危険な日誌 - Dangerous diary -



★花の都に咲く雄姿
そういえば「サクラ大戦4」が出た、らしいね。DC最後のとかなんとか。
やってないから知らん。
しかしいよいよDCも終わりかーと思うと感慨深くあったりなかったり。まあストIIIいやってほどプレイできたんで買って後悔っていうのはなかったけれども。
結局のところゲーム機なんてものは「その人にとってのキラーソフトが出るか出ないか」が問題なのであって、他人が買おうが買うまいが自分が欲しいソフトが出ればそれで買う価値があるんだよね。
というわけで微妙な立場のXBOXもソフトに今ひとつ魅力のあるものが見られず、といってPS2買うかというとそうでもなく・・・って感じでことの趨勢を生暖かい目で見守っているのだけれども、はたしてPS2を純粋にゲームのために使ってる人ってどのくらいいるのだろうか?
買ったはいいけれど結局DVDしか見なかったり埃かぶっちゃったり物置き場所になっちゃったり・・・まあそれもその人の使い方で「悪い」とはいわないけれども。

おんなじようにXBOXを買った人はどのくらいいるのか? とか、ゲームキューブはどんなもんかいな? とか、まあそれなりにそれなりの疑問がついて回っているのだけれども、まあ所詮ゲーム機、たかがゲーム機である。あんまりおもちゃとして高額であって欲しくはないし、長い期間遊べるものであって欲しいものであるよね。そういう意味では最近のゲーム機というのはやりたいことの割に価格が高くて今ひとつ欲しいと思わせるものがないのだな。
というより、自分が振り返ってみて、果たして自分がやりたいゲームとはどんなものだったのか? と最近疑問に思うのだ。PCで初めて遊んだゲームはなんだったか、最後に遊んだのはなんだったか、一番面白いのはなんというゲームだったか? そういろいろつきつめていくと、もしかしてゲーム自体を面白いと思って遊んでいた時代というのはとっくの昔に終わっていたのではないかと思ったりして。
格闘ゲームを作ったのはたまたまそれにはまっちゃったからであって、それに飽きたら次は何が面白いのか? 巷で流行る流行らないは無関係に、自分の遊びたいものは何か? ・・・何もないのだな。
プログラミングというのはそれ自体が一種のパズルみたいなもので、遊びでやってる分には結構面白い部分が多い(仕事でやると・・・・・・)。だから、たとえどんなゲームを作るにしろ、その製作過程というのは個人的には楽しめる部分が(つらい部分も)ある。けれども、だからといって完成したゲームそのものがどれだけ魅力あるか、おもしろいか、というとこれは製作過程とはまったく関係ない話なのだ。
で、結局完成したものに魅力を感じられなくなっちゃってる自分というのがいて、次にはまれそうなものを模索している自分というのがいるわけだけれども、これが果たしていつまで続くのやらさっぱりわからない。
今後一生ゲームに触らないかもしれないし、明日にものめり込むゲームが発売されるかもしれない。
まあどうなるのかは神のみぞ知る、だけれどね。
最近埃をかぶりつつあるDCを見ながら考えていることといえばそんなことだったりして。

★サクラとうぐいすと
どうも家の近所に若いうぐいすがやってきたらしく、朝などしきりと鳴いているのだが歌が下手。
「ホ〜〜〜〜〜」といったきり黙ってしまったり、最後の「ケキョ」だけ何回も繰り返したり、微妙に音程がずれていたりする。でも、日を追うごとに確実に上手にもなってきており、ようやく「ホーホケキョ」ができるようになった。
まずはめでたいことである。
最近身内でろくでもないことがあったりしてちとブルーになっていたりするのだけれど、地道に練習して着実に成果をあげているうぐいすの声を聞くとちょっとほほえましく思ったりして。
なんにしろ春ってことですなーいいですなー春。とか呑気なことを考えていたら風邪を引いた。
どうもこないだクソ寒い風と雨に当たったのが悪かったようだ。うーむ。まさに自業自得なんで誰かに八つ当たりするわけにもいかないし医者から貰った薬もあんまり効き目ないし。
風邪を治せる薬ができたらノーベル賞ものだっていうのがなんとなくわかる気もする。するだけ。なんだかなあ。

(2002/03/29)


★VF4をやってみた
いろいろと事情があってPS2版のVF4をプレイする機会があった。というよりVF4をまじめにプレイしたのはこれが初めてなのでは?
・・・んでまあ感想をひとことでいうと「なんじゃこりゃ?」なのだけれども。
まずグラフィックの質がよろしくない。確かにポリゴン数は上がっていて一人一人細かく作り込んであるのはわかるのだけれど、なんだか顔の造作などが怖いのだ。さりとてリアルというわけでもなく、濃いだけで特徴的ではないというか「こんな人間いない」という感じなのだなあ。このあたり、バージョンを重ねるにつれてどんどん悪くなっているような気がする。
んでゲーム的にも大雑把になっているような気がする。いや正確に言えば攻撃や当たり判定をする領域としてはハードの進歩によって昔は単に体を中心とした円筒形の判定らしかったのがちゃんと人間の形に判定がついてきているようなのだけれども、それが余計におかしなシチュエーションを生むのだ。
たとえば相手を吹き飛ばす判定のある技を出したとき、それが胴体に命中した場合はそれらしく見える。けれどもそれが手先足先に命中した場合も同じように吹っ飛んでしまうというのが頻繁に起きるのだ。正直なところ、実際にどんな威力のあるパンチがあったとしても、それを相手の拳に当てただけで相手が吹っ飛ぶか? というとそんなことはないわけで、そこに映像のリアルさが合わさって実に奇妙な感覚になるのだな。
リアルなマネキンが拳をぶつけ合っただけでお互いに吹っ飛んでしまうという映像は結構シュールで、かつてやりこんだVF1、VF2の面影などかけらもないうさんくささにみちみちているのだ。いやもともとゲームはうさんくさくても許されたものだけれど、映像のリアルさがそれを許さない状態になっているのだな。
まあ「大作」とはいえても「名作」とは言えない・・・というのがVF4ではないか、と思うのだが巷のゲームセンターではまだまだプレイしている人が多いのだよなあ。不思議。
もうすでにPS2標準のパッドではプレイ不可能に近い領域にまで達しているコマンドの複雑さもよろしくない。「ガチャガチャやっていれば初心者でもなんとかなった」のがVFシリーズの楽しげなところでもあったのに、もうそれすらも難しいという一見さんお断りっぽいゲームになってしまったのだな。
たぶん製作者としてはよかれと思って作ったものに違いないのだろうが・・・。
難しいものだな。

