'99.11.diary(後半)

 

11月30日

所用で授業が終わったあとも大学に残っていた。19時を過ぎて、そろそろ帰ろうかとバス停に向かった。そしたらバスは私の目の前で過ぎ去っていった。
さてどうしたものか。次のバスはなんと1時間以上来ないのだ。しかも次で終バス。大学に居残ろうにもすることないし、ほとんどの建物は閉められてるし、暗いし、人気もないし、ないないづくし。30分歩いて国道に出れば別路線のバスがあるのでそこまで行くことにした。その方が待っているよりもなんぼかマシだと思った。
しかし大学周辺は暗い。この時間であればもう真っ暗。だって街灯すらないんだよ。まさに一寸先は闇。だいぶ身体が冷えていたので自販機で缶コーヒーを買った。これで少しは暖が取れるだろう。いざとなったら武器にもなるだろうし(苦笑)。なんか変な人が出るらしいので・・・。
途中で砂利に足を取られて転んでしまった。しかもその時に足を挫いたらしい。少し痛む程度だったのでなんとか歩く事は出来た。
なれていないせいか、随分と歩くのが怖かった。独りでいたというのもあるけど。こんな道を付近に住んでいる子達はいつも通っているんだよなあ。

11月29日

なんか、なんてことのない一日だった。いや、全く何もなかったわけじゃないんだけど、こう、取りたてて日記に書くような事がなかったと言うか・・・。
早朝から寒い思いをして大学に行ったら1コマ目が先生の体調不良でいきなり休講だったとか、パソコンルームで私のメールのフォルダがおかしなことになっていてバックアップをとった後削除して再インストールしたとか(でも結局治っていない)、エスキモーの無音映画を延々と観ていたとか、劇作家で役者でコラムニストである某氏の本を読み終わって、本文よりも下の注釈の方が面白かったなあとか、・・・なんだかんだ言って今日の出来事がピックアップされているぞ・・・。
こんななんでもないようなことが実は一番良かったりするのかもしれない。突然地震に襲われて家屋の下敷きになってしまうかもしれないし、堤防が決壊して自宅の1階で溺死するかもしれない。独りで道を歩いていておかしな人に襲われるかもしれない。
今日も一日無事に過ごせたことを感謝しよう。

11月28日

連日あちこちのマスメディアを賑わせている音羽の事件。私にはお受験の経験もなければ周囲でそういう環境にいた人もいない。そのことについて中学から私立に通っている友人と話をしたのだが、その人の中学受験はやはり周囲の勧めがあったらしい。でもそれは「こういう中学校があるよ」といった程度で、行きなさいと言われた訳ではなく、受験をしたのはあくまで本人の意思であった。まあ小学生(3、4年)くらいになれば中学の選択くらいできるのかな。
そもそも私達の世代と現在の子供たちでは学校や幼稚園の環境も変わっているだろうし、愛知と東京では受験戦争のレベルが桁違いである。だからぬるい環境で育った私達がこの話を論じている事自体間違っていたのかもしれない。実際事件について大した話はできなかった。
でもやはり、大人の個人的な感情が罪もない子供の命を奪ったのは悲しいなあ。被害者になるのは常に弱者であるという事なのか?

11月27日

ちらっとでもやりたくないなと思ったことは大抵の場合できない。
今日の午前中は大学で就職関係の話があったのだが、今まで何度かやってきて大して実のない話しかされてきてなかったので行かなかった。休日だからバスがないし、バスカードも勿体無いなと思っていたので出席する事にあまり気乗りがしなかったからだ。一応6時半に目覚ましはかけたのだが起きたのは10時頃だった。
真面目な友人はさぞかし怒ることだろう。来なくちゃ駄目じゃん、と来週あたり私に向かって言うことだろう。私は別に就職活動をなめているわけではない。ガイダンスに臨むことでいろいろと情報が得られるのは確かだが、だからといって就職が保証されてるわけではないのだから出席して安心しているのもどうかと思うが。
一日中家に居たので部屋の掃除をして、本を読んだり音楽を聴いたりしていた。いい加減本の収納場所がないので対策をたてようとは思うのだけどなかなかできないでいる。友人に貸したままの本もあるのでむやみにつめこむわけにもいかないしなあ。模様替えをするべきだろうか。

