九九は苦!なのよ



 3年生の算数はようやく掛け算に入った。日本で覚えさせられる九九というのは実に良く出来たもんである。アメリカには九九の歌があるそうだが、ミセス・ギャンブレルによると役にたつシロモノではないとか。「どんな手を使ってもいいから、助けて頂戴!」といわれた。

 九九は補習校でノンが習ったが、イヤイヤ通っている身では勉強にも身が入らず、九九もなかなか覚えられない。確かに覚えていなくても時間はかかるが計算はできるわけで、それ以上に「早く早く」と急き立てるのは、私の趣味ではない。まあ、母の趣味ばかりを云々しても仕方がないので、「覚えておけば、宿題がすんごく早くできるのよ!」と励ましている。ミセス・ギャンブレルには「ノンにも覚えさせなきゃいけないから、いろいろ工夫してやってみましょう」と答えた。

 さて、アメリカでは落第がある。小学生ですら、落第がある。しかも、そう珍しいことではない。落第してでも理解してから進むのと、落第させないかわりに落ちこぼしたままという状態のどちらがいいかは一口にはいえないだろうが、落第を恥だと思わないこの国においては、うまく機能している例が多いかもしれない。だいたい、この国では「個人差」というのが大いに認められていて、学習を習得する速度も子供によって違うと考えられている。速度の遅い子供に関しては、アシスタントの教師が個別に指導したり、私のようなボランティアが手助けをしたりと、それなりの手を尽くし、子供を励ましている。それでも、習熟度が一定に満たないと判断されると、落第することになる。

 ノンのクラスメートにも2回目の2年生という子がいる。妹がミーと同じクラスであるし、私が週1回クラスに行っていることもあり、よく話をする。明るくて、子供らしいよい子である。機転も利く、口も回る。この子がどうして2回も2年生をしなければいけないのだろうかと、私はしばし疑問に思っていた。ボランティアに行くようになってわかったのだが、学校の勉強に関心がないのだ。関心がないから先生の話もあまり聞かないし、頭を使って考えようともしない。で、成績が低迷することになる。勉強をしようというのに頭を使わないというのは、本当に困ってしまう。

 九九をさせていても、掛け算の仕組みを理解していない子がいるので困る。たとえば3×8が3を8回足すことと同じで、8を3回足しても同じ、さらに8×3も同じ結果になるってことを知らないのよ。そーゆーことをしどろもどろで懸命に説明して、九九の練習。2と5の段はどの子も順調に答えられるが、3の段で早くも困る子がいる。3の段の答えは3ずつ増えると説明し、3とびに数字を言わせるが、それが難しいらしい。「指を使ってもいいよ」と言ったら、ようやく答えられた。ここでしっかり理解できれば、落第しなくてすむのだ。落第はしなくてすむのなら、それにこしたことはない。

 時折退屈しのぎに日本の話しなぞをしている。1串に3個団子のついたみたらしだんごを8本用意するには団子をいくつ丸めれば良いか。と結局九九の話に戻るのだが、「ねえ、それ、どんな味?何で作るの?ほかのフレバーは?」なんてわざと横道にそらせようとするヤツがいる。その手には乗らないぞ!