お言葉集2

 

 過去のお言葉集


「ありがとうさようなら」

小学校の頃、そんなタイトルの歌がありましたね。
沢山の出会いと別れがあって、それは人と人だけじゃなくてモノでもそうなんだけど、ふとしたきっかけで出会い、互いに影響し合う。いつかは別れる時がくる。さようならを言う事は意外と容易い。今までに会う事のできた全てにありがとうと言えるだろうか。いや、言いたいと思う。


「他人は自分を映す鏡である」

人とであったとき、言葉を交わしているとき、知らず知らずのうちに他人の中に自分を投影していないだろうか。自分に後ろめたいことがあれば、相手はそれを知らないはずなのに自分に対し良くない感情を抱いているかのようにみえる。鏡が歪んでいるのは、自分自身が歪んでいるからではないだろうか。常に心の鏡を磨いていかなくては。


「逢茶喫茶、逢飯喫飯」

お茶が出されたらお茶をおいしくいただき、食事が出されたら食事をおいしくいただく。至極当たり前のことだ。だからテレビを観ながらだとか、本を読みながらだとか、そういったことは本当はよくない。煙草もよくない。味覚や喉がおかしくなって其のものの味がわからなくなるからだ。


「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」

何か1つの人やものを嫌だなあとか、憎いとか思ったりすると、その周りにあるものまで同じ感情をもってしまいがちになる。人の身なりを見て中身を判断してはいけないということにもつながる。


「自己より大なる敵はなし」

自分に自信がないとき、弱気になったとき、もうだめだと思ったとき、そんな自分のうちにある負の感情にとりこまれてしまう。誰にでも自分の内に目を背けたくなるような部分は少なからずあるだろう。でもそれをしっかりと見据えて、のりこえなくてはならない。自分を高めようと思ったら自分に勝たなくてはならない。


「明日は明るい日って書くんだよ」

今から10年前、高校の先輩はそう言いました。あっこれは10年前高校生だった先輩が言ったということで、10年前の私は小学生でした(苦笑)
いろいろあるけど明日は明日。思い煩う必要なんてないだろう。明るい日がやってくるのだから。


「人間は恩をうけたことよりも、ひどい目にあわされたことを長い間覚えているものである」

人は恩義よりも被害を大きく捉えがちになる。良いことは当然のことだと感じ、悪いことは理不尽に思う。どうして?このことを逆にとらえることができるのならどんなにいいことだろうか。


「京へ筑紫に坂東さ」

目的地や方角を示す助詞が土地によって違うこと。方言の意識は昔からあったらしい(室町時代のことわざ)。方言は今でもあちこちで残っていますが・・・名古屋の人はみゃあみゃあいっとれせんよ!(笑)


「正直者は、たとえ人を怒らせることになろうと真実を語る。無分別者は人を怒らせるために真実を語る」

真実を語ろうとする人は多い。だけど自分に正直であるために真実を隠さず語ることのできる人はほとんどいないのではないだろうか。私も後者に属するのだろう・・・きっと。


「感覚は欺かない。判断が欺くのだ。」

感じたり、意識したりすること自体には善悪はつけられない。それらをまとめ、ひとつに定めようとする私達の判断が欺くかどうかを決める。


「以心伝心」

日本ではこの言葉を美徳とするような考えがあるけど、大抵の場合、自分の願望を伝えたいと願う。そういうのが誤解を生むのだろうか。打算的な感情を取り去ったとき、心は互いにシンクロするのでは?


「中途半端に語るな」

中途半端に語ることが一番誤解を招きやすい。適当に言葉を発して、あとはその場の流れや感情にまかせるというのは混乱を生じる。「あなたはずるい」と言うのと「あなたは先程の発言を取り消したからずるい」と限定条件をつけるのはかなり違って聞こえませんか。歯に衣着せないことは悪くないことでしょう。


「みんな違うからいいんだよ」

よく「個性の時代」というけれど、本当にそう思っているのだろうか。傑出した特性はめだつから叩かれ易い。ここではまだ出る杭は打たれる運命にあるのか。同じものなんて一つもないはずなのに。


「生きることは挑戦することである」

物事にぶち当たったときでも、なにか行動を起こしてみなければ判らないことは多い。それが辛く困難なことだとしても果敢に挑む姿勢は大切なんじゃないだろうか。


「私の発表した一切のものは、大きな告白の断片に過ぎない」

何かを伝えようとしても、上手く形にすることは難しい。言葉でも絵画でも音楽でもそれは変わらないでしょう。伝えたくても伝えられないもの、伝えられなかったもの、私の中にもたくさんあります。人はその一生のうちにどれだけの思いを伝えられるのでしょうか。


「とらばーゆ」

日本では某就職雑誌の名称。もともとは仏語で労働・仕事を意味する。ラテン語にまでさかのぼると「3本の棒で拷問する」という意味だとか・・・。仕事と苦痛はきっても切れない間柄?


