●年賀切手になった郷土玩具●

Stamps for New Year's Greeting Cards
(Japanese Falk Toys)

年賀切手から6種を選び、その図案となった郷土玩具について玩具の名称・由来・切手図案、入手方法などを記しました。なお、入手方法は1990〜96年頃の資料ですので、制作中止となっていたり、価格が変わった玩具があるかも知れません。

1月1日
千家尊福作詞・上真行作曲


【戻る】

.
●昭和32年(1957)用:鯨のだんじり

●長崎の郷土玩具:鯨の潮吹き(くじらのしおふき)。長崎市の諏訪神社祭礼(長崎くんち)の山車(だし)を玩具化したもの。「クジラの潮吹き」の山車は、万屋町(魚問屋街)から7年に一度奉納され、祭りに姿をみせる(最近は1992年)。社前で、鯨の背中から潮を吹かせる。

●切手図案:「クジラの潮吹き」の山車を玩具にしたもの。黒い張子の鯨が、波を描いた木製の4輪箱車に載っている。潮は、竹を細く割ったものを差して表現している(クジラのヒゲを使ったのもある?)。左右のヒレは糸で吊られており、台車を動かすと、ひれが揺れ動く。

●玩具の入手方法:廃絶のため入手困難

●昭和33年(1958)用:犬張子(いぬはりこ)

●東京の玩具。室町時代の京都の上流階級では、「犬筥」(いぬばこ)を産室に飾る風習があった。犬筥は、顔は幼児・体は犬に似せた箱で、犬の安産にあやかったもの。子供が生まれると、産着(うぶぎ)をまず犬筥に着せた後で子供に着せ、魔除けとした。江戸時代に庶民に広まり、嫁入り道具ともなった。江戸中期には、「犬張子」が出現した。初期の張り子は、割と写実的だったが、明治になってドラエモン型になっていく。宮参りのとき、犬張子に「でんでん太鼓」を結び付けて、母親の実家から贈る風習が戦前まであった。小形の犬張子のにザルをかぶせた「ざるかぶり犬」もあり、幼児のカゼや百日咳の際、天井に吊るすと治るともいう。

●切手図案:浅草いせ辰の「犬張子」には2種類あり、切手図案は両者を折衷したらしい。(一方から丸顔、他方から胴体の模様)。サイズは各種あり、8cm〜1mまで。

●入手方法:台東区谷中2-18-9「いせ辰」03-3823-1453。約8000円。

●昭和34年(1959)用:鯛戎(たいえびす)

●高松張子の嫁入り人形は、香川県高松市の郷土玩具である。江戸初期、松平頼重の高松移封の際に、家臣が製法を伝えたという。また一説には、幕末に伏見・大阪などから学んだともいわれる。明治期に梶川政吉が土人形作りを学んで人形店を開いた。その次女の宮内ふさ氏は、明治中頃から、1985年に102歳で亡くなるまで制作を続けた。娘の宮内まさえ氏(明治43年生)も近年死去。高松では、小さな土人形を嫁入り道具に加え、婚家先の近所の子供達に手土産として与える風習があった。その土人形の種類は、鯛戎・狆鯛(ちんたい)・天神・福助など数十種があり、縁起物が多い。この風習は大正頃に消えた。やがて、土人形にかわって張子製の人形が現れた。

●切手図案:張子製の「鯛戎」である。戦前の制作で、現在のとはデザインが異なる。

●オリジナルの戦前作品の入手は困難だが、今も同様の張子が制作されており、高松市内の土産物店などで入手が可能。栗林公園内の「商工奨励館」は一見の価値あり。約3000円。他に郷土玩具としては、赤衣の童女の立像「ほうこさん」も有名。 平成9年用年賀切手には、高松嫁入人形「牛乗り童子」が採用されている。

●昭和35年(1960)用:米喰い鼠(こめくいねずみ)

●金沢市の郷土玩具。天保(1830〜44)の頃、加賀百万石の13代藩主前田斉泰(なりやす)公の御代、不況のため下級武士の内職として、当時流行のカラクリ人形の影響をうけて作られたのが始まり。天保の飢饉の苦しみから、飯を腹一杯食べたいという願望をネズミに込めたともいわれる。切手の図案に採用されてから制作が復活した。

