最初にお断りしますが私は科学者では有りませんので適切でない表現が有るかもしれません。
その点はご了承下さい。m(__)m

人類は過去から絶対的な真実を求めて来ました。
それは科学・宗教・哲学としてさまざまな形で検証されてきました。
しかし、特に科学と宗教は互いに相容れず反目し合う歴史を繰り返してきました。
この2つはそれぞれアプローチこそ違いますが真理を追求するものだと私は考えています。
もし真実がひとつであると過程すればそれぞれに根本的な欠陥があるのではないでしょうか?

私は現在の金目当てのエセ宗教家を肯定する気はさらさら有りません。
ただし、人間の心の内面を探求して真理にたどり着こうとするプロセスは有ると思っています。
実際にこのプロセスで「悟り」と言う境地に達したと言われる偉人は多数存在しているようです。
私は科学・宗教・哲学を包括出来る絶対的な真理が有るはず、と考えています。

科学は万能であり宗教は眉唾もの、と言うのが一般的な考え方だと思います。
しかし、本当に科学は万能なのでしょうか?
理論物理学を理解すると万能と信じられている現代科学には今だ解き明かせない謎が多数ある事に気が付きます。
その事は学校の授業では絶対に教えられません。

私は現在の科学至上主義では絶対真理にはたどり着けないと考えています。

何故なら、現在の科学は私たちの「心の存在」をまったく考慮していないからです。
デカルトやニュートンは全ての物理現象は科学によりすべて説明可能だと主張しました。
これが現代物理学の根幹となり文明と言う素晴らしい進歩を人類にもたらしました。

しかし「心」に関する科学的論証は残念ながら科学者の間ではタブー視され避けられてきました。
「心」の検証は古典物理学では説明不可能であり、結果として完全否定されました。

しかし最近になりこの考え方に異議を唱える理論物理学者が多くなりつつあり心を統合した新しい理論の構築が必要だと言い始めています。
特に超ひも理論やツイスター理論は心の存在を解明する可能性を秘めたものとして注目されています。

自分が言いたいのは決して科学は万能ではない、と言う事です。
物理学界が最終目標として研究している4つの力を縫合した大統一理論は完成していませんし、物質の本質は何か?とか重さとは何か?と言う問いにも現在の物理学は回答を見出していません。

例えば物質の本質の話しですが、まず陽子と電子から構成される原子である事が発見されました。
その後中性子が発見され、物質の最小単位だと信じられました。
しかし、その後もっと極小のクオークと言うものが発見されました。
数年前、そのクオークの中で最後まで発見されなかったトップクオークが見つかったと記事になりました。
しかし最近になり物質の本質は10−33cmで振動するひも状のものが物質の根源であると言う超ひも理論が主流になってきました。
この理論は驚くことに10次元とか24次元と言う多次元宇宙が前提となっています。
また、ツイスター理論で知られるペンローズは心は物理学で解明可能だ、と発言して物議をかもしています。

21世紀は科学と心を融合させた新しい物理学の始まりかも知れません。
それには仏教、ヨギスートラなどの東洋的な世界観がもう一度見直されると思います。

以下、私なりに考えている事をつれずれに書きましたので興味のある方は読んでみて下さい。(^^;;


私たちの暮らすこの宇宙は皆さんがご存知なように科学(物理学)によって解明されてきました。
もちろん物理学における理論の構築には数学に照らし合わせた証明が必要になります。
数学は完璧な理論で有りそのみごとな可逆性(どこでひっくり返しても証明可能)など大変美しいものです。
しかし、その数学で証明されるはずのこの世(宇宙)は不思議な事に数学ほど美しくは無いのです。

どういう事かと言いますと例えば数学で点と線と言う概念が有ります。
線は幅の無いものであり無限の点で構成されると言うものです。
逆に言うと線は無限に分割出来る大きさの無い点の集合体となります。
しかし実際の空間は無限に分割出来ず空間として存在しうる最小の単位が有る事が分かっています。
この距離をプランクの距離と言い10−33cmです。
同様に実際の空間には幅の無い線など現実には存在し得ません。
これはいったいどういう事でしょうか?