11月26日

ある教授から1冊の本を薦められた。教授はその本を絶賛し、特に女性にはメンタルな部分でいろいろと役に立つはずだと太鼓判を押した。
帰りがけに岐阜の書店でその本を見つけた。新刊コーナーで平積みになっていた。いっちょ見てみるかと軽い気持ちで手に取り、ページをめくった。1章を読み終えて、きづくと私は本を手にしたままレジに向かっていた。
優しく上品な言葉遣いで愛とは何か、愛の必要性を綴っている。
愛についてふと考えるときがある。しかしいつでも漠然としたものでしかなかった。昔の私にとって愛は無条件でやり取りができるもの、際限のないもの、稀に憎しみに変わるもの、ないと不安になるもの、形として表現し難いものだった。この本を読んで、あらためて愛という言葉の定義を、意味を、じっくりと考えてみたい。

11月25日

朝、起きたら外に霧がかかっていた。身支度をして家を出たときもすぐ先の見えない状態だった。駅につくと・・・なんと、電車が濃霧で遅れているというのだ。何かあるとすぐ遅れるのはいつもJRだ。何もなくても遅れるけどね、JRは。近鉄や名鉄はそのような事はほとんどない。(それが普通でもある)
今日は1限に演習の発表があるから遅刻するわけにはいかない。でも電車が来ない事にはどうしようもない。仕方がないので友達に遅刻する事を伝えておいた。
遅れること約30分。なんと授業は始まっていなかった。私を待っていてくれたらしいのだ。そりゃそうだ、私が発表をしなければ授業が成り立たないのだから。といっても大した発表ではない。言語学に関する問題を解いてそれを説明するだけだったから・・・。
JRのばかやろー。

11月24日

ある講義で国文科の学生が本の朗読をすることになった。担当の教授はチベット人なので自分が読むよりも学生に読ませた方が発音などの関係もあって聴き取りやすいと思ったのだろう。そしたらその学生は途中でなんどもつっかえ、教授に漢字の読みを尋ねているのである。熟語の読みを間違えたり、早口で呂律が回らなかったり、聴いている方もいらいらしていた。それは私だけではなかったようだ。
大勢(といっても100名前後)の前で緊張していたからだろうか。でも本に書いてある文章を読むだけなのにどうしてできないの?そんなに難しい文章ではなかった。読み上げた文章を書き取りなさいと言われても漢字を間違えることなく書けそうな、その程度のものであったはずだ。
大学生の国語力が低下している。大学生といってもピンからキリまでいるがあながち間違ってはいないだろう。現に私も大学生である。専攻の都合上言葉に触れる機会が多いからかもしれないが国語に関する知識や表現力のなさを痛感する。
大学生だけではない。世の多くの人が漢字の読み書きができなくなりつつある。新聞などでは難しい漢字を使わないようになってきた。
しかしそれではいけないと思っている人も少なくない。最近の漢字検定ブームはその典型でしょう。

11月23日

私は化粧をしているということを再三述べている。近所のコンビニへ買出しに行くときでさえ化粧をせずにはいられない。要するに他人と会うときは化粧をしているということになるのね。
最近は体調を崩したり不養生だったりで肌荒れがひどい。おかしな事が重なってストレスがたまっているというのもあるかもしれない。そんな汚い肌を他人に見せたくない、恥ずかしい、隠したい。自分をきれいに見せたい。だとすると化粧は自分を飾りたて作るもの?
知り合いに言われたことがある。化粧は自分を隠す、自分を飾るものだと。そしてそうすることをよくないような考えを持っているらしかった。
誰にだって自分をきれいに見せたい、きれいに見られたいと思う気持ちは少なからずあると思う。だから自分に似合う服、色、髪型などを探す。ダイエットをする。
化粧は身だしなみの一部だという考え方もある。私の場合はあまりにも見苦しい外見だと申し訳ないような気がするのでせめて化粧でもして人に見られるような顔にした方がいいのかなとも思ったりする。なんで私はこんなに人の目を気にしているのだろう?私以外の女性だってそうだ。なんか「女はかくあるべき」みたいなのが男性よりも明確だからじゃないだろうか。きれいであるとか、美人であるとか、おしとやかであるとか。(なんか私にはどれもあてはまらないですね、ここに挙げた分では・・・。)
考えてみれば男性は常に素顔で勝負しているのだ。もっと自分に自信を持つことができれば女性の厚化粧は減るような気がしてならない。でも居直って身だしなみに無頓着になるのはごめんです。

11月22日

ウェブ上に日記を掲載することについて最近疑問に思う。私はその日思ったことや考えたことを書いているだけなんだけど。いいことがあれば「あー今日はいい一日だったな」って言うだろうし、嫌なことがあっても書くときは書く。大抵は夜パソコンに向かって今日一日どんなことがあったのか反芻してみて、一番印象に残ったこと、強く感動したことを書いているかな。
でもそれが私以外の人が関わることだったりするとその本人から苦情がきたりするので日記の話題から避けがちになる。そうなると率直に思ったことを書けなくなるのではないか?相手を意識して書くと、自分を曲げることにつながらないか?ここに掲載する以上不特定多数の人間に見られているのは百も承知の上である。ネット上では匿名性があるからいくらでも偽りの文章を書くことが出きる。真実を書いたからと言ってすべてが真実と取られるとは限らない。臆面もなくものを言っているけど多分このスタンスは変わらずにいくでしょう。
・・・なんか訳わかんない文章になっちゃった。

