●SLシリーズ●

Steam Locomotive Series (1974-75)

日本の代表的なSLを紹介するシリーズ。「汽笛一声新橋を…」の歌で知られる、新橋-横浜間の鉄道開通は明治5年(1972年)。そして100年を超え、鉄道近代化により、蒸気機関車はほとんど姿を消した。

「去り行くSLの雄姿を切手に」との声の高まりにこたえて、郵政省では、1974年よりSLシリーズ切手10種を発行した。

「鉄道唱歌」
大和田建樹作詞・多梅稚作曲


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●D51●

 D51は昭和11年、国鉄の設計技術を結集した優秀なSLである。大正時代の9900型(D50)の改良型。主に幹線貨物列車用で、当時の貨物輸送増強の要請もあって、10年間に1000輌以上が製造された。これは日本のSLの機種で最大の製造数である。

 「D」とは4軸の貨物用SLを示す記号だが、D51は貨物列車ばかりでなく、旅客列車をひき、全国の幹線で活躍した。軸配置は1-D-1(「ミカド」)。全長19.73m、動輪径1400mm。はじめてボックス・スポーク形の動輪を使い、各部もほとんど溶接で作り、あらゆる点で合理化した使いやすいSLである。

 初期型の95輌は半流線形ドームで、「ナメクジ型」と呼ばれるが、他の大半は給水加熱機を煙突の前に置いた「標準機」である。大戦末期の製造分は、1部に木を使用して、極度に鉄を節約して作った「戦時形」である。

 切手発行の昭和59年の時点では、まだ北海道や山陰本線で活躍していた。京都・梅小路蒸気機関車館には、1号機のナメクジ型(静態保存)と、200号の基本設計車(動態保存)がある。D51は、幹線で使われる最後のSLとなった。上越線でジョイフル-トレインや「奥利根号」などの臨時のイベント列車を牽引している。

●C58●

 C58形は昭和13年に使用されはじめた旅客・貨物両用の中型万能SLで、国鉄で採用している1-C-1形テンダー形式の唯一のものである。全長18.275mm、動輪径1520mmで、やや小さいが、ボイラー圧力は常用16kg/cu、増圧すると18kg/cuまでなるように考慮された優秀なSLである。小型版D51ともいえる。

 日本の国土に適したSLとして評価され、427両もの多数が製造され、各地に配属された。1m軌間に改造されて外地へ転出したものも多い。

 第1次形と第2次形の2形式があり戦後製造の第2次形は、舟底形テンダーがついている。1号機が梅小路に動態保存されて「る。

●8620●

 1914年から登場した8620は、大正時代の他の2種(9600・C51)とともに、名機の誉れ高く、昭和50年3月まで1両だが九州の湯ノ前線(熊本県の人吉〜湯前間)で活躍していた。

 鉄道国有化法によって、明治の未に主な私鉄が買収され統一に向かい、幹線は国鉄として運用されるこニとなった。それまでは、各私鉄がバラバラに輸入したり、製造したりしたために、機関車の種類が多すぎて、修理・点検に大きな無駄・ロスがあった。そこで国産化を図って作られたのが貨物用の4800と旅客用の8620である。両機とも日本の風土に合致し、性能もよく、後の機関車製造の源流となった。

 8620は明治末に輸入された幹線急行用の大型SLの特徽をとり入れ、さらに広範囲の用途に適するよう設計されている。動輪径1600mm。全部で670両が製造。現在は、豊肥本線で熊本-阿蘇間のジョイフル-トレイン「あそボーイ」を牽引している。また、8630は梅小路で動態保存。

●C11●

 昭和初期、世界的な不景気が、日本の鉄道にも影響し、旅客・貨物とも減少したことから、大型機関車の増備が不要となり、小型SLが要望された。また、炭水車を別につけないタンク機関車(タンクロコ)も久しく作られていなかったことから、昭和5年にClOなどと共に、軽くてバック走行も容易でローカル線でも使えるものとして、C11が製造された。製造数は381両。軸配置は、1-C-2。タンク機関車に対し、炭水車を別につける一般のSLはテンダー機関車と呼ばれる。1932〜46年と製造期間が長いため、新旧のスタイルの相違がある。

 小型といっても石炭や水を積んだときは70t近くあり、全長12.65m、動輪径1520mmの堂々たる機関車であった。使いやすさもあり、全国各地で、「Cのチョンチョン」の愛称で親しまれ、昭和50年頃まで九州(日南線)や北海道(標津線)で活躍していた。現代は大井川鉄道(私鉄)で「川根路号」を牽引している。

●150型●

 150型や7100型は、日本のSLの始祖的な存在である。この形式名称は明治末期に定められたもので、一般には1号機関車(150型)と弁慶・義経(7100型)などの名称で知られている。

 日本の鉄道は明治5年に開業したが、開業にあたりイギリスに指導を求めたので、創始期のSLはイギリス製であった。英国の各社から合計10両が輸入されたが、その中の1両が150型である。150型は一両一形式で、開業前年にVulcan Foundry社で製造された。動輪径1321mm。京浜間、大阪地区で活躍していたが、明治44年に九州の島原鉄道に払い下げられ、国鉄の1号機関車という記念すべきSLであったにも拘らず、当時はあまり顧みられなかった。現在は、東京-神田の交通博物館に静態保存されている。切手は、新橋駅を出発する光景を描く。

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