昨日、NHKスペシャルで郡司厚生省元課長と川田龍平氏との直接対談の番組を見た。
まさに、ここに日本の腐敗した体質が有ると感じた。
川田氏は、出来るだけ淡々と当時に厚生省課長として違う選択肢は考え得なかったのかと質問していた。
輸入製剤の危険性が分かった段階での情報公開を何故しなかったのか、危険性の少ないクリオ製剤や国内製剤への転用など、担当課長として何故考えなかったのか質問していた。
しかし、郡司氏の回答はあまりにも虚しいものであった。
当時そういう考え方は一般的でなく、医学会には通用しなかったという回答だ。
厚生省の1担当者の責任と考えるのは正当では無いと言うのだ。
おそらく、当時、郡司氏がどういう立場にいて、そういう判断をせざるを得なかった現実が有った事は川田氏は当然理解した上で質問しているのだろう。
川田氏が聞きたかったのは、おそらく違うものだったと思う。
郡司氏の組織人としてでは無く、1人間としての本音を知りたかったのだろう。
全体像は簡単で有る、医学会・製薬業界と癒着した厚生省が、その両者の利権を優先して対応が遅くなり、結果として血友病患者に大量のエイズ感染者が出たので、問題を隠す為に隠ぺい工作をしたのだ。
たまたま、政変で厚生大臣に管氏が就任した為に表面化したのだ。
川田氏は郡司氏の本音に光明を見出したかったのだろう。
確かに厚生省・医学会・製剤業界間に組織としての問題が有ったとしても、私個人は人間としては判断を誤ったかもしれないと言って欲しかったのだろう。
最終的に判断出来るのは組織自体では無い、個人の判断だ。
もし組織に判断力が有るとすれば、それは利益追求のみだろう。
郡司氏は企業が利益追求する事自体は悪ではないと言っていた。
それはそうだろう、だから判断を誤らない為に組織には責任者がいるのだ。
責任者には権限と責任が同時に有るはずだ。
だから、他者より高給が貰えるのだ。
組織が誤った方向にいかないように権限を持ち、もしも舵取りを誤れば責任を追及される。
それが、当たり前だ。
しかし、今の日本の組織はその当たり前が根底から崩れてしまっている。
組織の長は権限を行使しようとしないし、責任も取らない。
自分の在籍中に出来るだけ問題をおこさず、問題が有っても先送りにしてしまう。
さて、この問題はどうしたら解決出来るのだろう?
日本人はこの体質から抜けられず凋落するだけなのだろうか?
そこには個人の意思、判断しかない。
川田氏はおそらくそれを郡司氏に問いたかったのだろう。
組織がうんぬんでは無く、1個の人間として違う選択肢は考え得たのか知りたかったのだろう。
郡司氏は一度も川田氏の顔を直視出来なかった。
そこに、自分はかすかな光明を見た。
やはり、郡司氏は本音では後悔しているようだ。
おそらく、ずいぶん心の葛藤が有って苦しんだのだろう。
郡司氏はそれを推測させる苦しい顔をしていた。
しかし、それを正当化してはいけないのだ。
郡司氏のみを責める気はもうとう無い、しかし彼は人間として判断を誤ったのだ。
それを認めない限り薬害エイズ問題は、形を変えてまた再現するだろう。
薬害エイズ問題では最優先すべきは人命で有り、たとえ一人でも救う努力が出来たはずだ。
どんなに組織の力が強大でも突き破れるのは人間の意志しか有り得ない。
人間の意志で突き破れない組織など存在しないのだ。
その判断を出来なかったのは間違いの無い事実である。
それを、しなければいけないのが責任者なのだ。
責任者がこの権厳を放棄してしまうと組織は利益追求の悪魔の集団に変わってしまうのだ。
一番大切なのは済んでしまった郡司氏達の判断を責める事より、正しい事実認識が必要なのだ。
川田氏が最後に見せた絶望的な顔を私は忘れられない。
郡司氏が「また、次回に続きを話しましょう。」との問いに「次回は無いでしょう。」と言った
川田氏の言葉の重さを忘れてはいけない。
過ちを起こした事を認める勇気がまず必要だ。
誤った組織なら壊してしまえば良い。
変化する事にこそ進化も有るのだ。
そしてそれを反省して、次に正しい判断してこそ人間の価値が有るのだから。
最後に、今回の番組にあえて出演した郡司氏の勇気には敬意をたたえたいと思う。
そして、川田氏が望む世の中に日本が変化していく事を願ってやまない。