解かりやすく例えてみましょう。
電卓で1を3で割ってもう一度3をかけて下さい。
理論的には1になるはずですが0.99999999となりませんか?
これはどうした事でしょう!??
答えは簡単です。
電卓には計算できる桁数が決まっているので1には為らないのです。
つまり最大10桁の電卓では0.333333333×3=0.99999999となる訳です。
ここで電卓にあたるのが空間です。
分割出来る桁数に10−33cmと言う限界が有る訳です。
つまり数学で検証するとほんの少しですが実数とは差が発生します。
普段の生活レベルでは無視出来る微細な数値ですが数学上では近似値であると言わざるを得ません。
つまり空間は数学のような完成されたものでは無いと言う結論になります。

この宇宙はアインシュタインによって縦・横・高さの3次元に時間を加えた4次元空間で有る事が証明されました。
アインシュタインは時間軸を空間軸と同様に扱う事により始めて相対性理論を構築しました。
今や相対性理論は確立した理論として確立されており異論を唱える科学者は皆無です。

しかし3次元空間はどの方向にも行ける可逆性が有りますが時間には有りません。
過去や未来へは絶対に行けません。
これはどうした事でしょうか?

また宇宙に働いている4つの力(強い力、弱い力、電磁気力、重力)はどれも奇麗に両極性(+−)を持っていますが何故か重力にのみこの両極性が有りません。
多くの科学者が反重力の存在を信じて研究しましたが今だに発見されていません。
何故、重力にのみ両極性が無いのか理論物理学上の大きな問題となっています。

また極小の世界(量子レベル)を説明する際には量子力学という物理学が使われますがここにも波動関数と言う一般常識では理解不能なものが存在します。
物質の根本である素粒子は観測していない時は確率で存在し、観測した瞬間に一気に収束してはじめて物質として存在する、と言うものです。
観測していない状態では波動関数を使い一定の範囲にどれくらいの確率で存在するかしかわからないのです。
しかし「確率で存在する。」とはどういう事でしょう?
無理に例えますとひとつの量子が空間に薄い雲のように存在する、と説明すれば解かりやすいでしょうか!?
言い換えれば可能性がある全ての状態が一体となって存在している、と言う訳です。

つまりあなたが眼をつぶっている間、世界は確率で存在しており眼を開けた(観測した)瞬間物質として確定する訳です。
ここではじめて「観測」と言う「人間の意志」が物理学上に登場した事になります。
つまり人間(生命体)の観測という行為がはたらかない限りこの世は確定出来無い事になります。

しかしこの考え方にまっこうから反論を唱える物理学者がいました。
アインシュタインは「神はさいころを振らない。」と大反論をしました。
例え人間が観測しなくてもそこに物質は存在すると反撃したのです。

これで物理学も過去に哲学で大論争となった「唯物論」と「観念論」の争いと同じ問題にぶち当たってしまいます。

まず、物質が有るから人間も存在するので物質が根源的なものと主張するのが唯物論です。
また、人間の意識が有ってはじめて世界を認識出来るのだから人間の意識が根源的なもので例え物質が有ったとしても認識出来なければ、それは存在しないのと同じだと主張するのが観念論です。

今だこの結論は出ていませんが私は物質と心は同じ物で無いかと考えています。
仏教には色即是空、空即是色という教えが有ります。

色(眼で見えるもの、ここでは物質を現す)と空(心)は根源的に同じと教えていると私は解釈しています。
またアインシュタインの特殊相対性理論の結果式であるE=MCもエネルギーと物質は互いに相互変換出来ると説いています。
つまり意識(エネルギー)も物質も同じもので有り水と水蒸気のように形態は違っても根元は同じものと言えるのではないでしょうか?
つまり宇宙は物質で有る上に大きな意識体で有ると考えています。

ただ、ここで疑問に思うのは多数の「観測者」が存在するのに全ての観測者が同じ認識が出来て矛盾が発生しないのか?と言う事です。
もし個々の観測者がおのおの勝手に事象を収束させているのなら何故同じ時空を共有出来るのでしょうか?

例えば私とあなたの2人の人間が同じ空間に存在した場合は私があなたを観測して収束させ、あなたが私を観測して収束させている訳です。
2人が勝手に収束させていれば私の収束させた結果とあなたの収束させた結果が矛盾するはずです。

しかし実際にお互いの認識に矛盾が発生しないのでおそらくお互いは同じ結果を収束させた事になります。
つまり2人は常に同じと結果を何故か収束させている、と言う事になります。
この事から収束させているのは個々の勝手な観測では無いと思います。

これを収束させているのは有名な心理学者であるユングの言うところの集合的意識ではないでしょうか。
ユングは全ての人類の意識は根底で繋がっていると言っています。
この共通する部分を通常は認識出来ませんが無意識のに影響しいると言う理論です。
ユングはヨガの瞑想によりこの教えを得たと言っていますがもしこの事がもし事実ならテレパシーや虫の知らせが実際に有る事の証明になります。

集合的意識により宇宙は確定されていると仮定すれば個々はその結果だけを観測だけしている、とは考えられないでしょうか。
つまり宇宙は観測者と分離すると単なる確率(無間の可能性だけの状態)でしか無くなる訳です。
今の科学は物質的な側面だけで事象を説明しようとしているので結果、確率の壁にぶつかってしまうのだと思います。

