自慢 



 環境という事に関していえば、おとうや私の実家のある日本の地方都市よりもまだずっとここの方が良い。確かにコロンビアあたりには「このあたりにははいってはいけない」と言われる危険地帯がある。サウスカロライナで、食べるものにも困っている人が40万人いるとも言われている。人種よりもモンダイは貧しさだということなのだが、その地域の住宅は小さかったり、ガラスが割れていたりするかもしれないけれど、庭付きなのだ。広い土地なのだから当たり前と言えばそれまでだけれど、カルチャーショックともいえる驚きだった。私はここに来て初めて庭のある家に住んだのだが。

 帰国が決まって、毎日のように「本当に帰っちゃうの?」と声をかけられる。「日本のどこに住むの?」「東京の気候は?」「家はどんな風?」質問は似たり寄ったりなので、答えも結構スムーズに出るようになってきた。「東京の夏は、気温はサウスカロライナより低いのだけれど、湿度はもっとあってね、緑が少ないから、夜も気温が下がらないのよ。ヒートアイランドって呼ばれているくらい。家はアパートを探すつもりなんだけれど、今の家の半分以下の広さで庭は無し。家賃は15万円じゃあ、納まらないかも…。」最初のうち、私の答えにいちいち驚いて見せる人たちは本当に東京についての知識を持っていないのだと思っていた。だが、なんだか違うような…。

 人間はともすると「都会」の方が優れているように思いがちだ。東京にあふれているモノ。何でもお金を出せば買えるモノ。そういったモノは、たとえばブランド品なんて、サウスカロライナじゃ見かけないけれど、なぜ見かけないのか、私は少し誤解していたのかもしれないと最近思うのだ。サウスカロライナの古都チャールストンはアメリカが「新大陸」と呼ばれていた頃重要な港であった。南北戦争で負けはしたものの、南軍であった誇りはいまだに消えていない。ここの人たちは、独自の価値観を持っているのかもしれない。自分にとって必要なものとそうでないものをしっかり見極める力があるのかもしれない。私が東京の話をすると、驚いて見せ、そして言うのだ。「ほうら、ここにいたほうがいいでしょ?」サウスカロライナの人たちだって、ニューヨークやサンフランシスコといった都会の住宅事情を知らないわけではない。東京がこと住宅事情に関しては残念ながら先進国で最悪である事だってみな知っている。モノにあふれ、何でも手に入りそうな都会。でも、ここのゆったりとしたたたずまいや時間の流れは都会にはないものなのだ。都会はそういったものを捨て去る事によって都会として成長してきた。取りかえすことはできない。

 そうだ。きっとサウスカロライナがイイ所だって私に言わせたくって、みんないろいろ質問してくるに違いない。そして「ほうらね。」とうれしそうに笑いながら「早く戻っておいで」って言うのよ!