見えていた町並みが、今は見えない。
だが右手の斜面には畑が広がっていて、まるで冬の「か細い光」をすべて集めてきたかのような日射しが、ポカポカしてなんとも心地良い。
歩き続ける内に、耕耘機が歩道の脇に無造作に停められていた。この道は本来は農道なのだろう。その道を私たちのようなハイカーが利用しているというわけだ。
さっそくデイパックからデジカメを取り出して写真を撮ろうとすると、向かい側から年輩のご夫婦が現れた。私と同じように散歩の途中のようだ。
「こんにちは。あら、何撮ってらっしゃるの?」と、奥さんの方から尋ねられる。
「どうも、こんにちは。いえ、ちょっと耕耘機を撮ろうと思いまして」と言いながらカメラを見せ、「ちょっと珍しいなぁと、思いまして」と答えると、奥さんは笑いながら「そうねぇ。最近この辺じゃ、あまり見かけないわよねぇ」と言う。
子供の頃から嫌と言うほど耕耘機は見ている(私の生まれ育ったところは札幌の郊外、タマネギ畑のまっただ中だったのだ)。だから珍しいと言うほどでも無く、ただ耕耘機が置かれている場所と雰囲気がなんとなく気に入ったに過ぎない。でもわざわざそこまで説明する必要も無いだろう。お互い世間話を楽しんでいるだけなのだから・・・
「こんにちは」
3人とも私に向かって挨拶の言葉を掛けてくれた。躾が良いのか、それとも山での挨拶の習慣(山でのこうした挨拶の慣習については、一言あるのだが、これについては別の機会に・・・)を知っているからなのか、とても元気の良い挨拶だった。思わず答える私の方が口ごもってしまう。
「どうも、こんにちは。写生してるの?」
尋ねるまでも無い。「見てわからないの?」と言われてもしょうがないのだが、やはり育ちが良いのか、ニコニコしながら「はい」と答えてくれる。う〜ん、今日のポカポカ陽気と同じに気持ちが良いじゃないか・・・
浅間台を過ぎ、さらに鉄塔を越え、緩やかに下ると再び車道に出た。車道からは湖面は見えないが、一段下がった窪みのような場所に震生湖がある。
「丁度昼食を取るのにいいかも」
そう思って、階段を降りることにした。
この震生湖を前回訪れたのは高校生の頃。ビバーク用の簡易テント(登山で使うツェルトにグランドシートを付けたようなもの)を持って来た。幕営しても良い場所なのかは知らないが、友人たちと「釣りでもしようか」などと言って訪れたのだ。夏休みには信州方面へバックパッキングの予定だったので、その「予習」みたいなつもりもあった。
結局その時は釣りなどに見向きもせずに、「気になる女の子」の話や「気に入らない先生」の話題などを話している内に、朝を迎えたのだった。
当時の震生湖の湖面は今よりずっと澄んでいたと思うのだが、想い出と言うものは時間が経つに連れ、大体が美化されてしまうものなので自信がない。
いくら目を凝らしても水はかなり濁っていて、泳ぐ魚の姿は全く見ることが出来なかった。
さて昼飯だ。どこで食べようかと思って湖畔を一周することにする。湖と言っても、その大きさはほとんど池と変わらない。ゆっくり歩いても、ものの15分もあれば一周できてしまうのだ。
歩いていうる内に壊れ掛けたベンチを発見したので、そのベンチに腰掛けながらコンビニで買った握り飯を食べることにする。
さてこれからどうしようか・・・目的の特に決まっていない「お散歩」だから、このまま駅に戻っても良いのだが、ちょっとばかり物足りない。まだ2時間ほどしか歩いていないのだ。ウォーキングマップルを広げると、震生湖からミカン畑を抜けて、再び小田急秦野駅方面へ向かうルートが紹介されている。
うん、なかなか良いかも知れないぞ。何より日射しが気持ちよさそうだ・・・。
ミカン畑の所々には、梅の木が白い花を付けていた。
「何だかいいぞ。すごくイイ・・・」
緩やかな道を歩き続けると、東名高速道路が見えた。この後、この高速道路の下をくぐり、車のほとんど走らない車道をのんびり歩き続けた。
いつの間にか出来ていた丘陵の中の立派な団地を抜けながら、辺りの風景の様変わりに時の流れを感じる。
さすがに歩き疲れた。そろそろ秦野駅に向かうことにしよう・・・