●切手趣味週間●

Philatelic Week

切手趣味週間は、切手収集の育成のため、昭和22年11月に
設けられた。切手収集の楽しみ多くの人に知ってもらい、
また、切手の持つ芸術的・文化的・歴史的な面を広く認識して
貰うというのが目的である。

逓信記念日(4月20日)を含む一週間を切手趣味週間とし、
「全日本切手展」など、各地で「切手展」「切手教室」等の記念
行事を開催している。


【戻る】

.
●山下白雨:葛飾北斎●

 ●富嶽三十六景のうち、山下白雨(さんかはくう)。風俗を題材として250年の歴史をもつ浮世絵だが、この作品は純粋に大自然だけを対象として大胆に構成している。山頂は快晴、中腹には夏雲がわき、山麓には稲妻が獣の爪のような雷光を描く。題名のとおり地上は俄雨にうたれているのだろう。快晴・夏雲・稲妻を1図に収め、天候を超越した富士を示す。

 ●葛飾北斎(1760〜1849)は、江戸後期の浮世絵師。美人画・役者絵が主流の浮世絵界にあって、彼は風景版画を発展させた。転居癖・改名癖があり、生涯に30回ほど改号し、「北斎」も画号の1つ。勝川春草に入門、勝川春朗と号して役者絵でデビュー。のち勝川派を破門される。読本(よみほん)の挿絵の仕事で、名を高める。馬琴と組んだ「新編水こ伝」(1806)や「椿説弓張月」等は傑作。「天我をして五年の命を保たしめば,真正の画工となるを得べし」といいつつ、90歳の生涯を閉じた。

●月に雁:歌川広重●

 ●「月に雁」 38×13cm 東京国立博物館  広重35歳頃の作。背景に大きな丸い月を置き、三羽の雁が列をなして降りて行く。藍色絵具の外隈(ソトクマ:彩色せずに縁取りで形をみせる)で表現された雲や月は、清澄な秋の夜空の深みを伝え、かつ雁の姿・勢いを際立たせる。鮮やかな藍色は、日本に導入されたばかりの「ベロ藍」(ベルリンブルー)である。左上の画賛にある「こむな夜が又も有うか月に雁」そのままの情景が、簡潔明瞭に造形されている。中央下に「広重筆」の署名と、「馬鹿印」がある。

 ●歌川広重(1797〜)は江戸後期の浮世絵師。風景版画を大成。四季折々の自然・名所・人の営みを描き、天象・気象の織り成す光を演出した。定火消組同心=安藤源右衛門の子として生まれる。両親を亡くし、13歳で同心職を継ぐ。15歳で歌川豊広に入門。35歳の時、八朔の御馬献上に随行し、京都に上る。翌年その旅でのスケッチをもとに『東海道五十三次』(全55枚)を創作、爆発的に売れた。シリーズ物の風景画を次々発表、『東海道五十三次』は、生涯に約40のシリーズを描いた。流行のコレラで死去。

●ビードロを吹く娘:喜多川歌麿●

 ●婦人相學十躰(婦女人相十品)より「ビードロを吹く娘」。雲母摺の背景に、女性の上半身を描く「大首絵」の揃物。類型的な美人画ではなく、性格・心理を描こうする。「相見 歌麿画」の署名には、人相見つまり気性を描き分けようとする歌麿の気概が伺える。

 ●喜多川歌麿(きたがわ・うたまる:1753?〜1806)は、江戸中〜後期の浮世絵師。履歴は不詳。本姓は北川。版元=蔦屋重三郎に見出される。蔦屋は書籍・版画の出版社だが、時代の嗜好を読取って企画をたてるプロデューサーでもあり、歌麿・写楽・滝沢馬琴・十返舎一九楽らを世に送り出した。女性の表情と内面を描写する「大首絵」の形式を創案・確立した。雲母摺(きらずり)や黄潰(きつぶし)の背景が、水茶屋娘や遊女の肌を美しく浮かび出させる。