「ちゅうちゅうたこかいな」

って、ものを2つずつ10まで数えたことありません?特に私よりも年上の人・・・。「ちゅう」というのは双六用語で4を表す「ぢゅうに」が清音化しかつ転じたものでちゅう(4)が2つで8。蛸の足は8本であるという連想から出来た言葉だそうな。・・・で、なんでこれがものを数えるときの掛け言葉???


「正直は一生の宝」

昨日の言葉をみてもどちらが正しいかなんて言えない。あえていうならばどちらも真実である。物事はいろいろな角度から見た方がいい。一面だけをとらえて非難や批判などするのはおかしい。


「正直者は馬鹿をみる」

だからといってずるがしこく生きろというのはまた間違いでしょう。要領良く生きることは必ずしもいいことなのか?でも世知辛い現実において否定できない言葉であることがなんか悲しい。


「勉強」

学問に励むこともそうだけど、ここではもう一つ、商人が値引きしてくれるときに使われる言い方もある。勉強は強いて勉めると書く。できるだけの努力をするということである。「姉ちゃん、じゃあ、これ勉強してあげるわ」などというのだけど、私が実際に聞いたのは1度しかない。


「思考は理性の労働であり、空想はその諭しみである」

自分自身を高めるために人は考えるという作業をする。思考することを惜しんではいけない。


「手垢のついた言いまわし」

使われすぎて新鮮さが無くなった言葉、なんだけどよく言われる言葉って言うのはそれだけ技巧的だとか分かりやすいとか面白いとかそれなりに理由があるわけで、皆が使うような言葉ともいえる。となると、手垢のついた言いまわしって言葉自体がもう手垢のついた言いまわし・・・うーみゅ、こんがらがってきた。


「ロハ」

無料、つまりタダのこと。漢字にすると「只」となり、上と下を分解して出来た言葉だとか。なかなか上手い言葉遊びではあるが、この言葉、今でも使われてるのかな・・・。


「断じて行えば鬼神もこれを避く」

思いきって事を行えば何者にも邪魔されず成し遂げることができる。何かをしようとしたときはそれ相応の気概が必要なのかな.。鬼神にも負けないような強い覚悟が。                      


「誤りを認めるのは、真理を見出すより遥かに容易である」

誤りは表面化しているから指摘されやすいし、認めやすい。真理は多くの虚構に惑わされて獲得しづらい。真実を見通すことのできる力、それを探り出す力が欲しい。


「今のあなたのままで、できる限り愛しなさい」

今の自分はあまり好きじゃないけど、好きでない自分も含めてまるごと愛することが出来たらどんなにいいだろう。今の私に可能な限りのすべてを愛する。愛することなんか出来ないと思う自分も愛する。
愛は無限に広がるのだろうか。そしてその行く先は・・・。


「オンリーワン」

ナンバーワンではない。個人の可能性を最大限に引き出し、自分らしく、自分ならではのものを創造せよ。


「男女7歳にして席を同じくせず」

男女の区別をしっかりしろということだけど、7歳になったら一人前とみなして個人の席を与えるという意味だとか。人によって解釈が違うみたいだけどね。7歳ならそれなりに1人でできるだろうし。
現代であれば7歳だと小学1年生か・・・。


「古のお嬢」

いにしえのおじょう、要するに昔お嬢さんだった女性=おばあさんのこと。確かに誰だって若い頃はあるさ、でもねえ、すっげー嫌味だよな。こんな言葉本当に使われてるのか?私だったら使わない。相手に失礼だね。


「平凡な人生こそ真の人生だ」

褻の中に晴れがある。平凡の中に非凡がある。何気ない日常の中にもたくさんのドラマがある。それに気づいていないだけかもしれないな。