●切手図案:金運の縁起物。からくり仕掛けの小さな木製玩具で、バネの役割をする竹でネズミが台座に固定されている。胴体を押し下げると、糸が緩んで首と尾が下がり、ネズミが米を食べる動作をする。素朴な姿で、巧妙に動く。桐の廃材を利用し、焼いてネズミ色にしており、茶色が基調の単純な彩色だが、切手図案では、見栄えがするように色が変えられている。

●入手方法:「中島めんや」(0762-32-1818)が各種の金沢の郷土玩具を販売している。金沢市内の土産物屋などで購入可能。他にも「八幡起上り」(昭和30年用)や「金沢張子・猿の三番叟」(平成4年用)が切手図案となっている。

●昭和36年(1961)用:(上)赤べこ

●会津若松市の郷土玩具。東北では牛を「ベコ」と呼ぶ。807年、虚空蔵堂(こくぞうどう)建立の際、資材運搬に赤牛が協力した。落成後、牛は石に化し福満虚空蔵菩薩の守護となったという。玩具は、蒲生氏郷の会津移封の際(1590年)、京都から職人を招いて下級武士に技術を学ばせ、伝説に因み牛を作らせたのが始まりという。ある年、疱瘡(天然痘)がはやり多くの子供が倒れたが、不思議にも「赤べこ」を贈ると全快した。そして、子供の誕生時には、壮健に育つよう「赤べこ」で祝うようになった。全国各地にも赤色の「疱瘡除け」玩具が多種あった。
●切手図案:張子製・赤塗りの首振り牛で、元来の模様は赤い胴体に黒斑点。観光土産用に、背に金色の×印と白模様の新型が制作された。切手図案は新型。
●入手方法:会津の土産物屋で購入可能。約800円。

●昭和36年(1961)用:(下)金べこ
●岩手県花巻の郷土玩具。古くから陸奥(東北)は砂金産地で、金は牛の背に積まれ、平泉・盛岡をへて江戸や大阪へ運ばれた。この地方の富豪は、この牛の姿を金で作り家宝とした。庶民も、牛は金を運ぶ縁起物として金べこを作って家に飾った。この玩具は昭和初期から制作されている。
●切手図案:粗削りの木製だが、牛の量感がよく出てる。胴体は金色で、砂金を表現。
●入手方法:岩手県の土産物屋などで購入可能。約800円。

●昭和37年(1962)用:出雲張子の虎

●出雲では、昔から節句などに、魔除け・勝負運(商売運)の縁起として虎の玩具が飾られた。明治時代前期からは、松江の名工=荒川亀斎の原型をもとに、「張子の虎」が作られ始めた。現在、張子の虎は全国各地で作られているが、異国の猛獣「虎」が玩具化されたのは江戸時代である。虎王崇拝の中国の影響を受け、また毘沙門天信仰や、干支の習俗とも関連し、さらに尚武と子供の健康り「端午の節供」の飾りにも用いられ、種々の虎の玩具が作られた。加藤清正の虎退治や、歌舞伎の「国性爺合戦」などに因む節供人形も各地にある。太平洋戦争では「虎は千里行って千里帰る」として、出征兵士のマスコットにもなった。

●切手図案:均整のとれた体に華やかな彩色。するどい眼、ぴんと立てた耳・ヒゲ・尾、踏ん張った四肢、胴の縞模様、赤い口と、豪快かつユーモラスな作品である。胴と首を別に作り、首を糸で胴につけ、少しの振動でも首を左右に振る仕掛けで、「首振り虎」ともいう。

●入手方法:島根県の土産物屋で購入可能。制作は出雲市今市町「高橋張子虎本舗」高橋孝市氏。通信販売も可能。 特大と1〜6号があり、3号は\4500。また、平成7年用の図案となった「張子猪」は大小あり、小は\1800。

●昭和38年(1963)用:のごみ土鈴の「うさぎ」

●佐賀県を代表する郷土玩具である。鹿島の能古見(のごみ)人形は、昭和20年、鹿島市能古見で、染色工芸家の鈴田照次氏が創造したもの。近くの祐徳稲荷神社で土産物として売られる。照次氏は1981年に亡くなり、滋人氏と道子氏が受け継ぎ、「のごみ人形工房」で制作している。十二支の各動物の特徴を生かしながら単純化した面白さを持つ。素朴な鈴の音は、悪魔退散・開運の縁起物とされている。

●切手意匠:のごみ人形の「うさぎ鈴」。平成3年用として「ひつじ鈴」も切手になった。

●入手方法:佐賀県の土産物屋などで販売。鹿島市能古見辻「のごみ人形工房」09546-3-4085。

.

【戻る】