11月21日

前回できなかったレジメを完成させるために県図書館に行った。流石に日曜日なので人でいっぱいだった。近所の図書館であれば子供が走り回って騒いでいるのだが、児童書のフロアは別に設けられているので人文科学関連のコーナーは静かなものであった。しかし席がない。ソファの空きもない。書架に探している本がないのでカウンターに問い合わせたら書庫にあるとのこと。20分くらい待たされ、ようやく手にすることが出来た。ただし館内閲覧だったのでこの場で調べあげなければならない。なんとか空いている場所を見つけてレジメを書き上げた。といっても下書きなんだけどね。PCで編集するから。
うちの大学は小さいので図書館の蔵書も充実していない。置いてない本であればどこからか取り寄せすれば済むことなのであえて蔵書を増やすこともしていないのだろうか。そういえば他の大学の友人も大学図書館の蔵書数が少ないとぼやいていたな。国立でも田舎だとだめなのか?(爆死)

11月20日

久しぶりに高校へ遊びに行った。同期で生徒会を務め、3年のとき同じクラスだった友人と1学年上の先輩と3人で。以前日記にも書いたが、生徒会がホームページを作ってその中で高校の様子が変わったようなことを書いていたし、友人などはここ数年足を運んでいないと言うので集まりがてら見に行ってやろうという事であった。そのことは前もって先輩が生徒会宛にメールを出しておいてくれたので連絡はついていた。
1時半過ぎに生徒会室へ行くと、2年生の会長と1年生の副会長の2人が迎えてくれた。室内は私が使っていた4年前とは随分様変わりしている。机も床も修復され、必要の無いものはかなり処分したらしくとても広く感じられた。私達が散らかしていただけというのもあるが。
新しく導入したパソコンのこと、現在の生徒会の体制のこと、私達の時代の生徒会のこと、高校の授業カリキュラムのこと、高校教員のこと、色々話をした。特に大学のこと、とりわけ機械工学を専攻している先輩の話は理系志望の後輩2人にかなり興味をひいたようだった。
2時間近くしゃべっていただろうか、しかしおかしく感じられたことはない。生徒会という組織でつながった縦の関係がそうさせてくれたのか、4つや5つの年齢差に関係なく初対面でも気兼ねすることなく話ができた。
私達が執行部として活動していた頃は低迷期であった。何をしようとしても教員達に刎ねつけられ、それをなんとか交渉しているうちにどんどん時間が過ぎていった。そして少しずつではあるが生徒側の主張も受け入れられていったようである。今日、彼らは私達がかなえられなかったことを成し遂げていた。高校生だってまだまだ捨てたものじゃないと安心した日であった。

11月19日

高校の友人が飲みに行こうと誘ってくれた。4人で行ったのだが私以外の3人は同人系で絵を描いているような人達だったので時々話があわず、黙ってしまうことがあった。
結構いい店に行ったので料理も美味しく、盛り付けも上品で、お酒も美味しかった。その分値段も張っていたのだが。
私はどうも昨日のことをまだ引きずっていたらしい。そんなに気にするほどのことでもないと自分で思っていても考えてしまう。彼女のことでなく団体の存在のことなんだけどね。
今日は体調が万全でなかったこともあってあまり飲まないようにした。
よく「酒を飲んで気分を紛らわせる」というが、私には通用しない。酒を飲んでもその時の出来事はちゃんと覚えている。自分がどれだけの量を飲んだのか、どんな状態になっているのか、何を考えているのか、酔った勢いで何かをするということはあまりない(全くとは言わない)。
でも少量の酒で酔ってしまった。帰る途中で吐くかと思った。幸い無事に帰ることが出来たけど・・・。