実際は心(意識)が物質を存在させているのではないでしょうか。
つまり心無くして物質無く、物質なくして心無し、いわゆる色心不二です。
唯物でも唯心でもなくどちらも単独では存在し得ないものだと考えます。

さて話を戻しますが何故この宇宙は完全な可逆性が無い上に不確定なのでしょうか?
最近考えはじめたのですが実はこの宇宙は実在の世界の写しで有り実際は存在していないのではないかと言う事です。

プラトンの想起論がこの考え方に相似しています。
すべての物は実在界に存在しておりこの世での発明や発見はそれを思い起こしていると言う思想です。
そこにいたるのに必要なものがエロス(愛)であると説いています。
例えばエジソンによって電球が発明されましたが実際は電球は実在界には既に存在していてエジソンはこの事を思い起こしただけという考え方です。
この世界は実在界(あの世)から投影されたもの、と言う考え方です。

また、全米最大の予言者と言われたエドガケイシーと言う方がいます。
彼は97%を超える予言的中率を誇り実際に事件捜査の協力までしています。

彼はトランス状態になると本人と別の人格が現われ数々の予言を行なったと言われています。
その中で彼はあの世には「アカシックレコード」と言う過去から未来における全ての情報や意識がたたみこまれているレコードのようなものが有りそこにアクセスして予言をしていると言っています。
ケイシーの言うアカシックレコードとプラトンの言う実在界は同じものを表現しているのではないかと考えています。
ここにはこの世の過去・現在・未来の全ての情報が有るようです。

ここで特筆すべきにこの2つに共通している事に時間に可逆性が有る事です。
この世界では過去・現在・未来の意味が存在しなくたたみ込まれていて自由に行き来が出来るようです。
つまりこの世の中で唯一可逆性の無かった時間の可逆性がここには存在しているのです。

数学が証明しているのはこの世の事ではなく実はこの実在界の事ではないのでしょうか?
つまりこの世は時間の可逆性を無くした(次元を下とした)実在界を投影したものではないかと思うのです。
分かりやすい例えで映画は実際の3次元空間のひとつを削って2次元(平面)で表現しています。
映画ではほぼ実際の空間に似た感覚で見る事が出来ますがうしろに回り込む事は出来ません。
この世も同じように実在界を次元を落として投影されているのではないでしょうか?

ただ、これだとこの世はひとつしか存在しなくなり過去から未来まですべて確定してしまいます。
ケイシーは人類の意識によってアカシックレコードは常に変化しており、その未来は神にも解かり得ないと言っています。
おそらくこの世の過去から未来における全ての人類の意識によりアカシックレコードは変化する多次元宇宙のようになっているのではないかと考えています。

この多次元宇宙はもしかすると量子力学で言うところの「確率で存在する状態」なのかも知れません。

これを収束させて決定するのが人類を含めた集合的意識なのかも知れません。
個々の人間の意志は集合的意識に影響を与えている訳です。
そしてその意志が集合的意識の一定の割合を超えた時に一気に違う方向に収束されるかも知れません。
ある時期を気に複数の人間がまったく意思疎通無く同じ行動を取る事がありますがこれで説明出来そうに思います。
(前回の参院選の誰にも予想出来なかった自民党の大敗がこれでしょう。)

また重力は言い換えればビックバンで広がる宇宙(この広がりが時間を表現しています)に対する係数のようなものとも言えますので重力と時間の相関から重力にも可逆性が無い事の説明にもなりそうです。

アインシュタインは特殊相対性理論で空間・時間は相対的なもので光の速度(30万Km/秒)のみが絶対的で有ると証明しました。
どうもこの光にはこの世の実像を知るのに重要な存在のようです。
この世の中には色々な物理現象が有りますが実際にはゆらぎ(非線型)が発生するので初期条件がわかってもその結果は初期条件が解かっていても確定出来ません。
しかし光(電磁波)にはゆらぎが発生せず(線形型)理論どおり結果が計算可能なのです。
つまり光は唯一絶対的な存在のようです。

どうも私は「光」こそ実在界から漏れてくる唯一の実像のような気がしてなりません。

また数学では掛け合わせてマイナスになる虚数と言う考え方が有りますがこの世では存在しません。
しかしながら量子力学の波動関数の計算式やホーキングのブラックホール理論では虚数の時間として登場しますのであの世(実在界)を現す何かしらのパラメータだと思っています。

もしかしたらここで言う「実在界」にたたみ込んでいる全ての事象と意識そのものが宗教で言うところの「神」なのかもしれません。
おそらく近い将来、宗教・科学・哲学が融合された新しい思想が生まれ人類の新しい指針となっていくと思っています。

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