新しい日本語
日本に帰国するかもしれないという事になって、本当は毎日でも泣きたいほど悲しいのだが、私の良いところは、「まあ、何とかなるさ」と結局はポジティブ(ただのんきなだけかも)に考えるというところに違いない。帰国したらしたで、ここにきて自分に足りなかったとしみじみ感じたところを補うべく勉強しよう。子供(特に下二人)は日本語の基礎がしっかり身につくはずだし、価値観が完全に固まってしまわないうちにまたカルチャーショックを受けるのも、かえって自分の考えを確固とすることになるかもしれない。そして、そのうちきっと、できたそう遠くないうち、はっきり言って近いうちにまたこっちに戻れると良いなあ。
長女は3年半前に通っていた学校にできれば戻りたいんじゃないかと思っていた。ところが「日本語ができなくなっているから、恥ずかしい。知らない子ばっかりのところのほうが気が楽だなあ。」などという。確かに4人の子供すべて、日本語はちょっと変になっている。助詞の使い方が間違っていたり、動詞が違う、あるいは英単語の語尾変化などで新しい単語を作ってしまったり…。動詞の間違いとして、たとえば「テストを受ける」という言い方。英語ではtakeを使うので「テストを取る」とガキンチョどもはいう。「コンテストに参加する」はentryだが、「コンテストに入る」というものだから、もう入賞したのかと驚いてしまう。新しい単語というのをひとつ紹介しよう。チーが私のところへ「カオがひった!!!」と叫んできた。私は「ひる」という動詞は「放る」「痢る」あるいは「鼻をひる」だと思っていたので、何をまた下品なことを言い出したのかと訝っていた。私の反応がおかしいので、チーは自分の言った事が正確に伝わらなかったとすぐに気づいた。彼女の言う「ひった」は英語のhitを変化させたものだったのだ。チーに私の知っている「ひる」の意味を教えたら、大笑いしてその後はお気に入りの言葉のひとつになったのだが、誰に似たんだか、下品なやっちゃなあ。こう言った造語はどの子にもみられ、私は楽しんでいるし、子供たちも家族の中では平気なのだけれど、日本の学校に行ったときのことを考えると気が重いようなのだ。「きっと笑われちゃうよ!」というチーに日本の雑誌の「最近の若者の言葉」を特集した記事を見せた。
「マジでカナヤバ」「イケてるジモピー」「ナル系入ってるヤツって、超ムカツク!」などなど。これを読んだチー、「何にもわかんない!これじゃあ、日本に帰ってもまた外国語を覚えなきゃいけないみたいじゃない!」と叫んだ。わかるなあ、その気持ち。「そう言えば、補習校の○○ちゃんがチョベリバって言ってたけど、そうか、こーゆー意味だったんだ!」と最近日本からやってきた子の名前をあげて言う。「最近の子はこうやって日本語をぐちゃぐちゃにして話してるんだから、チーの作った言葉もウケるかもよ。」と言っておいた。
これだけおかしな日本語(だよね?)を作り出す若者文化の中で、「ひった」くらい何でもないに違いない。それより「放る」「痢る」「(鼻を)ひる」なんて、いまどきの若いもんは知らないんじゃなかろうか。正確な日本語を知った上で新しい表現を作っているんだと思いたいんだけどなあ。