第73話 ミフウズラ


 夏の奄美大島を3年ぶりに訪ねた。僕がこの島に惹かれる理由は二つある。一つは、この島特有の鳥や獣が生息していること(アマミヤマシギやルリカケス、アマミノクロウサギなど、この島でなければ、まずお目にかかることのできない鳥獣が深い森に潜んでいる)、そしてもう一つは、奄美諸島の北側、屋久島・種子島との間の吐喝喇海峡に「渡瀬線」と呼ばれる生物学上の境界線が横たわっていること。すなわちそれは、南の動植物たちにとって、奄美諸島が生息域の北限に当たることを意味している。
 
 青森で暮らしていた頃、津軽海峡越しに北海道を眺めながら、目に見えぬ「ブラキストン線」を越えられる者と越えられない者のことを考えていた。温暖化に背中を押されるように海を越えていく者と、竜飛崎まで辿り着きながら目の前の海峡に絶望し、消えてゆく者。15年ぶりに島を訪ねた3年前、「渡瀬線」も同じではないかと考えた。越える者、越えられぬ者。南の境界線で何が起きているのか、これから何が起こるのか、この目で見ておきたいと思うようになった。

 肌を突き刺すような太陽光線が幾分和らぐ夕刻、サトウキビ畑の農道をゆっくり車で進みながら鳥を探す。お目当てはミフウズラ。南西諸島の草地や畑地に広く分布する小さな鳥だ。ウズラ卵を産むウズラよりも一回り小さく、体長は14センチしかない。警戒心が強いからか、昼間のきつい陽射しを避けているからか、この鳥が開けた場所に出てくるのは決まって朝夕。出てくるといっても、大抵は農道をトトトト・・・と横切るのを一瞬目撃するだけだ。スプリンクラーがゆっくり回りながら水を撒くサトウキビ畑に、この鳥がせわしなく走り回る姿は、ちぐはぐなようでいて、不思議とよく似合う。
 
 僕はこのミフウズラが、海峡を越えられない鳥の代表選手だと思っていた。偏見かも知れないが、あの小さな体・短い翼で海は越えられまいと信じていた。きっと奄美のミフウズラが最北のミフウズラだろうと。ところが手持ちの図鑑の中には、鹿児島や種子島で記録があると書いてあるものがある。少し前に出版された図鑑だから、とっくにミフウズラたちは渡瀬線を越えてしまっているのかも知れない。

 (今度は渡瀬線の北側の島に行ってみなくては・・・)、島から帰って来たばかりというのに、もうそんなことを企んでいる。 
(2005/8/15)