●序の舞:上村松園●

 ●「序の舞」は、1936年に描かれた松園の代表作。東京芸術大学芸術資料館所蔵。

 ●上村松園(うえむらしょうえん:1875〜1949)は、明治〜昭和期の日本画家。京都生れで、本名は上村津禰(つね)。12歳で京都府画学校に入学し、鈴木松年(しょうねん)に師事した。幸野楳嶺や竹内栖鳳に師事。25歳の時、第3回内国勧業博で「四季美人図」が1等。27歳で息子=信太郎を生む。日本画家=上村松篁(しゅうこう)である。1948年、女性初の文化勲章を受章。翌年、疎開先の奈良県平城村の山荘で死去。細い筆線と明快な色調で、格調高い美人画を描き、独自の境地を開いた。

●彦根図屏風:作者不詳●

 ●寛永期(1624-44)。江戸初期の風俗画の名作。もとは六曲一双の屏風であったが、現在は6面の額装(うち第1・2面が切手意匠)。正式には「風俗図」屏風だが幕末に彦根藩・井伊家の所有となったことから、「彦根屏風」と呼ばれている。

 ●遊郭の一室で遊ぶ15人の男女を描く風俗画で、漢画の伝統的テーマである「琴棋書画」図になぞらえている。全面に金箔を貼った無機的な空間に、様々な姿態の男女を配置している。「琴」は、琉球渡来の三味線、「棋」には中国渡来の双六、「書」には遊女が書き遊客が読む手紙、「画」には屏風絵が対応する。理知的な構成、華やかな色彩で細密に描き込まれた着物の模様は、新時代の調和の美を示す。

 ●1993年、井伊家の直系の井伊直愛氏(元彦根市長)が死去、相続税のため井伊家は売却を希望し、中島一市市長は彦根市議会に12億円で購入する予算案を1996年12月の定例市議会に提案した。前市長らの購入反対の動きもあったが、大口の寄付があり購入が決まった。

●「北方の冬」と「朝の光へ」:竹久夢二●

 ●「女十題」。1920年(大正9)1月16日、彦乃が結核で死去した。その年の夏〜秋に制作した、「北方の冬」「朝の光へ」「黒猫」「産衣」など水彩画のシリーズで、夢二中期の代表作。長崎で世話になった郷土史家で豪商の永見徳太郎に贈られた。

 ●竹久夢二(たけひさ ゆめじ:1884〜1934)は、明治-大正期の画家・詩人。岡山県生まれで、本名は竹久茂次郎。早くから絵の才能を示す。家出して早稲田実業学校に入学。のちに中退して、新聞・雑誌や少年・少女雑誌に挿絵を描く。23歳で、岸たまきと結婚。夫人をモデルに「夢二式美人」を創始。1909年の「夢二画集-春の巻」で一世を風靡。以後、夢二画集や詩画集を続々と刊行し、青年男女を魅了した。1914年、日本橋に趣味の店「港屋」を開き、デザイナーとしても先駆的業績をのこした。同年、彦乃と出会う。1919年、お葉と出会う。3人の女性の存在が、夢二の創作に大きく影響した。富士見高原療養所で死去。49歳。

●画室の客:金島桂華●

 ●「画室の客」は、1954年に日展へ出品した作品。日本画のかかった画架、椅子、ハンドバッグと手袋、スピッツとプードルなどが描かれている。描かれたこれらのものによって、実際には描かれていない洋装の女性と推測される「画室の客」の存在が想像させられる、軽妙でモダンな感覚の作品である。

 ●金島桂華(かなしま・けいか:1892〜1974)は、昭和期の日本画家。広島県生れで、本名は金島政太。京都の竹内栖鳳に入門。1918年に文展に初入選。画塾「衣笠会」を主宰。四条派の写生体を基礎に、装飾味の強い表現が特徴。

 ●1995年の切手は、「阪神・淡路大震災」寄附金付郵便切手として発行された。売価100円(80円+寄付金20円)の切手が5000万枚発行された。寄付金総額10億円は、被災者救助事業に対して配分した。販売期間は1ヶ月だが、郵便局の職員は販売に苦労した。

【戻る】