或る世界

('99/10/18)

環状に連なる三つの島、それを囲む海、それらから世界は成り立っていた。
島には、ちょうど我々と同じような人類が住んでいた。
違う所といえば、平均寿命が四十くらいであるということ、
 それ故、人口問題・食糧難の心配はないということぐらい。
その世界には(比喩的意味ではなくて)太陽がなかった。
昼は一様に光に包まれ、陰影は無い。夜は星もなく、電気を消した地下室のように暗くなる。
当然ながら天文学は発達せず、彼らは世界の形を正確に把握することができなかった。
ゆえに世界の形の確認は、常に彼らの最大の関心の的であった。

若い力があり(平均寿命が短いので)目の前には興味ある難問がひかえている、
これは科学が発達する恰好の条件である。

望遠鏡が発明された。それは海に向けられた。しかし収穫はなかった。
船が発明された。探検家達はこぞって海の果てを目指した。
帰る者はなかった。帰ってきた者も、何も手がかりを手に入れていなかった。
一人だけ奇跡的に生還した者があった。
その男の話によると、海のずっと沖の方で、明らかに波の音とは違った、
水が流れ落ちるような音が聞こえた、ということであった。

ここで一つの説が生まれた。
つまり、世界はテーブルのような形をしていて、
そのふちからは海の水が滝のように流れ落ちている、というのである。
この説は現実性があり、かなり支持された。
しかし証明されない限り、それは想像の閾を出ない。
ぜひとも証明が必要であった。

かくて科学は進歩を続ける。

気球が発明された。これは彼らにとって、画期的なことであった。
五人の若者が乗組員に選ばれた。彼らは人々の期待を一身に背負って地上を離れた……


離陸して数週間後、彼らは音を聞いた。
それは、ほとんど震動に近い、長く持続する音だった。
霧を通して黒い影が見えた。彼らはそれが何であるかを議論し、時を待った。

突然強風にあおられ、気球はバランスをくずした。
彼らは必死になって態勢をたてなおそうとした。
この時一人の青年が、あっ、と声をあげた。
他の者も彼の視線をたどり、行きついた所を見て叫んだ。

……そこには4本足の丸いテーブルがあり、足は浅瀬にひたっていた。
テーブルの上も同じように水で満たされていて、それがふちから流れ落ちていた。
そしてテーブルの中央には視力検査の記号のような輪があった。
それはまさしく、彼らの住んでいた世界であった。
彼らは克明にこのことを記録した。

記録が一段落ついた頃、ある青年が気球が流されていることに気づいた。
意外と速いスピードで気球は世界から遠ざかっていた。
瞬間、彼らの心は恐怖に満たされた。
何とかして助かりたい。この仕事を徒労に終わらせたくない。
推進装置を作動させた。補助エンジンも作動させた。
彼らは八方手をつくした。
しかしすべては無駄であった。
彼らは霧の中に流されていった。

気球は大きな衝撃を受けて止まった。
壁にぶつかったのだ。このことは彼らにとっても衝撃であった。
彼らは宇宙には果てがないと思っていた。
しかし、現実に壁にぶつかった。
これは彼らにあることを知覚させるきっかけとなった。
つまり、彼らはこの時はじめて、切実に創造主の存在を感じたのだった。
彼らは畏敬の念を込めて祈りはじめた ……


街はずれの研究所、老学者と若い学者は『世界』を観察していた。
が、やがて、二人は『世界』から目を離すと例によって議論をはじめた。

この世界を創って十年くらいになりますね。
彼らの科学は実にすばらしい速さで進歩した。そしてついに宇宙の果てに到着した。
先生、彼らをどうします?

え?

気球の青年たちですよ。

私はあのままにしておくのがいいと思う。プロメテウスになりたいとは思わない。

どうしてですか?
今回の探検の失敗によって彼らの世界に暗黒時代が訪れるかも知れないのですよ。

しかし、それでこそ科学が進歩するのではないだろうか。
我々は彼らにとって、あってはならない存在だ。むろん彼らが信じるのはかまわないが。
その我々が彼らの前に姿を現わすべきではない。
彼らの前に姿をあらわせば、かえって彼らの世界に宗教中心の暗黒時代がおとずれることになるだろう。

何となく冷酷なような気もしますが、案外そのへんが妥当な線かもしれませんね。

呼びりんが鳴った。

あっ先生、客が来たようだから私が出ましょう。

若い学者は玄関の方に歩いていった。そこで何か受け答えして、すぐもどってきた。

先生、またどこかの宗教団体の代表が来ました。どうしますか?

私は別にかまわんよ。君さえよければ、通しなさい。

わかりました。
しかし先生、彼らもごくろうなことですね。

彼らとは?

宗教団体のことですよ。

どうしてごくろうなのかね?

どうしてって、熱心に信仰したって、必ずしも救ってくれる訳ではないでしょう。

そんなことはない。心の底から祈れば必ず…………

そう云いかけて、老学者はふと気がつき微笑んだ。
若い学者は客をまねき入れるため、玄関の方に歩いていった。


  『枕草子*砂の本』  

E-mail : kc2h-msm@asahi-net.or.jp 三島 久典