11月18日

皆さん、日記が遅れてごめんなさい。この日はどうしてもPCに向かって日記を書く気にはなれなかったんです。あまりにも情けない出来事が起こったので・・・。

頭の悪い大学生がメールをよこしてきた。2年近く付き合いのある女であったがその内容は仮名ばかりで幼稚な文章であった。しかもメールは匿名で署名がなかった。そんなものはメールアドレスと文体でバレバレである(というよりも署名の存在を知らないだけだろう)。彼女に言わせれば私のことを友達と思ったことなんて一度も無いから仕事が終わったらもう寄ってくんなということらしい。同じ団体に所属し同じ仕事をこなしていく仲間である。一人では出来ないから10人の学生が集まっている。彼女は責任者であり団体を統括する立場にある。しかし彼女は個人でちゃっちゃか作業を進め、失敗しては私達に尻拭いをさせてきた。今までなぜこんなことになるんだろうといろいろ考えてきた。それが今回の件ではっきりした。
一つの目標に向かって協力するのだからお互いに良い人間関係を築くのは当然のことではないか。相手のことがそれなりにわかっていて、連絡を取り合い、全員が作業の進行状態を知ることは当たり前のはずではないか。だから私はそのように努めてきた。特に後輩には声をかけていくようにした。それをする必要がないと彼女は思っているらしい。実際、10人の学生全員の顔と名前を彼女は一致させることが出来ない。
彼女にとって友達とは特別な存在であるらしい。だから特別な存在になる必要がない私が友達のように振舞うのは駄目なんだそうだ。彼女は私のことをなれなれしいとか自惚れているとも言った。友達でないのならそれはそれで一向に構わない。しかし仲が悪いことで作業に支障が出るのだから話は別だ。
最初に彼女のことを頭が悪いと言ったが、それは彼女が「アナタのことをおトモダチって思ったコトなんていっっっちっどっもっ、ないっ!!!」とわざわざメールに書いてよこしたことだ。小学生が嫌いな子に書いて下駄箱にそっと忍ばせるようなメール。普通こういうことは思っていても言わないものじゃないの?いや、大学生にもなってこういう考えを持っていること自体おかしいのか。こんな幼稚な考えを持った女が同じ大学に居て勉強していることがなんだかとっても情けない。こんな女は友達でもなんでもない。

11月17日

大学で演習のレジメを書いていたらちょっとした難題にぶちあたった。フィンランド語を調べなくてはならなくなった。しかし大学には調べられるような文献がないので仕方なく他の図書館に行こうと思った。
このとき時間は17時を回っていた。県図書館あたりまでいかないと開いていない。愛知県図書館はそれでも間に合わないかもしれないから岐阜県図書館にいくことにした。少し時間があったのでネット検索で目的の本があるかどうか調べ、場所も確認して出かけた。
岐阜県図書館には行ったことがない。それどころか岐阜市内で岐阜駅よりも南に行ったことはほとんどない。岐阜駅でバスの乗換えをするのだけど見事に間違えて別の場所に行ってしまった。間違えたと分かったとき、そこから歩いていこうかとも思ったが(なんか広い道に沿ってまっすぐ行くだけだったらしい)、すでに19時を過ぎていたのであきらめて帰ることにした。
私は方角音痴ではないと思っている。でもなんだか今日はしてやられた〜と思った。行った事の無い場所なんだからもっとよく交通手段を調べていくべきだったのだ。それをバス乗り場がわかるからとか、方角が分かっているからとかで行き当たりばったりで行ったからこんな目に遭ったのだ。実際バスはどこから乗ればわからなかったし。どこから乗れるのかは未だに疑問である・・・。それらしいバスも見てないぞ。
それよりもなんで毎日岐阜に来ているのにこんなに岐阜について知らないのだろうか。博物館や美術館、県庁、どこにあるか知らない。金華山の前はバスの通り道なので場所はわかるが行ったことはない。最近は柳ヶ瀬もうろつかなくなったし、買い物などの所用はほとんど名古屋で済ませている。折角岐阜までいくのだからもっといろんな場所を知っておいても損はないはずなのに。
結局レジメはできていない・・・。

11月16日 

大学のパソコンルームでパソコンを立ち上げたところ、スキャンディスクが起動した。またか。よくあるんだよね、フリーズしたからってどうしたらいいのかわからずにいきなり電源切るの。情報処理の授業じゃ再起動の仕方を教えてないんだきっと。確かに私が受けた情報処理はなにやってるんだかさっぱり分からなかった。パソコンの扱い方をまともに教えてくれたのはゼミ教官だし。自宅で使っていて覚えたっていうのもあるけどね。
友人がメールチェックをしようとしたらメールソフトが立ち上がらない。調べてみるとメールソフトがアンインストールされていた。またかよ。以前にも日記で書いたけどかなり困ってるんだよワタシタチ。
逆にパソコンを使いこなしているのは留学生達だ。でも彼女達、大学のパソコンを私物化しているみたい・・・。そうでなきゃICQ入れるか普通?他にもIEが入ってたりとか。さしあたって大音量で音楽聴くのだけはやめて欲しい。
他の大学ではどうなってるんだろう。ちゃんとみんな使えるようになってるのかなあ・・・。