(2002/03/26)


★トマトはいつ死んだのか
いやもう前回からずいぶんとたっての日記である。特に忙しかったというわけでもなく、単に書くことがなかったから書かなかっただけなのだけれども、とにかく久しぶりである。
この一ヶ月、いろいろイベントが起こっていてそれはそれでいろいろあったのだけれども、主に自分の家庭的内情暴露的な話だったりするのでそれはそれは書くに値しない話だったりするのだ。
で、ここしばらくの間で気になったことを書いてみようかと思う。
少し前に、どこぞの大学でワカサギから不凍たんぱく質の大量抽出に成功したという新聞記事が出ていたのだな。ワカサギというとてんぷらのおいしいアレである。ねこなんぞも好んで食している、あのちっぽけな魚のことである。
んで、不凍たんぱく質とは何か・・・と門外漢のねこが言わなくても、googleあたりで検索をかければぞろぞろぞろっと記事がヒットするのであんまり説明する必要もない。要するに、普通のたんぱく質よりも凍る温度が低いたんぱく質のことだそうな。
もともと南極のちべたい海に棲んでいる魚から抽出されたものなのだそうだが、これが今回ワカサギから大量に・・・体重の数%くらい・・・抽出できたというのだな。ちっぽけな魚の数%と馬鹿にしてはいけない。ワカサギというのは大量にとれるのだ。少なくとも南極までいって魚をとってそれから取り出すよりははるかに低コストに決まっている。
で、こいつが何の役に立つかという話なのだが、たとえば冷凍モノの刺身やアイスクリーム。こいつらを冷凍庫に入れておいて解凍したり、しばらくしてから食べたりすると風味が変わっていたりする。なんでかというと、周囲の温度が微妙に変化する中で物質中の水分が溶けたり再結晶化する段階で細胞を傷つけてしまうからだというのだな。
で、ここに不凍たんぱく質を注入すると、再結晶化のとき水分が細胞を傷つけにくくなるので刺身の風味が維持できたりアイスクリームの作りたての風味が味わえたりするのだそうだ。
あんまりそういう技術が発達してくると「産地でとれたての品物を味わう」という優越感がなんとなくそこなわれそうでほどほどにして欲しいのだけれども、その不凍たんぱく質をもぎたてのトマトに注入して何日か氷漬けにしたあと解凍したら、もぎたてとほとんど変わらない風味が再現できたのだそうだ。

で、タイトルの「トマトはいつ死んだのか」である。もぎたてとかわらないのなら、じゃあトマトはまだ生きているのじゃないかと思ったのだな。
いい年した大人が考えるにはあまりにばかばかしい話ではあるが、よくよく考えてみれば生死の境目というのはトマトに限らずかなりあいまいなフシがある。
トマトはもぎ取られた瞬間に死ぬわけではない。少なくともどこか一部分は生きているはずなのだ。で、じわじわと細胞は死んでいって、たぶんお店に並ぶころには死体になっているのだろうが、でもこのトマトを庭に埋めたりするとそこから芽が出たりする。じゃがいもしかり、すいかしかり。なかなか油断がならない。

さすがに腐ってきたらそううまくはいかないのだろうが、そう考えると植物の生き死にというのはかなりあいまいだ。まあさすがに動物の場合はそうもいかなくて牛肉をなんとかしたら牛に戻ったというのは聞かないから、これは植物の特殊なところというかしたたかなところなのだろうな。

だからどうなのだと問われると困ってしまうが、これでいつか生きたままの動物を氷漬けにして好きなタイミングで解凍できるようになったら面白いだろうな、などと考えたりする。実際、病気なんかで余命いくばくもないお金持ちが「冷凍睡眠」と称して氷漬けにされている・・・といういささか眉唾な話も聞かないわけではない。まあ気の毒だがうまく解凍できないだろうと思うけれども、これがうまくいくようになったら面白いじゃないか。10年とか20年に一度のそのそと起きてきてその時代をつまみ食いして、飽きたらまた冷凍してもらう・・・という具合で、普通に生きていたんじゃ覗けない未来を見ることも出来るかもしれないのだ。
みんながみんなそうやって生きるようになったら誰が冷凍・解凍を管理するねん? とかその間やっぱり技術の進歩は止まるのと違うか? とか疑問はあるけれども。
小さいころ、「21世紀の世界はこうなっている!」なんて子供向け科学雑誌の記事の図解にあったような奇妙な姿の建物も不思議な原理で動く乗り物も全然存在しない、いたってつまらない21世紀が訪れたわけだけれども、ワカサギのたんぱく質のような小さな積み重ねからそういう技術が進歩していくのを期待して見ていようかなと思ったり思わなかったり。

(2002/03/19)


過去の遺産