4月になるのが恐ろしい!



 この間、4月分の通信教育が届いた。いつも「通信教育」と言う言葉を聞いただけであからさまにいやな顔をするガキンチョどもが今回はちと違った。今月から封筒は4つである。そう、ミーが一年生になるのだ。開けてみないと誰のだかわからない。「やったー!」と言いながら、封筒を開ける。2年前、ノンに初めて通信教育が届いたときもノンの喜び方はすさまじかった。それが5月号まで続かなかったのが残念なんだけれど。

 さて、姉たちの喜びが単にミーの成長を思っての事なのか、宿題に追われる姉たちを尻目に一人遊びほうけるミーにいよいよ試練がやってきたと言う事を喜んでのことなのかわからない。が、喜んでいる間にそそのかしてやらせるのがいいだろう。

 98年度、通信教育の添削問題はほとんど出来なかったのが実情である。現地校の宿題と補習校の宿題があって、それ以上に勉強をしろとは言えなかった。「アメリカの教育は日本よりのんびりして」という風聞にはたびたび意義を唱えてきた。もちろんこれは地域、あるいは学校によって差が歴然としているのだが、ガキンチョの学校の場合は、カリキュラムも内容もレベルも文句の言えないほどしっかりしている。だから、現地校での学習をしっかりしてくれれば後は日本語の学習をすればいいと思うのだ。

 そこでモンダイなのはどの程度日本語を勉強させるかということだ。現在わがガキンチョの日本語は日常会話に困る事はないといえる。時折出てこない単語があるものの、ジジババとも問題なく話しが出来る。ただし、1種類の日本語である。日本語は時と場合によっていろいろ使い分けられるものだが、ガキンチョが知っているのは友達や家族の中で話す日本語だけなのだ。補習校に行っても、先生に敬語や丁寧語で話すことは出来ない。親としてはちょっと冷や汗が出るのだけれど。読みは漢字にふりがながあれば何とか読める。という事は日本の同学年の子供に比べるとだいぶハンディがあるということだろう。このハンディについてはあまり心配していない。2つのことを同時にやろうとしているのだもの、完成するのがちょっと遅くなるのは仕方のないことだ。

 実際には補習校の宿題をするときに説明をしてやるくらいしか出来ていない。金曜の夜遅く宿題をはじめられた日には、私もガキンチョもパニックに陥ってしまう。だからなるべく早めにして欲しいのだけれど、なかなかしてくれない。子供が一人かせめて二人なら!と思うし、せめておとうがちょっとは見てくれりゃあいいのだけれど、頼りにならないヤツなのだ。4月から4人になるわけで、あたしゃ今から気が重い。

 そうそう、通信教育ねえ、添削問題は手付かずなんだけれど、教科書の分からないところを母に聞く前、あるいは母の手が塞がっているときに参考にしているのよ。だから海外帰国子女教育財団の関係者の方、添削問題が送られなくても、がっかりしないでくださいね。全くの無駄にはしていませんから。


 PS;考えてみると、日本の子供たちの中にはお受験とやらで勉強漬けの日々を送っている子も多いんですな。外国暮らしでも、たとえばアメリカの大都市には塾が進出して日本以上の過熱ぶりという事である。我がガキンチョの生活でも、もっと羽を伸ばして遊んでいいくらいだと思っている私としては、子供が大手を振って子供らしい生活が出来る社会になって欲しいもんだと願っている。