お言葉集3

 過去のお言葉集

 


「出来る事でも、出来ぬと思えば出来ぬ」

最初から諦めていては何も出来ない。そういう人にかぎって不平や不満ばかり愚痴っているのだ。
もっと前向きに行こうぜ。


「最初はグー」

じゃんけんをするときの掛け声。おそらく全国共通だと思われる。
本当はもっと長い。「最初はグー」から「正義は勝つ」まで言える人はそんなに少なくないだろう。
ドリフターズってやっぱりすごいのかも。


「下手といわれるは、最早上手の道」

見るに絶えないものに批評はされない。評価は下されない。
レベルが向上する見こみがあるから、共にいたいから、あれこれと文句を言ったり注意をしたりするのだ。
悪い評価でも真摯に受けとめて自分を磨くことだ。


「子供をよくする最善の方法は、子供を幸せにしてやることだ」

子供たちに対し枯れることなく滾々と湧き続ける愛情を注ぎ、疎外感を感じさせない事。
時として親自身がやりたいことを正統化して押し付ける事がある。そういうのって大抵うまくいかない。


「読書をして考えないのは、食事をして消化しないのと同じである」

いくらたくさんの活字を目にしたところで、それに対するこちら側の姿勢が伴わなければ内容を吸収する事はできないでしょう。本はじっくり読んでこそ得られるものも大きいのか、良い事も悪い事も含めて。


「疑心暗鬼を生ず」

先入観や思いこみによって発想がネガティブになる事がある。それがエスカレートすると被害妄想になる。


「お若く見えますね、と言われたら歳を取ったな、といわれていると思え」

若い人は若くて当たり前なんだから、若く見えると言うのは歳の割には若いってことなんですよね。
若く見えるっていう言葉は誉め言葉にはなりませんね。喜んでる場合じゃないですよぉぉ
自分も喜ばないように、喜ばせないように、って、もう嬉しくないか。


「われ人に勝つ道を知らず、われに勝つ道を知る」

つい他人と比較し競争しがちな私達ではあるが、成功するためには相手に勝つよりも自分自身に勝たなくてはならない。他人に勝つことはあくまでも結果だから。


「起承転々」

結の来ない生き方。生きていく上で目指すものは終りじゃない。精一杯に生き抜いていこう。


「敵徒ナレバトテ非礼ノ悪口雑言スベカラズ」

敵のことは悪く言い味方のことは善く言うということはべつにおかしいことではない。野次るという言葉もある。
だが敵だからといって相手に対して失礼な言動は慎むべきなのだ。


「目処」

目処が立たない、行く先が見えないのは不安になる。しかしそんなときに出逢う一条の光は望外の喜びにつながる。もしも目処が立っていたら来るべきものがきたと思うだけだし、来なければがっかりする。
案外目処は立たない方がいいのかもしれない。


「本を忘るるものはすべて空なり」

本業を忘れて趣味や遊びにふけっていては何もかも失うことになる、ということ。
本業すら達成できないような人は趣味芸道に充実した生き方ができないことが多いのだろう。
あーーーーー、勉強しなくては!!!


「時間は限りなくある」

過ぎた時間は戻ってこない。でもこれから先にある時間は無限だと思う。
私たちに残された時間というものは本来的には存在しない。勝手にそう決めつけているだけなのだ。


「粋」

洗練された色気があること。人情に通じていること。ちょこっとの我慢とかっこつけが人を粋に見せる。
それが良いか悪いかはその人次第かな。


「目を皿にする」

目を大きく見開いてものをみること。お皿は円いものだから。しかしお皿は薄っぺらいものだということで逆に目を細めるんだという解釈もできないか。どっちにしろ対象物をよく見ようという姿勢には変わらないんだけどね。


「一蓮托生」

もともとは仏教用語で「極楽浄土で同じ蓮の上に生まれようね」という願いのことらしい。
一般的には行動や運命を共にすることなんだけど、だからって赤信号をみんなで渡ってはだめですぅ。


「ほととぎす(鳥)」

「不如帰」「杜鵑」「時鳥」「子規」「蜀魂」なんでこんなに当て字があるんでしょう。どれだけ知ってます?
「テッペンカケタカ」と鳴くらしいが聴いたことないんでちょっとわかりません(爆死)


「笑顔は心の花」

笑顔って時々何者にも負けない力となる・・・そう思うときってありません?
相手の心を和ませられるような自然な微笑みができるように、そんな人間になりたい。


「トトカルチョ」

知らなかった・・・これってイタリア語だったのね。で、サッカーくじは結局どうなっちゃったんだっけ?


「勿怪の幸い」

読み=もっけのさいわい。意外なことや思いがけず手にした幸運のこと。
メジャーな言葉で言うと棚から牡丹餅ってとこですか。


「汝自身を知れ」

名誉・肩書き・地位・財産・・・そういったものに惑わされることなく、自分自身を大事にすべきなんだよね。


「二十歳過ぎればただの人」

だれだろう、こんなこと言った人・・・。人間ここから先が勝負です。
だって二十歳なんていう年齢はまだ世間の荒波にもまれてない人が多いんですから。


「何かを理解しようと思ったら、遠くを探すな」

自分にとって大事なものとかって遠くにあるもの、手の届きにくいもののように思う。
遠いようで近くにあるものが真理であり悟りなのかな。


「小さな親切、大きなお世話」

自分に出来る範囲で事をなすことは大切だけど、それが他人と関わることなら最大限の親切をしなければ。
親切の出し惜しみが余計なお世話になるのだ。


「人の瞞を受くるなかれ」

他人に騙されてはいけないということ。主体性がないから人の言葉に左右されてしまうのだ。だからと言って頑を張るのもヤッパリ良くないし、謀られることのないような知識と意思が必要だってことなのかな。


「南京豆」

落花生・ピーナッツの別名だと言うことですが・・・。今でもこう言ってる人っているのかな。
最初聞いたとき金時豆と間違えた私(爆死)


「がんばる」

これって、我を張るってことじゃないですか?努力するって言う意味でもありますが。
頑張ると努力は一般的に好まれる言葉ですが、頻繁に使われるとなんか顰蹙ものです。


「今日の仕事は明日に伸ばすな」

今日できることは今日のうちにやった方が後々楽でいいってことかな。
しかし明日できることは明日にしたい、と思うのがここにもひとり・・・(汗)


「儲ける考えより使わぬ考え」

限られたものの中で生活する知恵を身につけたいですね。欲はキリが無いものだから。
適当なところで満足しておきましょう・・・。


「愛とは他人の存在を肯定する意思のこと」

私達は愛を獲得したいと思っている。でもそれは受動の姿勢。そうでなくて能動的であるべきなんじゃないだろうか。受け入れて、そして別の誰かに与えるもの。それが愛という意思。
私なんかが愛を語るのもなんだかおこがましいのかもしれませんが・・・。