ヤードセール;できっこない!
荷物を整理し始めたのだが、気が進まないうえに荷物が多すぎて目の前が真っ暗になる。ヤードセールで売れるものは売っていかなくてはいけない。分かってはいるのだが、ガキンチョの性格を知っている私は落ち込むばかりである。
前にもヤードセールをしようかという話が出たことがある。で、手始めとしてガキンチョにおもちゃの仕分けをさせたのだ。売るものと手元に残すもの、壊れていて捨てなければいけないもの。おもちゃ箱をひっくり返して品定めを始めたはいいが、すべて「手元に残すもの」で、おまけに足の踏み場もないところで「ありゃー、こんなのがあったんだー!」などといって遊び始めるのだった。片付けようとして始めた事ではあったが、結果は惨憺たるもので、以来おとうが「ヤードセールでもして…」というたびに、ジョーダンじゃない!あのとき誰が片付けたと思ってんのよ!と私は一喝していたのである。
私の独断で売れそうなおもちゃ(中には売れそうもないけど、おとうに言わせると「これは面白いんだよな」というヤツ)などは屋根裏にしまっておいた。今回、昼休みにおとうとそれらを屋根裏から出した。値札をつけてヤードセールに備えるためである。果たしてガキンチョは「売り物なのだから」と釘をさしておいたにもかかわらず、学校から帰るなりそれらに飛びついて遊び始めてしまった。「これ!覚えてる!!!」「え?こんなのあったの?」「これ、すんごい!」私が何を言っても聞こえない。チーやカオはすーっと自分たちの部屋に行った。怪しい。あとをつけると案の定、机の下の箱に何かを隠している。やれやれ。
荷物の下見に来た引越し屋のオジサンがあふれかえるおもちゃの山を前にして言っていた。「ウチも同じだよ。僕の子供の頃は一つの箱に収まるだけのおもちゃしか持ってなかったけどなあ。」限られたおもちゃで、あるいはおもちゃのない状況でもいろいろ工夫して私たちは遊べた。今の子はおもちゃが多すぎて既成のおもちゃで決まった一通りの遊び方をするだけで終わってしまう。豊かな証拠ではあるが、なんだか哀れにも思える。
萩焼きのぐい飲みをヤードセール用の箱に一旦は入れた私だが、萩の町をおとうと手をつないで散歩したことを思い出して食器棚に戻してしまった。あー、こんなんでできるのかなあ、ヤードセール。心は沈む一方である。