最近切れる青年達の話題を多く聞く。
「むかつく。」「切れる。」は彼らの日常の出来事ようだ。
彼らは何にむかつき、そして切れるのだろうか?
おそらく彼らは何にむかついているのか解かっていないのではないだろうか?
見えない相手だからいっそう思いが強くなるのかも知れない。
かつてこの日本にはいくつかのルールが有った。
一流学校に好成績で入学して一流企業に就職すれば終身雇用で安定した生活が保証されると言うものだ。
今でも多くの親達はこの価値観を信じ子供達を教育している。
この数々の価値観が現在崩壊している中、おそらく多くの親達は矛盾を感じてはいるのだろう。
しかしそれに変わる価値観を見出せないのだろう。
さて自信の無い価値観で教育された子供達は何を信じたら良いのだろう?
価値無き時代に自分自身にさえ価値を見出せないのでは無いだろうか。
この価値観の喪失が一番の問題ではないだろうか?

本来価値観とは思想とか宗教がもたらすものだろう。
しかし日本には基本になる宗教が無い。
正月は神社に行き結婚式は協会でキリスト教で行い死ねばお寺で仏教形式で行う。
この国民共通の宗教的価値観が無い事は大きいだろう。
また思想においても日本の民主主義は長い年月をかけ自ら作り出したものでは無い。
敗戦後アメリカから強制的に押し付けられたものでしかない。
その他多くの矛盾をかかえたものになっている。
また本来資本主義社会は自由競争を基本としているが日本の企業では横並び精神が横行している。
その為企業は弱体化し国際競争力が無い。
その上均一化を最優先して教育された企業の社員達には自分の顔が無い。
戦後の大量生産、拡大路線の時代では工場で大量生産する為の均一化された人材が大量に必要で有ったがその時代はとうに終わりこれからは発想力が必要な時代に変わっている。
発想力を育てられなかった社員を大量にかかえた企業は当然リストラしか道は無い。

本来民主主義においては本来国民の選挙によって選ばれた政治家が最大の決定力を持つ。
しかし日本では儒教的な思想が強く試験で受かってきた官僚が幅を利かせ自分達が一番力が有ると勘違いしている。
この本来一番の決定力を持つはずの政治家と日本の教育制度のトップに立つはずの官僚が自らの利権の為に悪事を繰り返し更に反省すらも見せない態度は青年達にはどう見えるのだろうか。
企業の歯車として自らの意志を発する事を忘れた大人達は簡単に現在の政治家や官僚制度は変わらないと言う。
国民も政治家と同じで自分の町に橋や新幹線をとうしてくれる政治家にのみ票を入れる。
その新幹線をつくる為にどれだけ莫大な税金が投入され未来につけをまわすか知ろうともしない。
近くにゴミ処理場が出来ると必死になって反対するがゴミ問題には興味が無い。
すべては自分勝手なのだ。
おそらく大人達はみな同じに見えるのだろう。
どんなにきれいごとをいっても結局は自分勝手。
それが幾重にもすり込まれているのだろう。

さて、それではいったい何が大切なのだろうか?
青年達の感じている「むかつき」はおそらく多くの大人達も感じていながら諦めている「むかつき」と同じでは無いだろうか。
それが言葉を通さなくても思いの奥底で子供たちには伝わっているのだろう。
自らを抑止出来ない青年達はこの感情を押えられないのであろう。
この「むかつき」の正体は「虚無感」では無いだろうか。
おかしいとわかりながら替えようが無いと思い込んでいる多くの事柄・・・。
政治、官僚問題、教育、福祉ETC。
しかもそれは日常の中に埋没しているので意識しないと普段は自覚出来にくい。
その上虚無感には実像が無く当たりようも無い。


しかし本当に変わらないのであろうか?
何故、そう思い込んでいるのだろうか?
日本には選挙制度が有る。
これが民主主義では国を変えうる唯一のものだ。
よく「誰が当選しても変わらない。」と聞く。
「誰が当選しても変わらない。」と言う事は一人一人の存在はまったく無力で無価値で有るとの事になる。
この無力感は青年達にも浸透する。
しかし自分は無価値で有る事は受け入れがたい屈辱だ。
自分は無価値では無い事を違う形で爆発させてしまう。
また一人では無力で有る為多人数で群れる事により大人達に自分の存在を認めさせようとする。

しかし本当に一人一人は無力で無価値なのであろうか?
確かに今の政党はどれも同じだと言う思いは根強い。
しかし少なくても保身のみの為変化を阻止しようとする多くの政治家を排除する事は出来るだろう。
実際、他国では選挙によって大きく政局が変化したケースはいくらでも有る。
日本はもしかすると今ごろになって西欧で数百年かかって勝ち取った民主主義とはどういうものなのかを勉強している最中なのかもしれない。

我々が自らの意志で政治を変化させられる存在で有る事に気づいたときこの虚無感に終止符を打てる第一歩かもしれない。
そしてこの一歩から日本の新しい時代がはじまるだろう。
日本人は本来優秀な国民で有る。
新しい明確なビジョンが提示されれば企業はその指針にそって立ち直るだろう。
まだ自ら指針を選択していく能力が足りないだけなのだ。
アメリカの現在の高景気の背景にはあの「情報ハイウェイ」が有った。

そしてそれこそが現在の日本の抱えている未来の不鮮明さを払拭出来るだろう。

まず我々大人達が勇気を持ってこの「虚無感」に立ち向かい打破出来たときに心から「一人一人は無価値なものでは無く大切な存在なのだ。」と自信をもって子供達に教えられるだろう。

そして今の学校の勉強のみに価値を置く事無く多くの事柄に価値を認められる新しい社会を構築した時多くの青年達は自らに有った価値感に向かい新たに歩き出すだろう。