この間テレビを見ていたらたけしの番組で各国の若者を集めていろんなテーマで討論を
する番組をやっていた。
これが本当に面白かった。
なんと各国の若者は真剣に自分の国を想い自分の意見を語る事か。
その言葉は近代の歴史そのものだ。
イスラム諸国のイギリス、アメリカへの憎しみ。
後進国の先進国優位の国連政策に対する批難。
アジアにおける日本の植民地支配に対する根強い反感と疑念。
それに対して日本の青年の意見はまるで教科書を読んでいるようだ。
まるで他人事のようで実感を感じていないようだ。
その時ふと思った。
この青年達も学校で世界史の授業を受けているんだと。
愕然とした。
「こんな授業じゃ意味が無い・・・。」
思わずつぶやいてしまった。
何の為に学校で歴史を学ぶのだろうか?
この各国の青年達のもつ痛みや苦しみ、願いを理解する為に学ぶにではないだろうか?
それは民主主義と社会主義対立の歴史であり支配する国と支配される国の歴史だ。
数しれない戦争や内戦の歴史でも有る。
その心を知ってこそ意味が有るはずだ。
自分は歴史の授業は大嫌いだった。
テストで30点以上はとった記憶が無い。 (-_-);;
しかしソビエトの崩壊や社会主義の衰退、湾岸戦争やアメリカの人種差別など問題が
発生する度に独学では有るがその背景やその国の価値観を学んだ。
そこには学校では決して教えてくれない宗教観の違いによるあつれきや
支配された国の憎しみの歴史があった。
しかしほとんどその心は学校では教えてくれない。
現代史についやす時間が少ない事も有ろうが根本的な原因では無いだろう。
それは受験の為の授業になっているからだ。
「心を知る事」より「何点取れるか」が大切なのだ。
考えてみると中学・高校と6年間も英語の授業を受けて英会話が出来るようになった
人は何パーセントいるだろうか?
標準語をまともにしゃべれない青年達を見ると国語の授業っていったい何だろう?
四則演算以上の数学や物理学の難しい計算式など社会に出ていつ使うのだろうか?
専門職種につく人たちだけ勉強すれば充分であり単にテストで点数差をつける為
としか思えない。
そのくせ運動会では能力による評価差をつけてはいけないと順位を付けないなどとは
正直ちゃんちゃらおかしい。
教えなければいけない事を教えられず必要無い可能性の高い事を教えられる。
この学校制度はどんな人間を作り出したか?
きまったように赤い髪に細い眉毛でルーズソックスをはいた女高生。
猫も杓子もRV車で狭い日本を走り回る大人たち。
どうしてこんなに画一化してしまったのだろう。
そのすべてとは言わないが現在の受験制度に大きな要因が有ると思う。
良い幼稚園に入り良い小学校、中学、高校、大学に入り最後は良い会社に入る。
このレールを歩いているうちに画一した個性が育ってしまう。
ここでは点数(偏差値)という価値観しかない。
本来、人間の評価には多様な価値が有るはずだ。
けんかが強い、足が速い、リーダー性が有る、絵が上手い・・・ETC
これらは学校の点数では評価されない。
それではちょっと考えてみよう。
何故良い幼稚園に入るのだろう。
それはおそらく良い小学校に入る為だろう。
では何故良い小学校に入る為だろう。
それは良い中学に入る為だろう。
それでは・・・と考えていくと最終的には良い会社に入る為と言う結論になる。
それでは何故良い会社に入るかと考えると結局安定した生活と不安の無い
老後の為ではないだろうか。
ここで声を大に訴えたい。
老後の安定した生活の為に大切な小学校〜大学生活を過ごしてしまって
良いのだろうか?
たとえこの受験戦争を制して一流企業に就職出来て更にこの中で良い役職に
つけるのはほんの一部の人間しかなれない。
ひとつの価値観で多数の人が争えばほんの一部の勝者と大多数の敗者をつくる。
大多数の敗者は勝者になれと子供を育てようとする。
「お父さんみたいになっちゃだめよ。」と。
たとえ一流企業に就職出来てもあっさり倒産する時代だ。
時代は変化しても人間の意識は変わらない。
今テレビで高校サッカーの決勝戦をやっているが彼らは何といきいきしている事か。
彼らには表情が有り個性が有る。
今を生きる事は何と大切な事だろう。
彼らは自分の高校生活を楽しんでいるのだ。
さあ。そろそろやめようじゃないか。
先の事の心配の為に大切な今を捨ててしまう事を。
どんなに心配したって世の中自体の価値観が変わってしまえばそれっきり。
それより自分が何をやりたいのか学生時代に見つけよう。
それからその為に必要な勉強をやればいい。
多くの人はそれさえ見つけられず老いてしまうのだから。
学生時代に大切なのは今を生きる事と将来の自分を発見する事。
今を生きていればそのなかに必ず未来の自分が発見出来るだろう。
その自分にいたる為にそれから勉強がはじまるんだから・・・。
とりあえず大学の入試制度を止めてみる事が良いだろう。
高校を卒業するまでに自分の本当にやりたい事を見つけてその為の大学にはだれでも
入れるようにする。
勉強はそれから必死にすれば良い。
この勉強は自分の為なので苦しくないし本当に自分のものになるはずだ。
そして一定以上の学力を取得したものだけ卒業させればいい。
大学は逆に学生から選ばれる立場になるので少子化の中競争が激化するだろうから
生き残りの為にさまざまに多様化して更に個性的な人材が育成出来るだろう。